雷神 一
「ふふ……あいつはな、まるで堅物という字を人にしたような男だが、それでも、ジークムント・アイン・リンゲックは、わしが教えた弟子の中でも指折りの剣士よ」
ヨハネス・リヒテナウアーが、折にふれて息子のパウルス・カルにそう語っていた当の人物が、五年ぶりに姿を見せたのは、夏も迫るの六月の昼下がりだった。
家族の間でくつろぐヨハネスのもとへ、
「あなた、パウル君に話しておられた、あの“まじめな方”がいらしたわ」
と、ゲルトルートが笑いをかみ殺しながら知らせに来たのだ。
ジークムント・アイン・リンゲック──
肩にかかる赤金の髪、広い額に澄んだまなざし。
いかにも武辺一途の気配をまとった中年男である。
「よく、ここがわかったな」
応接間へ入るなり、ヨハネスが声をかける。
「我が殿より、先生のご所在を伺っておりましたゆえ……」
ジークムントは、ザルツブルクのすぐ近くに所領を持つ騎士爵である。
ヨハネスの庇護者である上バイエルン=ミュンヘン公アルブレヒト三世(敬虔公)に仕えている。
「なるほど、それでか」
「先生、十才もお若い奥方を迎えられたとか……」
「いま、お前をここへ案内したろう? 彼女が、そうだ」
「……は? はぁ~?」
妙な声を漏らしたので、ヨハネスが目を細めた。
「どうした、そんなに驚くことか?」
「先生、お身体のほうが心配ですぞ」
あまりのまじめ顔に、ヨハネスは吹き出した。
「ところでジーク、お前はいくつになった?」
「はっ……四十に」
「そろそろ、生え際が怪しくなってきたな」
「頭がはげるのは、長生きの証と申します」
「そうかそうか……」
ふと思い出したように、ジークムントは手荷物から包みを取り出した。
「これは、先生のお好きなもので」
差し出されたのは、アルプスの山岳乾酪である。
これをつまみに、ボヘミアの濃い麦酒を流し込むのがヨハネスの好物であった。
「おお……よく覚えていたな」
ヨハネスの目じりに、微かに光る物が見えた。
旧知の弟子からの気遣いが、胸にしみたのである。
「じつは……このたびニュルンベルクへ出向いたのは、ひとつ、ご相談がありまして」
「なんだ?」
「なれ合いの試合を、お許しいただきとうございます」
なれ合い──すなわち八百長の試合を、師に先に断りに来る。
これが、ジークムントが“堅物”と呼ばれるゆえんでもあった。
「ふむ……相手は誰だ?」
「ヴァーツラフ・ホドニョフ……ボヘミアの、ウートラキスト派の重鎮の息子です」
ボヘミアと聞いて、ヨハネスは唸った。
ウートラキスト派とは、ボヘミアのフス派穏健派の中で主流をなす宗派である。
フス戦争とは、フス派過激派とカトリック連合軍+フス派穏健派が争った戦で、フス派過激派が壊滅して収束した。
その後のバーゼル公会議で、ウートラキスト派の教義が認められ、もはやフス派は異端ではなくなっている。
しかしボヘミア国内には未だ過激派残党が割拠しており、緊張状態が続いていた。
昨年からはボヘミア王位が空位になっており、混乱に一層の拍車がかかっている。
「実は、我が殿にも、ボヘミア王位推挙のお話があったそうです」
「おお、そんな事が……」
バイエルン地方はボヘミアと隣接しており、血縁的にも関係が深かった。
アルブレヒト三世自身、少年時代、叔母であるボヘミア王妃ゾフィーのもとで育ち、プラハでチェコ語を学び、同地の大学で学問を修めた。
そんな経緯もあって、国内平定に苦しむ穏健派の一部から戴冠を請われたのである。
「ミュンヘンの殿様ほどの仁君であれば、あるいは、あの災厄の地に平和をもたらせるやもしれぬな……」
ヨハネスは、フス戦争従事時の思い出を、家族にすら断片的にしか語らなかった。
その為、パウルスやゲルトルートも、その話題を避けるようになった。
すがるような面持ちのヨハネスに、ジークムントは首を振った。
「いえ。殿は、そのお話を断りました。曰く、深く関与すれば、バイエルンの地の安寧を守れない、と」
「なんと……」
落胆した様子を見せるヨハネス。
「ですが、かの地の安定はバイエルンの国益に直結します。我が殿はバイエルン諸領邦と共に、この夏、穏健派を支援する会議をミュンヘンで開催します」
「なるほど……少し話が見えて来たな」
「はい。聖ヤコブの祝日の夏市にて、余興として武術試合が催されます。その折、ボヘミアより参っております穏健派の使節団の一人が、かのヴァーツラフ・ホドニョフでして……。我が慈悲深き御方は、その武勇を人前で称え、ボヘミアの前途がいかに明るいかを示したい、とお考えなのです。併せて、バイエルンの諸邦がその後ろ盾をする意志も、広く世に知らしめようと―。そのために、わたくしめに“勝ち星”を献じて欲しいと……。ゆえに、先生にお伺いにあがった次第でございます」
「かまわんよ」
ヨハネスは即答した。
「えっ、いいのですか」
「おれの剣が、あの地獄を少しでもましにするのに役立つのであれば、これ以上の事はないさ」
肩をすくめたヨハネスだったが、ふと眉を寄せてジークムントを見た。
「だが、大勢の前で面子を潰されて、お前は大丈夫なのか?」
「わたくしめは大丈夫でございますよ。最近はもっぱら、武芸教師より、|「荷車・馬・輸送隊」責任者としての働きばかりですからな。年も年ですし、試合で敗れた程度で、わたくしのお役目に支障はありません」
リヒテナウアー流の剣士で、これらの役職についた記述があるのは、パウルス・カルとリンゲックの二人である。しかし中世特有のつづりの表記ゆれの為、どちらの意味で使われているのかはっきりしない。この物語では、両方であったという設定にして話を進める。
閑話休題。
「それでですな、先生。他の試合の審判は私がやるとして、私の試合だけは誰かに審判をしてもらわねばなりません」
「まさかお前、師に弟子が負ける試合の審判をさせる気かよ」
「ですが我が殿は、先生は断らないだろうと仰っていましたよ。我が殿としても大事な試合なのです。ぜひ」
「まあ、構わんが……パウルが聞いたら、まなじりをつり上げそうだわい」
ヨハネスは、そう言って苦笑いをした。
今日から第四話「雷神」をはじめます。全7回になります。
お楽しみ頂ければ幸いです。




