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長剣と銀貨  作者: ビルボ
第五話 英雄
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英雄 一






 一四四〇年九月十四日水曜日、聖十字架称揚の祝日の朝。

 パウルス・カルは、第一課(午前六時)を告げる鐘の音で目を覚ました。

 小柄で白い肌、いかにも柔和に見える面立ちをした十九歳の青年である。

 だがその内には、己の道場を構える剣士という自負があり、精神も肉体も日々、研ぎ澄まされていた。

 

 彼は土間の隅に置かれた水瓶で顔を洗うと、身を震わせた。

 短い夏は過ぎ、早くも朝晩の冷え込みが目立つようになってきた。

 道場の周囲の松林から淡い霧が小川に降り、土間の入口にまで湿りを運んでいた。

 

 パウルスは身支度を整えると、道場を出てニュルンベルクに向けて歩き始めた。

 歩く事、小一時間。

 市の北西、ノイトルトゥルム門を通って市内に入る。

 

 まず視界に入るのは、砂岩の尾根だ。

 市街の上に張り出す岩の稜線の上に、城壁と一体になったニュルンベルク城が見える。

 まだ朝のこの時間、岩肌は夜露を含んで暗く、冷たい。 

 

 城を凝っと見れば、崩れた石が転がり、壁は妙に低く、斜面だけが不自然に均された一画が目に留まる。

 そこはかつて城伯(ブルクグラーフ)城と呼ばれた区画で、一四二〇年の戦で(こぼ)たれた。

 その後、一四二七年に城伯(ブルクグラーフ)フリードリヒ六世から、市参事会が、いくつもの統治権とあわせて買い取っている。


 城伯(ブルクグラーフ)という一風変わった呼称は、ニュルンベルクを中心としたフランケン地方の一部を統べる者の称号——「ニュルンベルクの殿様」を意味した。

 つまり、ニュルンベルクが帝国自由都市として自治を始めてから、まだ十三年しか経っていない。


 だからニュルンベルクで育ったパウルスは、その廃墟が好きだった。

 かつての支配の名残が崩れたまま晒され、いまこの町を動かしているのが「誰かの城」ではなく、市井の人々の営みだと、無言で示しているからだ。


 パウルスは旧城を離れて、市内に歩んで行く。

 街並みに、木と泥壁、煙、皮なめしの酸の匂い、パン窯の甘い香りが混ざり合い、生活感のある佇まいになっていく。

 やがて、市庁舎と、広場を挟んで向かいに立つ聖セバルト教会が見えてきた。

 

 聖十字架称揚の祝日は、真の十字架(ナザレのイエスがかけられた木製の十字架)を称え、祝う日だ。

 そのため石造りの扉口の近くに、十字を描いた小旗や、十字を象った板絵が立っていた。

 参詣者は手に手に、小さな蝋燭や、道端の草花を束ねたものを持ってきている。

 溶けた蝋の微かに甘い香りが、冷たい空気に混じっていた。


 教会の前で、パウルスの父と義母が待っていた。

 

 父、ヨハネス・リヒテナウアーは隠居した剣客で、老いてなお壮健な偉丈夫だ。

 毛皮を控えめに利かせた外套で体を包み、飾り頭巾(シャペロン)をかぶらずに頭に巻いている。

 

 義母のゲルトルートは、豪商(エールバレ)の女主人だ。

 すらりとした長身を、毛皮縁のついた黒色の長衣(フーペランデ)で覆い、髪は麻の被り物で隠していた。


 威厳と気品をそなえた美男美女の組み合わせは、周囲の注目を集めていた。


 落ち合った三人は、弥撒(ミサ)に出席する為、連れ立って教会に入っていった。



 

 弥撒(ミサ)が終わり、家族塔でくつろいでいる時に、パウルスは新しい鎧を新調する必要がある事を父母に告げた。

 若き選帝侯の武術師範(シルムマイスター)として、ふさわしい装備が必要だと、彼の従姉妹から助言を受けたのだ。


「鎧って、いくらぐらいなの?」


 ゲルトルートが尋ねた。


「紹介された甲冑師が、諸侯の為に作る甲冑は、最低で三十ポンドからだそうです。最高品質品だと六十ポンドだとか……」


「結構するわね……」


 パウルスの答えに、ゲルトルートは驚いた様子を見せた。


 中世欧州の貨幣制度のわかりにくさに、実体貨幣(実際に流通している貨幣)のほかに、計算貨幣(価値尺度としての貨幣)が存在するという点がある。

 この場合、ポンドというのは計算貨幣である。

 実体貨幣としては、当時のニュルンベルク周辺ではライングルテン金貨という物が高額硬貨として流通しており、レートは変動するが、おおむね一ポンド=一.三~一.五ライングルテン金貨と考えてもらいたい。

 ただ金貨は流通量が少なく、庶民はペニヒ銅貨、良くて広幅グローション銀貨ぐらいしか見た事がないのが実情である。


 そして三十ポンドと言えば、ニュルンベルクの一般的な市民である親方職人の半年分の収入を超える。

 また、ゲルトルートが采配するホーホベルク家商会の利益で言えば、一~二カ月分に相当する。

 パウルスはと言えば、武術師範(シルムマイスター)として四週に一回、四ポンドの給金を、選帝侯の宮廷から支給されている。

 

「残念ながら、私の蓄えでは足りません。援助をお願いしたく」


 あっけらかんと、パウルスは金の無心をした。


 ヨハネスは、渋い顔で、息子を見た。

 パウルスの師は、昔ながらの騎士気質な人で、財布などは従者に預けるもので、金勘定をするのは武人らしくないという美意識の持ち主だった。

 どうにもパウルスも、その価値観を受け継いでしまった感がある。


「オットー公は紹介状を書いてくれたとの事だが、(つい)えについては何か言われてないのか?」


 ヨハネスが尋ねると、パウルスは、何も言われていないと答えた。

 

 夏のミュンヘンでの出来事以来、老剣客はどうにも心が晴れず、ため息をつくのが習い性になっていた。

 今もひとつため息をつくと、


「駄目だ。これはお前のお役目のことだ。お前ひとりで、なんとかするんだな」


 そう言って、席を立った。


「ホーホベルク家から援助するのも、駄目だからな」


 ゲルトルートにそう言い渡して、家族の間を出て行ってしまった。





挿絵(By みてみん)

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