若獅子 十一
(承前)
告発人の主張としては、ヴィルヘルムはジギスムント王から託された正当な権利を持って任務を遂行中であった。
対してタルホッファーは、ザルツブルクの塩の道は、ニュルンベルクとヴェネツィア間の主要交易路とはかけ離れており、任務の範ちゅうから外れた無手続きの私闘であると非難した。
不法な私闘への自力救済は認められた権利であり、謀殺の罪には問われない。
ここでタルホッファーが上手かったのは、南ドイツの地勢に詳しくない自由判事たちの為に、詳細な地図を用意して回覧した点である。
後年、彼が作成した武術書においても、(ほぼ作成に関与してないと思われる第一作目を除いては)写実的な挿し絵を採用しており、絵による伝達力に信を置いていた事が伺える。
これには自由判事たちも唸り、タルホッファーも手応えを感じていたが、クラウス・フォン・ヴィレンバッハは思わぬ手を打ってきた。
ニュルンベルクでのタルホッファーの犯罪歴を論ってきたのである。
タルホッファーはニュルンベルクに来た最初の三ヶ月で、罰金刑七回、塔牢獄刑三回、地下牢獄刑一回を受けており、それらはニュルンベルクの軽犯罪裁判記録に記されている事が言い立てられた。
当時のこうした軽犯罪歴は、さして重大視された訳では無かったが、それでも印象が悪い。
虚偽だと否定する事もできたが、クラウスの宣誓補助人に、ニュルンベルクの参事会員が加わっていたので、筋が悪かった。
審議も長時間に及んでおり、自由判事らから急速に集中力が失われていくのをタルホッファーは感じた。
これ以上は、何を言い立ても徒労に帰すような予感。
タルホッファーがめまいを感じ、言葉に窮した時だった。
不意に、クラウス側の代弁人が、休憩を動議した。
更に、この告発に対する回答は被告人にとって重大である為、二時間ほど法廷を離れて代弁人と協議したらよかろう、と提案したのだ。
実は、逃走の恐れがない被告が、そういった時間を与えられる事はしばしばあった。
しかし、この大詰めで、告発側からの提案で、というのはやはり異例であった。
秘密裁判所から離れたリヒテナウアーとタルホッファーは、市内のはたごに向かった。
そこで部下ウルリヒ、傷医者コンラートと合流した。
道中、尾行や監視があった気配もない。
「まあ、荒事にならなくて良いのなら、それに越した事はない」
リヒテナウアーは、ふに落ちない様子で口を開いた。
当初の予定では、秘密裁判で有罪になった場合は実力を持って脱出を図る予定だった。
もちろん、ここで逃げ出せば判決は死刑となるだろう。
その場合、ドイツ全土の秘密結社会員数千人は、タルホッファーを見つけ次第、刑の執行に協力しなくてはならない。
実際、リヒテナウナーの元には、毎月のように死刑判決や追放刑を受けた人間の名簿が回覧されてくる。
しかし、彼はその名簿に目を通してすらいない。
同様に大多数の会員は、自分が告発された時に無罪にできるように、あるいはヴィレンバッハのようにあこぎな真似をする為に会員になっているだけなのだ。
結局、いくら全ドイツ領域に裁判権を主張した所で、それを担保する実効力のない地方組織でしかなかった。
たとえば死罪や領外追放の沙汰が下ったのを口実に、盗賊まがいの騎士どもが私闘を仕掛けてくる――そんな実害が皆無というわけではない。
だが裏を返せば、せいぜいその程度に過ぎなかったのである。
その事に気付いた南ドイツでも、以降急速に秘密裁判の影響力は衰えていく事になる。
タルホッファーは、クラウス・フォン・ヴィレンバッハの様子を思い返した。
思えば彼は、はじめからこちらを見る事もなく、淡々としていた。
司法決闘で止めを刺さなかった事に対して、ハンスからの謝礼なのかもしれないが、そんな玉でもないだろう。
まだ、クラウスが兄弟であるハンス・ヴィルヘルムに隔意を持っていた、とか言われた方が納得ができる。
いずれせよ、追手がかかるまえに、なるべく早く脱出しなければ。
ヴェストファーレンを出るまでは、まだ秘密裁判所にも多少の力がある。
噂では秘密結社には、逃げ出した者をどこまでも追い詰め、見つけ次第、その場で成敗することを役目とする刑吏もいるという。
後日談であるが、この年の九月、ハンス・フォン・ヴィレンバッハはニュルンベルク商人ヤコブ・アウアーを誘拐した。
長期間に渡って拷問を加え、自白を強要したようだ。
ジギスムント王や諸侯の仲裁により、翌年の末に、アウアーが千フローリンを支払い釈放されたとの事である。
秘密裁判から三週間後。ザルツブルクの北方56マイルの都市パッサウ。
そこの酒場に腰を落ち着けた一同は、酒宴を催していた。
アウクスブルクやニュルンベルク周辺を避けた為、かなりの大回りになってしまったが、ここまでくればザルツブルクは眼と鼻の先である。
ここでリヒテナウアーと傷医者コンラートは別れ、ニュルンベルクに戻る。
タルホッファーの傷も癒えていたので、一同、杯を重ねて大いに飲み明かした。
部下ウルリヒは酔い潰れて卓の下で丸まり、傷医者コンラートは宿の部屋に引っ込んだ。
リヒテナウアーもハンスも、すっかり呂律が怪しくなっているくせに、まだ杯を重ねていた。
「先生よう……あっしはねぇ、ありとあらゆる所で、ありとあらゆる武器で、闘ってきたつもりなんでさ」
卓に両肘を突いたまま、うつむき加減のハンスが、ぽつりとこぼす。
「街道でも、町ん中でも、決闘場でも、法廷でも。殺人斧に、長包丁、長剣に、弁論に……」
聞いていたヨハネスが、ふらつきながら立ち上がり、卓の端を回ってハンスの隣へ腰を下ろす。
そっと腕を伸ばし、ハンスの肩口を、ゆるゆると揉んでやった。
「宮殿で、学問で、武芸で……。でもねぇ、なんにもなりやしなかった、もううんざりでさぁ」
しばしの沈黙。
やがて、リヒテナウアーが静かに口を開いた。
「俺が教えておるのは、見世物でも、道場剣術でもない。真面目な戦いのための剣よ。だが同時に……騎士と従者が、ともに快と喜びを味わうための、ひとつの宮廷遊戯でもあった。だから、お前も楽しめ」
一四四一年九月。
ザルツブルク大司教ヨハン二世は永眠した。
ハンスは、ヨハネスに今後の身の振り方を尋ねられた。
「そうでやすねぇ……お袋の方は、ちっとばかり年金を残してくれやしたんで、食うに困る心配ぁござんせん。で、あっしの方は、決闘指南役みてぇな稼業で、身を立てられねぇもんかと思ってましてね。どこか、そういう腕前を欲しがってるお方がいりゃあ、先生……ひとつ口をきいていただけやせんか?」
ヨハネスは、そんなハンスの願いを聞くと嫌な顔ひとつせず、骨を折ってやった。
これにて第三話「若獅子」終了です。
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次話は、たぶんリンゲックの話になります。
HEMAの歴史の割と初期にリンゲックの武術書は翻訳されたので、古いHEMA者はお世話になってるはず。
乞うご期待!




