英雄 三
「あと、分割払いを組む練習をしましょう。パウル君、毎月決まった額を三年支払うとして、貴方はいま、幾らぐらいの買い物ができる?」
戸惑うパウルスに、更にゲルトルートは尋ねた。
「まあ、月に三ポンドは出せるから……」
パウルスは指折り数え始めて、すぐに指が足りない事に気付いた。
「……蝋板をお借りしても?」
「はい、これ」
パウルスは、蝋板に木筆で刻み目を入れながら、数を数えた。
「……一〇八ポンド?」
「私の利益として二割ぐらい乗せてもらわないと、分割払いを受ける意味がないわ」
そう言われて、パウルスは色々刻み目を入れ直したが、最終的に蝋板を放り出した。
「……わかりません」
「じゃあ、月に三ポンド返済するという計算で考えてみるわね」
ゲルトルートは、線を織り込んだ布を広げ、その上におはじきを並べて計算し始めた。
「貴方は、八十六ポンド八シリングの品物を買って、三年で一〇八ポンド返す事になる」
パウルスは、ポカンと口を開けて、それを聞くだけである。
「でも本当に毎月三ポンド支払える? あの道場、そのうち修繕が必要にならない? 今回みたいに武具が必要になる事はない?」
ゲルトルートに言われて、パウルスは困り顔になった。
「私が分割払いを受け取る側だったら、月収四ポンドの人が毎月三ポンド払う分割払いは呑めないわ。だってそれは貴方が怪我も病気もせず、現状維持できるって想定だから。現状維持を考えてると、それ以下にしかならないの。もっと儲けを大きくするって計画を立てて、それで現状とんとんぐらいにできれば御の字なのよ」
「儲けを大きく……」
正直、パウルスには何の当てもなかった。
リンゲックのように、宮廷子弟に剣術を教えたり、馬廻り・輜重隊番としてお役目を得られれば、その手当も期待できるかもしれない。
しかしオットー公に威勢の良い事を言ってしまった事もあり、ハイデルベルクの宮廷でそういった余禄にあずかる見込みは薄い。
「私は、剣士です。いつ、剣に斃れるやもしれません。そんな先の事は考えられませんよ」
それでパウルスは、ゲルトルートにそういう言い方をした。
「貴方が、十字軍の頃の騎士だったら、それで良かったかもしれない。あるいは遠隔交易する船長なら。危険も大きいが、見返りも大きい相手と商売をしたい人は多いわ」
そこで言葉を区切り、ゲルトルートはじっとパウルスを見た。
言外に、お前は大きく成り上がる展望はあるのか?と尋ねられているのは理解した。
理解はしたが、頭は混乱するばかりだった。
考えてみると、選帝侯の武術師範という地位は、望外のものではあったが、逆に言えば剣客としては、これ以上は望み難い。
では、世の盗賊騎士のように私闘で荒稼ぎを目指してみるか?
だが、商人の執務室を実際知ってみれば、盗賊騎士など、商人が生む富に寄生しているように感じた。
もう、そういう時代なのだ。
だから、ニュルンベルク城伯は資金繰りに困って、市の統治権を売り払った。
父、リヒテナウアーは、しばしば自らの剣術を「代々、宮廷に伝わってきた騎士の剣術である」と表現する。
だが、騎士道の誉も栄華も、昔日の形骸をとどむるのみ。
そんな時代に、一市民であり、その事に誇りを持つ自分が剣術をやる。
その事の意味を、改めて考えざるを得ない。
ゲルトルートの元を辞去した時、パウルスの胸の内に整理された想念を言語化すると、そうなった。
その時は、しどろもどろになり、退散する事しかできなかったが。
その週は、パウルスは稽古に身が入らなかった。
身体は日課をこなしているが、ただそれだけだった。
翌週になって、稽古に来ていた女武芸者のザーラから、パウルスはとある報せを聞いた。
「パウルス殿、もう聞かれただろうか? ブランデンブルク辺境伯・選帝侯のフリードリヒ閣下が、亡くなったそうだ」
フリードリヒ一世フォン・ブランデンブルク(城伯としてはフリードリヒ六世)は、ニュルンベルク市参事会に城伯城と統治権を売却した人物である。
実はその前に、彼は皇帝ジギスムントを支援する見返りに、ドイツ北東部のブランデンブルク辺境伯領を封土として受領していた。
ブランデンブルク辺境伯は由緒ある称号で、格式としてはニュルンベルク城伯より上になる。
それで、ニュルンベルク市を失った後の城伯領も、ブランデンブルク辺境伯領と称される事になった。
「ブランデンブルクは、三人の息子たちが継がれたが……。彼らも、称号から「ニュルンベルク城伯」を外していないそうだ」
つまり、触れ役に名乗りをあげさせる時に、「ブランデンブルク辺境伯にしてニュルンベルク城伯」と言わせているという事である。
法的には、フリードリヒ元城伯も、既に城伯を名乗る権利はない。
ただ、彼は最後まで城伯を名乗り続けた。
そして息子たちがそれを引き継いだというのは、ニュルンベルク市を取り戻す意思の表明である、と周辺には受け取られていた。
それは、ニュルンベルク市民にとって間違いなく不安をかき立てる報せだった。
「……」
パウルスの口が、への字に引き結ばれた。彼もまた、想う所があるようだった。
その日の稽古は、熱が入ったものになった。
ホーホベルク家から通っている若者たちが、足取りも重く道場を離れた後も、パウルスとザーラは稽古を続けた。
「私は、やはり巻きが一番頼りになる技だと思う。これをしっかり、身体に覚えさせてください」
パウルスはそう言って、巻きの様々な変位(大まかに八つの形があり、細かく分けると二十四の形になる)を、何度もザーラと繰り返した。
終わる頃には時間が遅くなっていたので、道場に泊まっていくようにザーラに勧める。
「……」
さすがにザーラも、一瞬躊躇した。
それを見て、パウルスも目を泳がせたが、やがてザーラの目をまっすぐ見た。
「本当に、君の身を案じてるだけなんだ。信じて欲しい」
「いやちょっと待ってくれ……考えるので……」
腕組みし、しばらく迷ったあげく、結局ザーラは一晩泊まり、翌朝に帰っていった。
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