女武芸者 五
オットー一世・フォン・プファルツ=モスバッハは、ドイツでも指折りの名門プファルツ家の出でありながら、決して恵まれた立場とは言いがたい男であった。
父ループレヒト三世が没すると、広大なプファルツ選帝侯領は兄弟たちで分割された。長兄ルートヴィヒ三世は選帝侯位と要地を受け継ぎ、他の兄弟たちにもまとまりのある領地が与えられたのに対し、オットーに回ってきたのは、あちこちに飛び石のように散らばる城と村ばかりだったのである。
それでも、オットーは不平を鳴らして座り込むような性分ではなかった。
彼は統治においてその剛腕を振るった。周辺の土地を強引に買い上げ、版図を少しずつ広げて、ついにはプファルツ=モスバッハ家を打ち立てたのだ。
その力量は、選帝侯となった兄ルートヴィヒ三世ですら認めざるを得なかった。兄が聖地巡礼の途上で病を得て帰国した折には、政務の大半をオットーに預けたほどである。
やがて兄が世を去ると、オットーは甥ルートヴィヒ四世の「後見人」という名目で実権を握り、プファルツの代表として皇帝選挙にも深く関わることになった。アルブレヒト二世、続いてフリードリヒ三世を推す場にも与り、その名は帝国中に知られるところとなる。
当然ながら、オットー公の顔色をうかがい、利を得ようとする領主や貴族たちは後を絶たない。ヘイデルベルク城には日々、趣向をこらした賄賂や贈り物が運び込まれ、その量たるや、
「城を築く有りさまだ」
とまで言われた。
帝国有数の実力者がそうなのだから、世の風潮がどのようなものかは察するに余りある。
あちこちで「正義」を口にする者たちは、
「まったく嘆かわしい。世も末というものだ」
と慨嘆し続けていた。
そのオットー公が武術好きだというのだから、少々ちぐはぐな印象もあるが、事実である。
年に一度ほど、ハイデルベルク城で非公式の武術試合が催されるのだ。
もっとも、これもオットー自身の発案というより、側近や取り巻きたちが自分の推す剣士を披露する場として盛り上がった結果であろう。
彼らは、自分が連れてきた武術者が城内で評判になれば、その余勢で主君の目にとまり、恩寵にあずかれると信じている。
こうした話を、ヨハネス・リヒテナウアーはミュンヘンの宮廷で耳にした。
上バイエルン=ミュンヘン公アルブレヒト三世自身の口からである。
この殿さまはヨハネスの座談を好み、年に何度か城へ招いては、諸国の事情や噂話を聞き出すのを楽しみにしていた。
戦場と諸都市を渡り歩いてきたヨハネスの話の種は尽きることがなく、その座談を好む諸侯や貴族は、上バイエルン=ミュンヘン公のほかにも多い。
そうした人々は皆、剣客ヨハネス・リヒテナウアーの庇護者と呼んでも差し支えなかった。
さて──話をもとへ戻そう。
(オットー公の妾腹の娘が、豪商ハルスドルフ家の息に嫁ぐ)
その縁談そのものは、さほど不自然とは言えない。
だが、
(そのハルスドルフ家の用人が偽名を使ってパウルスのもとを訪れ、金貨を積んで「人の両腕を折ってくれ」と持ちかけてきた)
となると、話は別である。
三日ほど経ってからであった。
ハンス・タルホッファーが、みずからヨハネスの元を訪れ、続きの報告をもたらした。
ハンスの手下が、ハルスドルフ家の下屋敷に出入りする人足の男──コンラートという者に金を握らせ、酒を飲ませながら話を聞き出したという。
それによれば──。
オットー公の妾腹の娘は、ハルスドルフ家へ嫁ぐにあたってただ一つ、条件を突きつけた。
娘の名はザーラ、十七歳。
そのザーラが言うには、
「わたしをめとる方は、わたしより強くなければいやです」
というのである。
つまり、将来の夫となるはずのハルスドルフ家の息子ヴォルフガングと剣を交え、もし自分が敗れたならば潔く嫁ぐ、と言い切ったらしい。
それが縁談の条件だ、というのだ。
「むう……」
ヨハネス・リヒテナウアーは、思わず唸り声を漏らした。
「ずいぶんと変わった娘だな」
「しかし、どうやら本当の話らしいのです、先生。そのせいで、ハルスドルフ家中はたいそう騒がしいとか」
「その息子とやら、武芸の心得はないのか」
「噂では、剣を腰に差しただけで足元がおぼつかなく見えるとか」
「大店の主になろうという男が、みっともない話だ」
時は中世、自力救済が当たり前の世の中である。
いざという時に城壁を守るのは市民たちであり、都市貴族は騎兵として訓練を受け、馬上槍試合を嗜む。
農民とて例外ではなく、盗賊やならず者、時には鎧を着た騎士とやり合わねばならない。
およそ社会の成人で、闘争に備えてない者というのはいないのだ。
「ですから、ハルスドルフ家さまも弱っていなさるのだそうで」
「なぜだ。いくらひ弱な若さまでも、むすめひとりぐらいなんとでもなるだろう」
「それがそのお嬢様、アウクスブルクのバウマン・ラスト師の高弟だそうで」
「ほほお……」
アウクスブルクは伝統的に武術が盛んな都市である。
その地で名高い武術師範のラスト師は、新しい武器である手持ち砲の術なども考案し、道場にはドイツ全土から入門希望者が絶えないという。
その門下で高弟とされる者であれば、よほど腕に自信があるのだろう。
「だからこそ、ハルスドルフ家も頭を抱えているのでしょう」
「オットー公の子を身内にすればハルスドルフ家も、うまい汁が吸えるだろうからな」
「ちなみに、オットー公ご本人もたいへん乗り気だそうでございます」
「そうか……」
ヨハネス・リヒテナウアーは顎ひげに手をやり、呟いた。




