天魔 六
午後も遅くなり、少年はしば刈りを切り上げて、帰る事にした。
尾根を越えたら、老女が先刻と同じ所に座り込んでいるのが見えた。
寄って行って声をかけた所、膝を痛めて休んでいるとの応えだった。
「ちょっと休んでれば良くなるから、気にしないでくださいまし」
相変わらず、気取った物言いだったが、その表情には弱気が隠せていなかった。
少年は、老女の集めたしばと、自分の分をまとめて片手に抱えた。
残りの手で、老女の手を引く。
「日が暮れんダロォ!? ちったぁ気張れや……」
老女は、右手を少年に引かれ、左手でつえを突き、よたよたと歩き出した。
「すまないねぇ、坊や」
申し訳なさそうに、老女が礼を言った。
口調も、崩れた。
時折、老女が釣り合いを失うと、手を強く押し下げられるので、持ち上げるように支えた。
老女の手は小さく、しわだらけだったが、暖かった。
少年は老女の家の場所を尋ねた。
老女の案内する通りに手を引いて歩く。
橋を越え、市門を越え、下町を抜けた。
最後に着いた所は、聖霊施療院だった。
ここに住んでいるのかと問えば、そうだとの返事だった。
「ここで下働きのような事をさせてもらって、もう五十年になる。有難い事だよ」
「ハッ! 五十年とか笑ける……」
少年は、今は夕焼け空を切り取っている切妻屋根を見上げた。
別れを告げて帰ろうとする少年の手を、老女は離さなかった。
「差し出がましいようだけど、あんた、帰る所はあるのかい?」
自分の風体を考えると、恰好を付ける意味はあまり無いだろう、と少年は思った。
「ネグラならあるけどな。家っつーにはボロだけどよぉ」
「なら、あたしと一緒に来な。しばらくいられるように、口を利いてあげる」
老女の誘いに、少年は首を横に振った。
「何故だい?」
老女は手を離さない。
少年は、言葉を探した。
「……俺ァ、知ってるんだ。旨い話には裏があんだ」
少年は口を開いた。
老女はうなずいて、先を促す。
「あそこの中庭には、ガキの骨が沢山埋まってるの、知ってんだ俺ァ。ヘンタイ修道士どもが親ナシのガキにヤラしー事して、証拠埋めてんのよ」
ヨハンネスは、一息にそう言った。
老女は。そんな少年を呆れて見つめた。
「どこでそんな事を吹き込まれてるんだい? バカバカしい。ちょっと考えれば判るだろうに」
「バカじゃねーよ! みんな言ってんだぞ。何の得にもならねーのに、病人だの怪我人だの面倒見るなんて怪しすぎらぁ!」
「そうさねぇ。何の得もないかもねぇ。でも、裏なんて無いんだよ。皆、神様の御心に沿おうとしているだけなの」
「神様?」
「そうさ、神様はね、貧しい人や病気の人、孤児や後家さん、困ってる弱い人みんなを、神様を愛するように愛せって教えてくれてるんだ。だから市の皆が、自分の食い扶持の中から寄付してくれるんだよ。ねぇ、だからあんたも、助けてもらっていいんだよ」
老女の説得に、少年はうつむいた。
少年が黙っていると、老女は手を離した。
「でも、無理強いはしないよ。もしあんたが来たくないなら、引き止めない。どうする?」
少年は、離れた老女の手を見た。
見ている内に、目まいがした。
自らの痩せ細った手足をチラリと見た。
「……チッ。仕方ねーなぁ」
舌打ちして、少年はそう言った。
「そういや婆さん、名前教えろや」
「あたしはドロテーアって名さ。さあ、早くお入り」
老女に連れられて、ヨハン少年は施療院の戸口を潜った。
お仕着せの袖なし上着を着た奉公人たちが、彼を見て、顔をしかめた。
その視線に、少年はひるんだ。
しかし少年が逃げる間もなく、彼らは少年を捕まえて、服を剥ぎ、井戸水を浴びせた。
冷たさに震え上がる少年を、海綿で擦り、清潔な布で拭くと、亜麻の敷布に包んで暖炉の前に座らせる。
「???」
ヨハンネスが呆然としていると、やはりお仕着せを着た中年女性がやってきた。
中年女性は、薄荷の葉が練り込まれた獣脂を少年の全身に塗り込んだ。
「ッザケンな! 何すんだ!」
「うるさい! こんなに全身ボロボロにしやがって! 毎晩これ塗るからな!」
叱り飛ばされて、少年が目を丸くしているうちに脂塗りは終わり、清潔な亜麻の肌着が手渡された。
少年は、その手触りに驚いた。
「肌着は水曜と土曜の夜に交換するからな。使い終わった肌着は、ここの大籠に入れておけ!」
更に、木製のさじ、深皿、杯が手渡される。
「これはお前専用の食器。無くすな!」
もう、少年は驚く事しかできない。
食堂に連れて行かれ、塘蒿と茴香、小麦粉の煮込み汁を食べた。
野菜の香りの甘さと滋味に目を丸くする。
その後、別の建屋の広間に連れて行かれた。
木製の寝台がたくさん連なって並んでいた。
どの寝台も、板で囲われて箱状になっており、よく乾いたわらが敷き詰められている。
厚地の毛布を一枚与えられ、十歳ぐらいの少年と共に寝台に放り込まれた。
アルノーという名の孤児で、少し話をした所、彼も三ケ月ほど前にここに来たばかりだという。
色々尋ねたい事があったが、少年がもう眠そうで、あまり話を聞く事ができなかった。
それでヨハンも眠るしかなかったのだが、人肌の温もりが思いのほか暑いほどだった。
この冬、はじめてヨハンは熟睡した。




