天魔 四
パウルスまず、銀貨を返すよう要求した。
ヨハン少年に否も応もなく、床板を外して、銀貨の入った巾着袋を取り出す。
パウルスは、大男が残していったろうそく行灯を床の上に立て、自らは腰を下ろした。
「ところで、どうやって財布をすった? 正直、警戒はしてたのに、いつやられたのか判らなかった」
青年が尋ねた。
少年は答えない。
言葉を話せないのか、と問えば、違うと答える。
少年は、年の頃は十ニ~十四歳くらいだろうか。
痩せ細り、汚れた浮浪児。
ふて腐れて黙っているのではなく、本当に途方に暮れているようだと、パウルスは思った。
「では、もう一回、やって見せてくれ」
青年は立ち上がって、太股の付け根ぐらいまで覆っている短衣の裾をめくった。
取り返した巾着の紐を結びつけて、腰帯からぶら下げる。
しばしヨハン少年はためらい、結局は巾着切りを再現した。
前腕の内旋、つまり内側にひねる動きを使った巧妙な動きだ。
「ああ、ねじれ斬りの動きか……。こっちの釘は、自分で削ったのか?」
パウルスの問いに、少年はうなずいた。
青年は、これを誰かに習ったのかと尋ねた。
少年は、自分で考えたと答える。
パウルスは、ヨハンを繁々と見つめていたが、不意に寒そうに両腕を抱えた。
「こんな所、ねぐらにしなくてもいいだろう。修道院や施療院なら、行き場のない奴の面倒を見てくれる」
「アァ? そんな所入れねーよ」
「なんでだ?」
「……俺ぁよぉ。アア……なんだ? 勝手に村抜けしてっから……」
孤児の答えに、ニュルンベルクの市民は顔をしかめた。
「それは、誰に言われた?」
「アァ? 誰だ? イエルクリング……」
「それは誰?」
「さっきの大男」
それを信じたのか?と尋ねるパウルスに、ヨハン少年は疑わし気な目を向けた。
「俺だってよぉ、この市に来たのは三年前だけどさ、教会とか色々行ったんだぜ? でも、どこでも追い払われったつーの」
少年の言葉に、パウルスは、やるせない表情を見せた。
「祈る人たちは、どこの村から逃げてきたとか、そんな事は気にしない。三年前と言えば、黒死病で大勢死んだ年だ。中で病が広がるのを恐れたんだろう」
ホアキムの言葉に、少年は、表情のない顔で彼を見た。
「聖霊施療院《ハイリヒ=ガイスト=シュピタール》を訪ねてみたらいい。きっと助けになってくれるはずだ」
そう言い残して、パウルスは立ち去った。
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翌日、暁闇のうちに、ヨハンはぶな林に向けて歩き出した。
吐く息が、白い。
一番、寒い時間だ。
粉屋の職人たちが現れるまでにまだ時間があるが、ある程度の明るくなったら、身体を動かしたい。
しばを刈っていると日が昇り、夜気が緩みだした。
ようやく人心地がついた気分になっていると、沢の曲がり角にブナの実がいくつか溜まっているのを見つけた。
この季節に残っているのは、かなり幸運だった。
殻を剥いて、実を食べた。
それから、ハラー小門をくぐって街中に入った。
ペグニッツ河畔沿いの市壁の近く、ごろつき小路に向かう。
とある酒場に入った。
昼間から屯するのは、失業中の下男や女中、今日の仕事にありつけなかった荷役人夫といった人々。
ヨハンは片隅に置かれた、たるの影に座った。
運が良ければ、酒場の主か女中が使い走りの仕事をくれる。
しかし今日、ヨハンが期待しているのは、そういう類の幸運ではなかった。
一時間ほども待っていると、幸運が訪れた。
昨日、イエルクリングに蹴られていた取り巻きが席に座り、麦酒を頼んだ。
仲間を一人連れている。
無頼漢二人は、声を潜めて、ファビアンの死について話しだした。
「亡骸はどうしたんだ?」
「役人に言ったらよ、墓掘り人が来て、聖ローレンツ教会の共同埋葬地に埋めてくれた」
「弥撒はしてもらったのかよ?」
「そんなんあるかよ! 墓掘り人が埋めて、それで終わりよ。仕方ねぇから立ち会ったけどさぁ。墓掘り人が掘ったら、前の奴が出てきてよ……まだ、髪とか残ってんのよ……」
「……」
「墓掘り人の奴、気にしねぇで手桶に突っ込んで納骨堂に放り込んで……。あれじゃあ、救われねぇ……」
「ファビアンの野郎、一時は錐鍛冶の親方の所で仕事にありついてたんだよな。あのまま真面目に続けて、若手職人の兄弟団に入れてもらえてれば、せめてまともな墓に入れたんだけどな……」
ため息をついた二人は、やがてイエルクリングについてうわさ話を始めた。
いわく、何人もの集団に襲われたとか、片手を斬り落とされたとか、そんな内容だった。
どうやら、イエルクリングはニュルンベルクを離れて逃げたらしい。
それを受けて彼らは、自らの身の振り方を考えている様子だ。
「あの野郎が大枚引っ張れるなんて与太を抜かすから付き合ったら、この様よ」
「地元の奴に聞いたら、あのパウルス・カルって奴、有名な剣術家らしいぞ。偉い殿様にも教えてるって」
「イエルクリングを遣っ付けたのも、多分あいつだ」
そんな話を続けていた無頼漢の二人だが、彼らも最終的には市を離れる事にしたようだ。
ヨハン少年は胸をなで下ろしながら、酒場を抜け出した。




