天魔 十七
パウルスとヨハン少年は、行灯で足元を照らしながら、野外の夜道を急いだ。
とは言え、ヨハンは半死半生の体なので、実質的にパウルスが担いで歩いたに等しい。
にもかかわらず、パウルスの健脚は大股で大地を捉え、一刻の後には、警吏とパン職人の一団に追いついた。
森の中から、一町(約110m)ほどの距離に、谷間の村を見下ろす場所だった。
もっとも今は、窓や戸口から漏れる微かな灯しか見えない。
村側から灯りが見えないよう、慎重に岩陰で小さなたき火を起こし、彼らは身を休めていた。
「状況は、どうなってますか?」
パウルスが、ピーターに尋ねた。
「あの村外れの宿屋です。 片腕の奴は、あそこに逃げ込んだ」
暗闇の中に、それらしき建屋があるような気がするが、ヨハン少年には、はっきりとは見えなかった。
「今、オレの奥さんが中を探ってます。少し、待ってください」
そう説明を受けて、さすがにパウルスは一息ついた。
そして、改めてヨハンを見て、今更気付いたのか尋ねた。
「ヨハン、お前、長包丁は?」
「サーセン、河の中ッス」
少年の答えに、パウルスが、しまった、という顔をした。
横で聞いていたピーターが、自分の片手剣をヨハンの胸に押し付けた。
「使うといい。オレは、別の得物を用意したからね。貸してあげるよ」
そう言ってピーターは、鉄鍋兜をかぶり、殺人斧を肩にかついだ。
そう言えば防御用の詰め物入り厚手上着を着ているし、いつの間にか、簡素ながら戦仕度になっている。
この頃の片手剣は、長剣と同じく、樋なし、扁平な菱形断面の物が多かった。
また根本が太目で、ふくらみを見せず、両刃が直線で切っ先へ集まる形が多い傾向がある。
その為に重心が根本寄りだし、大きな柄頭が手首にあたるので、少し手の内を変えないといけない。
だが、この期に及んで、選り好みはできない。
その時、突然に、笛の音が鳴り響いた。
全員が立ち上がって、宿屋があるという辺りを見た。そちらから、笛の音は響いてる。
「何があった?」
「わからない。今の鳴らし方は、“至急攻撃せよ”だ」
パウルスが尋ね、ピーターが答えた。
ピーターは唇を噛みしめ、二秒ほど考え、口を開いた。
「松明に火を付けろ! これから、あの宿を制圧する!」
パウルスやヨハネスといった長剣遣いたちが、鞘を抜いて地面に放った。
ルールマンが拳を作り、職人一人一人と打ち合わせていく。
それが終わると、一同は雄叫びをあげて駆け出した。
一団は、すぐに宿前に到達した。
縦六十間、横四十間ほどの敷地は、高い木塀で囲まれ、中が見えない。
しかし時折り、中から怒号や悲鳴が聞こえる。
開いている両開き戸の正門から中に入ろうとした一団は、それを押し止めようとする賊と出会した。
先陣に立っていたヨハネスに、賊の一人が殺人斧を突き込んだ。街中には持ち込めない、本格的な闘争の道具。
表刃のねじり斬りで反らし、裏刃の流し目斬りを叩き込んだ。
武器の違いはあれ、自分が失敗した連携を、ヨハネスは鮮やかに決めた。
ヨハン少年は「やはりアニキの父親なのだ」と、改めて思った。
正門を挟んで、パン職人親方職業組合と賊がにらみ合った。
防具は職人の方が圧倒的に良いものを揃えているが、武器が石弓と長包丁しかない。
しかも暗闇の中、松明の灯りしかなければ、石弓は使い辛い。
対して賊は、鎧らしき鎧は身に着けていないが、槍や殺人斧など、戦場で使う武器を携えている。
「パウルス、ヨハン、裏口へ回れ!」
ピーターのよく通る声に指示を受け、青年と少年は木塀沿いに走り出した。
角を曲がり、少し行くと、丁度裏口から逃げる男の背中が、松明の灯火に微かに浮かび上がった。
パウルスは前傾姿勢になると、飛ぶような勢いで追って行った。
しかし、ヨハンはそれに付いて行けない。
少年は、痛むあばらを抑えながら、最後に歩くようにして裏口にたどり着いた。
そこでイエルクリングに、対峙した。
彼は、見るからに動揺しており、少年を脅威に感じている事を隠せていなかった。
左手に持った松明を投げ捨て、もたもたと長包丁を抜くが、構えた後、居着いてしまった。
ヨハンネスも屋根の構えを取り、イエルクリングが焦れるのを待った。
こうしてよく見れば、イエルクリングに往年の面影は無かった。
痩せ細り、肌は荒れ、老人のようだ。
片腕を失った影響か左右の均衡が崩れており、ねじれた姿勢は背丈すら縮んだように見える。
そう冷静に見てとった事を、イエルクリングが感じ取った節があった。
顔が歪んで狂相になり、真っ赤に染まる。
頃合いと見たヨハンネスは、前足の爪先を軽く上げ、下した。
弾かれたように、イエルクリングが踏み出した。長包丁が、けさ掛けに振り下ろされる。
少年は、一歩、後ろに退いた。
イエルクリングの攻撃は少年の眼前三寸の所を素通りする。
ヨハンネスは右足で大きく踏み込み、イエルクリングの攻撃の軌道をなぞるように、けさ掛けに片手剣を振り抜いた。
刃先が鎖骨の根本に当たって、砕いた、やや方向を変えて、軟骨を断ち切った、皮と肉を斬り裂きながら、イエルクリングの首元を切っ先が通り抜けた。
かわして、反撃。あるいは相手が構えを変えたり、剣先を引くのに合わせて攻撃。
これらを総称して、パウルスは“追い取り”と呼んでいた。
イエルクリングは、一度地面に突っ伏した後、手を付いて膝を引き、四つんばいになった。
そこで滝のように零れる血に気付き、左手で抄おうとして、態勢を崩して横倒しになった。
一声うめいた後、血に染まった左手に気付き、あぜんとした。
そして、見下ろすヨハンとイエルクリングの視線が絡んだ。
イエルクリングは何か言おうとしたが、咽んで言葉にならない。
ヨハン少年は手応えを感じていたが、必要なら追撃しようと、片手剣を構えた。
そうして睨み合っていたが、ヨハンネスは突然、もうイエルクリングがこちらを見ていない事に気付いた。
ヨハンネスは地面に落ちていた松明をつかんで、イエルクリングの頭に投げつけた。
燃える松明が鈍い音を立てて頭に当たったのにもかかわらず、瞬き一つしない。
それを見て、ようやくヨハンネスは深く息を吐いた。
そして、その後はイエルクリングの事は一切忘れて、アポロニアを探した。




