雷神 二
案の定、パウルス・カルは渋い顔をした。
彼にとって武術は、命を懸けた真面目な闘争の手段であり、その為に日々、過酷な鍛錬を積み上げていくものだった。
本来、これを見世物に供するなど筋違いであるし、ましてや八百長など──言語道断であった。
しかし、
「上手に負けてやるというのも、案外難しいものなのだ。その辺の機微をジークに伝授するので、道場を貸せ」
と、ヨハネスに言われれば、否も応もない。
それに、パウルス自身、ジークムントへ報いたいという思いもあった。
母を亡くした幼き日々、道場で寄る辺なく過ごさぬよう、相手をしてくれたのが、ほかならぬジークムントである。
その頃のジークムントは、所領を離れ、ニュルンベルクで傭兵働きに身を置いていた。
もともと彼の家は、代々ザルツブルク司教領に仕える御家人筋であったが、持ち分の地は貧しく、しかも大司教ヨハン二世とも折り合いが悪く、暮らし向きは決して楽ではなかったのである。
やがてパウルスが十二となった折、ヨハネスの縁でアルブレヒト三世に召し出されることとなり、ジークムントはミュンヘンへ発つ運びとなった。
その別れの折のこと、パウルスは、殊の外の寂しさに胸を締めつけられたものである。
そういった訳で、パウルスはジークムントとヨハネスを喜んで道場に迎え入れた。
まずは肩慣らしに、と柱打ちとはしご渡りを行う。
ヨハネスはさすがの体力で、パウルスに負けない回数をこなしたが、ジークムントはやや衰えが伺えた。
この時点では、年齢の事もあり気にしていなかったが、自由稽古をしてみると、違和感を感じるようになった。
どうにも、パウルスの知らない動きが混じる。
「……?」
と、パウルスは首をひねった。
ヨハネスも、ジークムントの剣を見ながら、困り顔であご髭をしごいている。
ジークムントが、奥義・匠の斬りの一つ、天辺斬りをパウルスに仕掛けた。
これは真っ向に斬り下ろす攻撃だが、柄頭を高く持ち上げて振る事により、相手の頭上に刃が落ちるようにするものである。
剣道の面打ちのような攻撃、と表現すれば伝わるだろうか。
受けるパウルスは、剣を高く掲げて、十字唾で下からジークムントの刃を跳ね上げた。
ここでなんとジークムントは、柄を自分の頭の前で高く掲げつつ、逆手で握り直し、パウルスの両手の下へ剣先を通し、胸元へ突きおろした。
試合用模造剣の丸い切っ先が、ぴたりとパウルスの喉元で止まる。
「ジーク……? 見事だが、それはお前が考案したのか……?」
ヨハネスが、柔らかい声音で声をかけた。
「いやいや、先生の教えですぞ。覚え詩もありますぞ。
“パルター これは顔に対して危険な技である
剣を返せば 胸はたちまち脅かされる”」
それは心外だ、と言わんばかりの面持ちでジークムントが返した。
「……! あ、いや、悪かった。そう教えていた時期もあった……」
ヨハネスには、どうやら思い当たる節があったらしい。
リヒテナウアー流とは、ヨハネスが若き日に諸国を渡り歩き、身につけた武術を一つにまとめ上げたものである。
——これは筆者の私見だが、流派を興す人物というのは、決して“自作の型”に頑なではない。むしろ平然と作り替え、思いついたように手を加え、時にがらりと方向を変えてしまうものだ。
良く言えば、常に進化の途上にある。悪く言えば、寄せ木細工のように継ぎ接ぎしていく。
ヨハネスもまた、道場を畳んでなお、先日交友を深めたオッド・ジャッドのもとを訪ねては、パウルスに組討ちの手を習わせたり、逆に自分の“巻き”の技術を教えたりしている。
当然、七年も道場を離れているリンゲックの知る“リヒテナウアー流”と、今のそれとが違っていても、不思議ではない。
「だがな、今はこう教えておるのだ!」
ヨハネスは、どこか誇らしげに胸を張って、新しい考えを語り出した。
「ほう! 先生の新しい教えですか。これはありがたい!」
リンゲックが身を乗り出す。
いい年をした男ふたりが、ああでもない、こうでもないと身振り手振りを交えて論じ始めた。
パウルスは、少し引き気味でそれを聞いていた。
自分なら、何年も練り上げてきた技を急に覆されたら、腹のひとつも立つ。
ところが聞いていると、どうやら自分の“リヒテナウアー流”も、二人の語るものとは微妙に違っているところがあると気付いた。
パウルスの本格的な修行は、ヨハネスの弟子筋にあたる“ハンス・シュテットナー・フォン・メルンスハイム”のもとで行われており、その分、今のヨハネスの流儀と細かな差異がある。
いつしか三人は、ひどく楽しげに“剣談”に耽っていた。
もしかすると、この日こそが——のち二百年にわたり栄えるリヒテナウアー流のために欠かせなかった、「始祖の混沌を、術としての体系へと整え始めた最初の一歩」であったのかもしれない。




