天魔 七
パウルス・カルは、聖霊施療院《ハイリヒ=ガイスト=シュピタール》を訪れた。
用向きを告げると、フランシスコ会の修道士が案内をしてくれる。
途中で、付属の聖霊施療院教会の後方を横切った。
少しだけ足を止めさせてもらい、内陣の弓なりの石天井から吊り下げられた聖遺物櫃に十字を切る。
中に納められているのは、帝国に属する特別の聖遺物群である。
聖槍や十字架片などキリスト教の聖なる遺品を中心に、神聖ローマ皇帝の権威が神意に支えられていることを示すために代々受け継がれている。
大きな卓が沢山並べられた食堂に入ると、先日のヨハン少年が食事をしているのに気付いた。
かなり身ぎれいになり、年少の少年と何やら楽しそうに話をしている。
近づかずにそれを見ていると、遅れて食堂に入ってきた都市貴族に紹介された。
「お初にお目にかかります」
四十路のやせ型の男で、黒っぽい服装は質実だが、生地と仕立ては高級品と思われた。
握手をして、二人は卓についた。
彼は、市の捨て子担当委員であり、"捨て子・孤児のための都市の基金"を運用している。
パウルスは、ホーホベルク商会にきってもらった手形を、基金への寄付として渡した。
「確かに拝受いたしました。貴方の魂に救いがあらんことを」
当時の人々にとって、“死後の魂の救済”は切実な関心事だった。
というのは十二世紀後半に、人々の信仰に"煉獄"という概念が導入されたからである。
死ぬ時までに犯した罪の数と重さに応じた期間、キリスト教徒はこの煉獄において耐え難い拷問を受ける事になるが、よほどの大罪を犯していなければ永遠の地獄落ちを避けられる。
そして煉獄の死者は、もはや自力で功徳を積む事はできない。
しかし地上の信者が、煉獄の霊魂のために弥撒を行ったり、施しや償いのわざを行う事で、彼らはより早く煉獄から解放され、天国に至る。
そう教会は教えた。
だから人々は、身内や自分の死後に弥撒をあげてもらう契約で教会に寄進し、贖宥状(免罪符)をあがなった。
この聖霊施療院も、十四世紀に、当時ニュルンベルクで最も裕福だった市民の「魂の救済のための寄進」として創設されている。
「それで、保証人の件は、ご検討頂けましたか?」
捨て子担当委員が、パウルスに尋ねた。
「はい、私で良ければ、引き受けさせて頂きます」
「それでは、こちらの書面にお名前を……」
市参事会の委員が用意した書面のあちらこちらに、パウルスは羽根筆で名前を書き込んだ。
墨が乾くのを待つ間、捨て子担当委員がパウルスに尋ねた。
「徒弟として受け入れて頂く親方ですが、何かご希望がありますか?」
「一度、あの子の希望を聞いてやりたいと思います。実際の所、そういった受け入れ先はすぐ見つかるものなのですか?」
「早い子なら、数カ月ぐらいでしょうか。ただ、なかなか親方衆のお眼鏡にかなわなくて、残ってしまう子というのは、どうしてもいますね」
そう言われて、パウルスはうなずいた。
捨て子担当委員と別れた後、パウルスはヨハン少年に歩み寄った。
気付いたヨハンと、一緒にいた年下の子がパウルスを振り返った。
「いいかな? ヨハネスに、話があるんだ」
パウルスが年下の子に声をかけると、彼はびっくりして何度もうなずくと、逃げるように立ち去った。
その代わりにヨハン少年の前に、パウルスが腰かけた。
「来て良かったろ?」
パウルスにそう言われて、不承不承、ヨハン少年はうなずいた。
「俺、ここにどれくらいいれるんだ?」
「君の場合は、けっこう年がいってるからな。すぐにでも、親方職人たちの面接を受けてもらって、気に入ってもらえたら、住み込みの徒弟として引き受けてもらう事になる」
「えっ……。俺、村抜けしてんだけど、いいのかよ?」
「“都市の空気は自由にする”って言ってな。この市に来て一年経てば、仮に元の領主がお前を差し出すよう要求しても、市は断るんだ」
パウルスの返事に、ヨハン少年は衝撃を受けたように固まった。
おそらく、あのイエルクリングとか、良くない輩に適当な嘘を吹き込まれていたに違いない。
「ただ、市民権を得られる訳じゃない。市民権を得るには、一人前の職人になった後、同業組合に認められて親方株を買わなきゃいけない。それは中々難しいのは確かだから、うんと働かないとな」
パウルスは、少年の置かれた状況を、そう説明した。
ヨハン少年は、新しい境遇を飲み込む為に、必死に考えている様子だった。
「もし、どの親方にも拾ってもらえなかったら……?」
「君が十五歳になるまでに引き取り手が見つからなかったら、私の所へ来る事になる。ちなみに君は何歳だ?」
「十四……」
ヨハンの答えに、パウルスはうなずいた。
体格的にもう少し幼いように見えたのは、十分に食事がとれてないからだろう。
「どんな仕事がやりたいか、希望はあるか? その親方を呼んでこれるとは約束できないが、聞いておきたい」
「……」
少年は、何も答えられなかった。
まあ、突然言われても困るだろう、とはパウルスも思う。
「それはゆっくり考えてもらっていい。ところで一つ聞きたい…いや見せてもらいたいのだが」
パウルスは、話題を変えた。
「その足、見せてもらっていいか?」
少年は、大人用の大きな長靴下を履いて、余った裾を、床にこすらない程度にまくっていた。
ヨハン少年は、途端に剣呑な表情になった。
刺すような視線をパウルスに向ける。
パウルスは腹に力を入れて、その視線を受け止めた。
腰は浮かさない。しかし少年がいつ踊りかかってきても、対処できるようにする。
ヨハン少年は、しばらく様子を伺っていた。
やがて、のろのろと裾を、膝の下までずり上げる。
異様に発達したふくらはぎだった。
全体的に小振りな少年の体格なのに、そこだけ大人のすねがついているかのよう。
これでは、普通のサイズの長靴下は入らない。
「なんか、文句あるのかよ?」
「別に、ないさ。前から、こんなに太いのか?」
「こんなにでかくなったのは、ここ二、三年じゃねぇかな」
「そうか……。いや、君の跳躍力を見て、武術を覚えたら、どういう動きができるんだろうと想像してたんだ」
そう言ったパウルスの顔を見て、ヨハン少年は呆気にとられたような顔をしていた。
「もしよかったら、徒弟入りが決まるまで、うちの道場に通わないか?」
ヨハン少年の表情と気配が、いわく言いがたい移ろいを見せた。
この異形とも言える脚を抱えて、少年がどのような苦労をしたか、それで察せられる。
だから、パウルスは待った。
やがて、少年は口を開いた。
「……まあ、別にいいぜ」
「じゃあ、決まりだな」
パウルスが片手を差し出した。
ヨハン少年は、その手をおずおずと握った。




