女武芸者 八
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ヨハネスとほぼ同時に、パウルスとハンスも正対した敵を倒していた。
彼らほどの剣士になれば、対峙した相手以外、周囲の動きも視野の端で把握している。
パウルスとハンスは、面識こそあるものの、その剣風をここで初めて知った。
パウルスから見ると、剣を構えたハンスの立ち姿、歩き方、剣さばきはヨハネスにそっくりだった。
ハンスから見れば、ヨハネスの剣技の肝である刃の噛み合いからの敵の刀身を制する攻防を、パウルスは高い次元で体得していた。
後にリヒテナウアー流の竜虎と称される二人の剣士は、互いを強く意識するようになる。
それはさておき、ヨハネスは少女の傷の具合を確かめた。
打ちのめされ、怯えてはいるが、骨や内臓を痛めているとか、頭を打った様子はない。
彼女を襲った武芸者の腕がよかった事の証しである。
「もう、大丈夫です。ご安心めされよ」
と、彼女に声をかける。
ヨハネスは、ザーラをプファルツ家の寮に送り届けるよう、パウルスに言いつけた。
「送るだけでいい。けっして名乗るな。ただ、きちんと戸締りができて、戦える従僕が一人でもいるか確かめよ。もしいなかったら、うちに連れ帰ってこい」
と、付け加える。
そしてハンスには、ホーホベルクの家族塔に走るよう命じた。
「ゲルトルートに委細をすべて報告した上で、おれの望みを伝えよ。ひとつ、事を表沙汰にしたくない。ひとつ、捕らえた武芸者はこちらに不利な証言をしないよう説得して、解放したい。ひとつ、ハルスドルフ家の三人には、行方知れずになってもらいたい。その後は、彼女の指示に従え」
というヨハネスに、ハンスは驚きの顔を向ける。
「えっ、しかし奥様では……」
「ハンス、お前もなかなか世の裏表をわかっている。だが彼女も手練れなのだ。それにつながりも色々と持っているし、使える人数も多い。今回は彼女に任せたがよかろう」
そう言われれば、ハンスも恐縮の表情を浮かべる。
そこで、パウルスの出立の準備が整った。
彼に背負われて行く少女を見送った後、ヨハネスはため息をついた。
(あの子はもう、剣術をやめてしまうのだろうなあ……)
一週間後、ヨハネスの元をザーラ・フォン・レヒフェルトが訪れた。
まだ全身の青痣が癒えていないとみえ、いくぶん身体の動きがぎこちがない。
また、表情は思い詰めたものであった。
彼女を応接間に通し、ボヘミアの麦酒で持てなしながら、ヨハネスは尋ねた。
「よく、我らの事が、わかりましたね?」
「あちこち尋ね回って、最後にユダヤ人のオット先生から、お話を聞く事ができました」
ザーラの返答に、ヨハネスはさもありなんとうなずく。
特に口止めもしていなかったからだ。
「お父様は、この事を御存知なのですか?」
「いえ。リヒテナウアー先生が事を大きくされたくないご意向が伺えたので。その件についてのご相談もしたく、本日お伺いした次第です」
ザーラ嬢は、そういった気働きができる人間らしい。
その彼女に、
「先生、敬語はやめて下さい。大恩ある方であり、剣の道の大先達にへりくだられては、私の立つ瀬がございません」
「まあ、そういう事なら……」
「それで、先生。私としては、父に報告して先生に報いる事が筋だと思うのですが……」
「それは、やめてくれ。おれの気まぐれでやった事だ。別に褒美が欲しくてやった訳ではない」
言外に、オットー公とあまり縁を持ちたくないという気持ちをにじませた。
ヨハネスの経験からして、庇護者としてオットー公は付き合いやすい人物ではない。
約束を守らず、その日の機嫌ひとつで、こちらの人生を揺るがすような人物からの厚情は、中長期的には危険ですらある。
自分ひとりであれば、上手く立ち回ることもできようが、いまはパウルスもいる。
あれは、どうもその辺の機微にうとい。
とんだ馬鹿息子だとは思うが、それはそれとして幸せに生きて欲しいと思うのだから、父親というのもままならない。
「それでは、仕方がありません。その件については、承知いたしました……」
と、何かを察したのか、ザーラはいった。
「では、もう一つ、本日は大事なお願いがあります」
ザーラは席を立ち、机を回り込んで、ヨハネスの前に膝をついた。
「私を、リヒテナウアー先生のお弟子に加えてください。先日の、息をのむほど鮮やかで、流麗な妙技が、私の心を掴んで離さないのです」
そういって少女が、ヨハネスが手をさしだすのを待つかのように、自らの両手を掲げた。