雷神 七
最後の試合。
審判が変る旨が宣告され、市民達にヨハネスが紹介された。
「ジークムント殿の師匠らしいぞ」
「ニュルンベルクの大師リヒテナウアーといや、知る人ぞ知る大物だぞ」
訳知り顔の事情通が、市民に講釈を垂れたりしていた。
そして、ボヘミアの騎士、ヴァーツラフ・ホドニョフも紹介された。
中肉中背、歳は三十手前ぐらいで、これといった特徴はないように思えた。
だが、彼が長剣を構えた時、ジークムントの顔色が変わった。
(これは……)
ジークムントは、背中に冷たい汗を感じた。
——八百長どころではない、自分が全身全霊で戦っても、打ち勝てるかどうか……。
(いかんな。お遊戯会をしている馬廻り番の勝てる相手ではないわ……)
ヨハネスは、更に厳しい見立てをしていた。
技量云々ではない、ボヘミア剣士の虚ろな眼と殺気が、老剣士の心肝を寒からしめた。
—あれは、地獄に心を置き去りにした者の眼だ。
凄惨な光景に囚われ、身はここにありながら魂が戻りきっていない者の眼。
そうした者の虚無が、渦のように周囲の命を吸い寄せ、呑み込んでいく—。
ヨハネスの心象を言葉にすれば、このようになった。
(ジークよ、もはや真剣勝負のつもりでやらねば、死ぬぞ! わかっておろうな!)
刃引きの模造長剣とはいえ、鉄剣である。殺意を込めて叩けば、頭を砕く。
そういった事故も、なくはないのである。
じりじりと間合いを窺う両者。
観客も何かを感じたのか、かすかにどよめきながら、固唾を呑んで見守っている。
いつの間にやら空を雲が覆い、日が陰っていたが、それに気づく者も少なかった。
ジークムントは、突きが禁止であるにもかかわらず、切っ先を相手に向けて低く構える鋤の構えを取る。
それと見て取ったボヘミア騎士は、上段の構えを取り、更に大きく身体をねじるように振りかぶった。
大きな隙ができるが、下手に突きかかってきたならば、腹を貫かれながらでも必殺の強撃を振るう。そういう構えである。
それをありありと想像できたジークムントは、精神的な後手を取り続けた。
じりじりと間合いを詰めてくるホドニョフに対して、退いているうちに、木柵を背負ってしまう。
心身共に居着いてしまったジークムントには、敏捷な反応も期待できない
(もはや、これまでか……!)
ヨハネスは、白と黒の縞に塗り分けられた六尺の審判棒を構えながら、ボヘミア騎士の背後に忍び寄った。
自分の悪い膝では、いざ剣戟が交わされてからでは、間に割り込めない。
最悪の結果を避ける為、初撃が振るわれる前に試合を止めるべきではないか……?
ヨハネスが、まさにその決断を下す直前——
雷鳴が、とどろいた。
稲妻が近くに落ちた訳でない。ただ、ごう音が、薄暗い曇天に響いた。
直後、ボヘミア騎士のホドニョフは、剣を放り出し、地面にうずくまって頭を抱えた。
雷に怯えた、と書けば、子供じみてほほえましく感じるが、大の大人で、しかも今しがた人一人斬らんと気迫をみなぎらせていた騎士である。
それが、顔を歪め、冷や汗をかき、繰り言を呟きながら、何もかも放り出して身を震わし、悶えているのである。
その光景は、見る者の腹底に苦く重い物を生じさせた。
ある者は、突然の雷鳴に、神意を感じた。
ある者は、大砲や手持ち砲などの音と結びついた、戦場の惨たらしい記憶が、彼を苛んでいるのでは、と思った。
ヨハネスは、十字を切る仕草をした。
「ああ、天の御父よ 憐れみ深き御方よ
われら罪深き者どもの科を どうかお赦しくだされ
われらは弱き者にて 世の執心に絡め取られ
己が力のみでは勝利に至るすべを持ちませぬ」
小さな声で、祈りを捧げた。
この件でヴァーツラフ・ホドニョフは面目を失い、フス穏健派を支援する機運が萎んだ。
人々は、“やはりフス派に神はお怒りなのではないか”と噂し合った。
さすがにジークムントらが責められる事はなかったが、アルブレヒト三世が激怒しているので、早々にミュンヘンを離れた。
ニュルンベルクに帰る道すがら、ヨハネスがジークムントに声をかけた。
「なあ、ジーク。やはり剣士たるもの、いつ何があるかわからんよ。時々でいいから、パウルの道場に出てきて、鍛え直せ。ついでに馬廻り番の事を、パウルに教えてやってくれ。あれにも将来、きっと役に立つだろう」
項垂れて言うヨハネスの背中が小さく見えた。
ジークムントは、
「はい」
と答え、七年も不義理を重ねた事を悔やんだ。
【ゆる募】読者さまにちょっと伺いたいこと
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
これにて第四話「雷神」終了です。
『ドイツ剣客商売』を少しずつ続けておりますが、今後の参考に、読者さまのお声をゆるく伺えればと思い、こちらで失礼します。
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