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長剣と銀貨  作者: ビルボ
第六話 天魔
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天魔 九






 畑に、夏小麦が撒かれる季節の日曜日。

 松林を抜ける風はまだ冷たいが、枝先の芽だけが春を先取りしている。


 パウルス・カルの道場で、ヨハン少年は、素振り用の重くて(なまく)らの長包丁(ランゲス・メッサー)を振っていた。


 改善された食生活が、少年の背丈を年相応に伸ばしていた。

 あばらの浮き出るばかりだった胸板にも、筋肉が付き始めている。


 少年の正面には、板が打ち付けられていた。

 板には炭で十字が描かれ、それが分割する各象限に数字が書かれている。

 少年が、右上から左下に、()()()()に斬った。

 そして手首を返し、刃を上に向け、同じ軌道を戻すように斬り上げる。

 それを一つの単位として、四方向それぞれから繰り返す。

 板に書かれた数字は、その順番を示していた。

 プファルツ選帝侯ルートヴィヒもやっていた、「マイアーの四方(スクエア)」と呼ばれる素振り法である。


  

 足さばきを加えて素振りをしていると、パウルスが帰宅した。

 山高帽子に、腰のところでくびれた胴着。

 胴着の裾は短く、長靴下との間に股引が見えているが、それが当世風の若者の身なりらしい。

 パウルスは華美ではないものの、いつも小ざっぱりした格好をしている。


「待たせた」


「アニキ。お忙しい所、サーセン!」


 そんな風に、二人は挨拶を交わした。

 青年と少年は柔らかい木の棒を革で包んだ物を持って向かい合った。

 長包丁を模した稽古具である。

 二人とも、右半身で左手を腰の後ろに回した同じ姿勢。


 パウルスが、先端を下に向けたまま、棒をゆっくり持ち上げた。

 手が顔の高さを越えた辺りで、切っ先を持ち上げて、少年の顔に向ける。

 そのまま棒を握った拳を、頭上に引いた。

 “雄牛(オクス)”と呼ばれる構え。

 それを見てヨハンは、腰の前で構えた棒の先端を右側に開いて倒す“防護の構え(シュランクフート)”にする。

 “雄牛(オクス)”は突きが出易い構えなので、“防護の構え(シュランクフート)”にして突きを反らす準備をする。


 それを見て、パウルスは切っ先を上に向け、棒を高く掲げる“屋根構え(フォム・ターク)”に変えた。

 これに対して、ヨハン少年は“雄牛(オクス)”構えをとる。

 “屋根構え(フォム・ターク)”からは()()()()に斬撃がくる可能性が高い。

 その為、あらかじめ高い位置に剣を置いて迎撃に備える、という定石。


 それからも、パウルスは構えを変え続け、なかなか攻めてこない。

 構えに対する定石を覚えているか試されている、とは判っていたが、ヨハンはれてきた。

 練習してきた技を出したい。パウルスと心行くまで打ち合いたい。

 そんな思いが、少年の足を踏み出させた。


 一気に間合いに入った。

 その瞬間に何かしらパウルスが迎え撃ってくると決め打ちして、更に目一杯、足を踏み出し、身体を前に投げ出すように加速する。

 不意に低くなったヨハンの頭上を、パウルスの棒が空振りした。

 同時に少年の棒が、青年のすねを打つ。

 少年は快()()を叫ぼうとしたが、その頭にパウルスが拳を落とした。

 その痛みに、ヨハンはうずくまった。


 パウルスは、ヨハンの素早さに内心舌を巻いた。

 静止状態から、弾かれるように飛び出してくる。

 しかし、今の立ち合いには見過ごす訳に行かない点が含まれていたので、少年に注意する。


「それは、駄目だ。そんな捨て身で一瞬早く斬ったとして、反撃されて死ぬ。人はそんなにすぐには死なない」


 パウルスの声音に、ヨハンは顔を上げた。


「それと、無防備に、間合いに飛び込むな。小さな金創(刃物傷)が腐って死ぬ人は、多いんだ。人は案外、ちょっとした傷で死ぬ。まずは相手の武器を制する事を考えろ。それに成功して、こちらが一方的に攻撃できる時にだけ、間合いに踏み込め」


「でもそんなん、たりぃッス。いつまでもケリつかねぇじゃないスか」


 不満そうに、少年が漏らした。


「良いんだ、それで」


 青年が答えると、ヨハンネスは驚いた。


「君が法と神様の教えに従う限り、大抵の場合、時間が掛かって困るのは襲撃者の方だ。手間取っていると逃走の機会を失う。騒ぎを聞きつけて近隣の住人が来たり、警吏が駆け付けるかもしれない」


 パウルスは、しゃがみ込んで、ヨハン少年と目の高さを合わせた。


「私が身に付けたのは、“生き延びる為の剣術”だ。そして、それが君に必要だと思ったから、教えている。それを、忘れないでくれ」


 真剣な声音と瞳だった。


「……ウッス」


 少年は、そう答えた。







 パウルスの道場からの帰り道、ペグニッツ河のほとりで、施療院で働く奉公人たちが歩いてくるのが見えた。

 市が運営する聖霊施療院《ハイリヒ=ガイスト=シュピタール》は、近隣のフランチェスコ会士たちに大きな支援を受けていたが、独自に奉公人も抱えていた。

 医師、助産婦、あるいは下男下女として働く彼らは、手に手に灯明を持ち、裸足で列を成して歩いていた。

 彼らはこうやって行列を行った後、施療院教会で弥撒(ミサ)をあげてもらう。


 同じ職場で働く彼らは、怪我や病気の時は助け合い、仲間が亡くなれば葬儀を行い、定期的に司祭に弥撒(ミサ)を依頼した。

 当時、彼らのような集まりは兄弟団(ブルーダーシャフト)と呼ばれ、大変盛んだった。


 呼び方や集まりの趣旨は様々で、例えば同じ業種の親方たちが集まれは、それは同業者組合(ツンフト)と呼ばれ、寄り合いの色が濃くなる。

 同じ城の権利を分割して所有していたヘルたちが、危急時の一致団結を誓えばそれは結社(ゲッセルシャフト)と呼ばれ、戦闘集団となる。

 他にも、若手職人だけの集まりゲゼレン・ブルーダーシャフトとか、特に職種は関係なく|同じ聖人を信仰する集まり《本来の意味でのブルーダーシャフト》とか、色々な集まりがあった。

 共通するのは、相互扶助を目的とし、日ごろから会費を集めて、葬儀場所の確保や礼拝を行っている事である。


 そんな聖霊施療院の兄弟団に、少年は手を振った。


 老ドロテーアが、中年女性に引かれている手を離して、少年に手を振った。

 そのまま、立ち止まって一休みする。

 彼女にも面子があって、自分から疲れたとは言わない。

 しかし最近は、歩くのが相当辛いんじゃないか。

 少年は、そう感じて、気にしていた。









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