天魔 二
みすぼらしい身なりの少年だった。
年の頃は、十二~四歳ほどか。
胴着や帽子は、破け、解れ、色々な汁が染みこんで、暗く変色している。
ぼろ着にも、もつれた黒い長髪にも、枯れ草や枯れ枝が絡まっていた。
腕は真っ黒で、ただれた皮膚が剥け、赤い傷口がのぞいている。
更に奇妙なのは長靴下だった。
本来なら脚にぴたりと沿う仕立てが当たり前の時代なのに、彼が履いているのは大人用が擦り切れて、ぼろぼろになったものだ。
擦り切れた裾が、漏斗の口みたいに脛のまわりへ開いていた。
「イエルクリングさん、チーっす」
少年は、彼を呼び止めた男に軽く頭を下げた。
男は、舌打ちして立ち上がった。身の丈六尺を超える大男で、身体も分厚い。
彼の周囲にいた男たちが、少年の様子を嘲笑った。
「テメェ話聞いてねぇな……。な、に、し、て、ん、だ!」
イエルクリングと呼ばれた男は、かんの強そうな顔をゆがめた。
「な、なんでもないです。ちょっと急いでただけなんで」
「……ああ? 何がちょっとだ。なめてんのかテメェ!」
少年が何を言っても、イエルリングの声が大きくなっていく。
自分が発した罵声に興奮するかのように声を荒げていく大男に、少年は怯えた。
大男が、また怒りを募らせる前にと、思いついたままを口走る。
「パウルス・カルの後をつけてるんス。あいつファビアンから、しこたま巻き上げたんすよ」
「ファビアンはどうなったんだよ? おっ死んだか?」
「いや、金払って逃げたんで、無事っス」
「はぁ? 俺の面子潰して逃げたんか? アアッ!?」
イエルクリングが突然、周囲の取り巻きを蹴った。
腹を蹴られた男がうずくまる。
ファビアンに対して感じたはずの怒りが、蹴った事でそちらに移ってしまったかのように、イエルクリングは尚もしつようにに蹴り続けた。
少年は、逃げるなら、ここしかないと思った。
「ち、ちょっと俺、パウルス・カルの奴からギってきます!」
ゲジゲジとあだ名を付けられている少年は、急いで路地裏を離れた。
あの大男は怒りはじめると止まらないし、口にするのも怖ろしいような事を平気でやる。
少年は、眉を八の字にしかめ、足を速めた。
聖母教会前の広場の一角。
近郊の農民が、地面にござを広げ、野菜や手仕事品を並べている一画。
パウルス・カルは、ろうそくを売っている農婦と笑いながら話し込んでいた。
綺麗にひげを当たり、大きめの目を持つ彼は、そうしていると少年のように見えた。
「教会に奉納する灯明に丁度いいんですよ。これを、定期的に作ってもらえないですか?」
「いんやぁ、そういうのは、ろうそく職人組合に、にらまれるんで勘弁してくんろ。家で作って余った分だけ、って取り決めなんでさぁ」
頬をやや赤らめた農婦が、嬉しそうにパウルスの質問に答えた。
そんな話をしている後ろから、ゲジゲジの少年が忍び寄った。
手には、刃物というには貧相な金物を握っている。
五寸釘を、河原の石で叩いたり磨いたりして作った物だ。
左手で胴着の裾をまくり、腰紐から下がっている巾着袋を確認した。
親指を立てて隠すように握り込んだ金物で、薄い革袋を吊るしている革紐を切った。
そのまま革袋を自分の懐に入れる。
傍から見る限り、少年の肩や腕はほとんど動いてない。手元も、隠されている。
少年は、背を向けて、その場を離れた。
パウルスが気付いた様子はない。
周囲の買い物客も、誰も何も言ってこない。
少年は、ゆっくりと歩き、広場を後にした。
浮浪少年は、西のハラー小門を抜け、堀にかけられた陸橋を渡った。
しばらく街道を行くと、道を外れてぶな林の中に足を踏み入れた。
しば(枯れ枝や、小さな雑木)を手折って集め始める。
しかし、四半時もしないうちに、少年はぶなの根本に座り込んでしまった。
こけ生した樹皮に背を預ける。
顔色は青白く、目の下のくまが濃い。
それでも少年は目を閉じず、神経質に周囲をうかがっていた。
やがて日が暮れ始めると、少年は立ち上がった。
少し歩くと、ペグニッツ河の両岸に建物が連なっているのが見えてきた。
低い堰で区切られたペグニッツの流れに寄り添うように、大振りな建物が建っている。
川面に張り出した桟橋、水輪を覆う半円形の庇。
大ヴァイデン水車と名付けられたそれは市の所有物で、市内のパン屋に穀物粉を供給している。
城壁の“外側”だが、ハラー小門から歩いて10分とかからず、日中は荷車がひっきりなしに往来している。
欄干の低い木橋を渡って南岸にも水車小屋があるが、こちらは焼けており、半ば崩れかけている。
小ヴァイデン水車と呼ばれていたものだが、市に対する私闘で焼き討ちをされ、まだ再建の目途が立っていないのだ。
当時、このような水車小屋がニュルンベルクには十二ヶ所あったと言われている。
穀物の製粉に留まらず、研磨機や水力ハンマーとして金属・皮革・織物の加工に幅広く用いられたようである。
水車小屋で働く粉屋たちが、その日の仕事を終え、市内の住まいに戻っていった。
やがて晩鐘と共にハラー小門が閉じられ、あたりは夕闇に塗り込められた。
それを見届けた少年は、隠れていたやぶから身を現した。
鼻を地面にこすりつけるように、大ヴァイデン水車小屋の周りを這い回る。
水車小屋は厳重に戸締りされているが、時たま、落穂や挽き滓を拾えるのだ。
今夜は天気が良く、月明りを頼れたので、少年はふすまを少し手に入れた。
その後、少年は木橋を通って南岸に渡り、小ヴァイデン水車小屋に向かった。
水車小屋の壁は、すすで黒く汚れている。
扉は無いし、屋根板も一部無くなって骨組みの垂木が剥き出しになっている。
少年は四つん這いになって、河の流れに口をつけた。
腹が膨れるまで、水で満たす。
それから、一かけらずつ、ゆっくりとふすまを噛みしめた。
これが少年が今日、口にした物の全てだった。




