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長剣と銀貨  作者: ビルボ
第六話 天魔
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天魔 十






 

 施療院は、通り向かいの“ルールマンのパン屋”から、毎日の朝と昼、パンを買っていた。

 パンは二等の小麦と黒麦の混合品だ。

 

 ニュルンベルク市ではこれが一個でペニヒ銀貨一枚と定められていた。

 大きさは、大人が一日分とするのに十分なだけあった。

 これに使われる麦粉の量も、市が麦の価格に応じて適時に定めている。


 ルールマンは、パン屋には珍しく誠実な男で、市のパン監督委員の検査で不正が見つかった事が一度もない、と評判だった。

 施療院に運ぶのは、ルールマンの娘のアポロニアの役目だった。

 

 彼女は、朗らかで気立ての良い娘で、施療院で働く人々や入居者にも好かれていた。

 であれば、彼女が“バイオリン弾き”小路こうじで難儀しているのを見かけたヨハン少年が声をかけたのも、当然だった。


 そこはニュルンベルク市の南の市壁に近い通りで、外来者の為の酒場兼宿屋が連なっていた。

 春になり、四旬節が始まった為、大道芸人の類が増え、にぎわっている。


 施療院の使い走りの途中、ヨハン少年は、この小路を横切った。

 その時、壁に背を押し付けられて、数人の男に囲まれているアポロニアに気付いてしまった。

 男たちは彼女をからかっている。

 彼女の麦穂のようなお下げや、鮮やかな青に染められた婦人服をいじる男たちの手付きや顔に、不穏な興奮が見て取れた。

 アポロニアは、ひどくおびえている。


「おうコラ!」


 威勢の良い声を上げたヨハン少年だが、こちらを振り向いた男達の眼光に怯んだ。

 思ったよりも、剣呑な雰囲気だ。下手に刺激すると、光り物が出てきかねない。

 彼は、みぞおちの辺りに鈍いうずきを感じた。

 何を言うべきか迷い、唇の皮を舌で湿らせる。

 少女の青い目が、ヨハンネスに気付いて嬉しそうに細められた。

 それを見て、少年は口を開いた。


「火事だ! 泥棒! 人殺し!」


 自分でも驚くほどの大声が出た。

 男たちもぎょっとして顔を引きつらせた。

 居留民(ゼルドナー)である彼らは、警吏に()()まれれば、ささいな事でも市民よりも重い罰を受ける。

 

 芸人たちが、蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。

 ヨハンネスもアポロニアの手を引いて、バイオリン弾き小路こうじから抜け出した。





「お手柄だったじゃないか」


 老ドロテーアが、ヨハンネス少年を褒めた。


「まあ、あの辺、傭兵崩れとか、本当にヤベェ奴はいねーからよぉ」


 そんな風に謙遜した少年だったが、どこか呆けた風情だった。

 どうかしたのか、と老女が尋ねた。


「あそこの連中、すげぇ臭んだよ……。前は全然そんなん思わなかったのに」


「あんたも、すごい臭いしてたからね」


「わかってんだよ、んな事ぁ。俺はツイてた。でも馬鹿ヅキしたまま逃げられる奴なんざいねーんだ。絶対、胴元にハメられる」


 淡々と、少年は言った。

 それを聞いて、老女は少年の手をとって、手の甲を軽く叩いた。


「大丈夫だよ。神様は、ちゃんとあんたのしてる事を、見ているよ」


 老女は、そう少年に言った。






 聖霊降臨祭プフィングステンは春の盛りを告げる祝日で、街中が浮き立つ。

 市の聖霊施療院もまた、付属聖堂の務めを助けるフランシスコ会の修道士たちの手で、毎年、中庭に五月柱(マイバウム)を立て、リボンや枝葉で飾り付けて小さな祝宴を設けた。

 祝日には音楽が欠かせず、芸人の軽業かるわざや、輪になって踏む踊りも添えられる。

 入院者も、具合の許す者は中庭へ出て春の匂いを胸いっぱいに吸い、そうでなければ窓辺から、色とりどりの飾りと笑い声を味わった。


 施療院にとっても、そうした「節度ある楽しみ」は薬に等しい。慰めは身体を起こし、寄進者の目に映る施療院の体面にもなる。

 だが、毎年頼んでいた馴染みの芸人が、今年はつかまらなかった。

 そこで、新しい芸人を探す事になった。


 若い修道士、ブラザー・マルティンが出家前は芸人をやっていたとの事で、交渉担当に任じられた。

 彼は、何かあった時の連絡係としてヨハン少年を指名した。

 ヨハンがニュルンベルクの路地事情に詳しいことは、すでに施療院の者たちの知るところだったからである。

 二人は、市南部の“バグパイプ吹き”小路こうじに向かった。 



 路地に椅子を出している老人に、ブラザー・マルティンが話しかけた。

 演奏家を探している旨と、日取りを伝える。


輪踊り(ライゲン)は必ずやって欲しい」


 若い修道士の要望に、老人はうなずいた。

 老人が使い走りらしき若者に何やら指示をだした。

 それを受けて、若者が走り去っていく。


 別の若者が、折り畳みの椅子を持ってきて、勧めてくれた。

 ブラザー・マルティンは、礼を言って腰掛ける。

 その後ろに立ったヨハン少年に、老人が目を向けた。


「そっちの声の大きい坊主は、あんたの連れかい?」


 老人が、マルティンに尋ねた。

 何の話かわからず、ヨハン少年は戸惑ったが、“バイオリン弾き”小路こうじでの一件を言われているのだと気付いた。


「そうだ。うちで預かってる。僕の使い走りをさせる事もあるので、覚えておいてくれ」


 マルティンの返事に、ヨハン少年は背筋を伸ばした。老人が微笑む。


 やがて、五人の芸人がやって来た。

 五人も要らない、とマルティンが主張した。


「“ハーディ・ガーディ”と太鼓と縦笛だけでいい」


「旦那。“シトール”の響きがなきゃ、輪舞の楽しみが台無しですよ」


 おそらくシトールと呼ばれるのであろう楽器を持った芸人が反論した。


「こいつは、トンボ返りや軽業が得意だ。あっしは司会もできる。歌や踊りを、事前に皆さんに教える事もできる。雇うなら、この一座で雇わねぇ手はありませんぜ」


「だが、手元不如意てもとふにょいだ。五人分の予算は無い」


「銀貨でなくたって構いやせん。この街に立ち寄る度に泊めて頂くとか。何だったら、院長様から、袖なしの羽織りを御下賜ごかし頂けたりすると、助かるんですがね」


 食い下がる芸人を、老人がたしなめた。


「押し売りするんじゃねぇ。周りの事も、考えろ」


 老人は、マルティンを振り返って提案した。


「どうでしょう。銀貨は三人分、その代わり祝宴まで宿泊させて頂くって事で、この一座で手を打ちませんか」


 マルティンは、しばし考えた後、同意した。






 参考)

 奏者・作曲家 久野幹史さんによるハーディガーディの演奏動画

 https://youtu.be/p_Px9aMTb8k?si=NOiUF5K9VswRyLum

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