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女武芸者 三


 この日の夕暮れに、ヨハネス・リヒテナウアーは外出した。

 トーン村の居酒屋〔曲がり菩提樹亭〕へ出向いたのだ。

 ヨハネスは、毛皮裏打ちの羽織衣(オーバーガウン)をつけ、二尺一寸の長包丁(ランゲス・メッサー)ひとつを気軽に帯びている。この長包丁、もともと農民が剣の携帯を禁じられた時代の産物で、剣とは異なる簡素な柄の造りながらも護身のために用いられてきた。しかし、最近ではその手軽さと扱いやすさが評判を呼び、都市市民や騎士たちの間でもよく見かけるようになった。

 また、膝が悪く足をひきずるため、片手には杖を持った。

 歩いても一里ほどの距離ではあるが、ペグニッツ河から引かれた水路沿いに舟で行くこともできる事もあり、ヨハネスはマックス橋の船宿〔蝋燭館〕で舟を頼んだ。

 ヨハネスは、曲がり菩提樹亭の奥まった奥座敷へ通り、酒を命じ、給仕のツェツィーリアをよんだ。

 顔なじみのツェツィーリアが、にんまりとして、

 

「先生。このごろは、大変だそうでございますねえ」

「何が、だ?」

「朝な夕なに、大市広場のあたりを、後家さんと腕を組んで歩いていなさるそうではございませんか」

「まあ、そうだな」

「大丈夫でございますか?」

「あちらも手練れだがな、おれも腕に覚えがあるからな」

「お元気ねぇ……。うふふ」

「ところで、だ……」

 

 いいさしてヨハネスがグロッシェン銀貨を十枚ほど取り出し、ツェツィーリアの手ににぎらせ、

 

「昨夜、四十がらみのでっぷりとした、鼻のあたまに扁豆ほどの黒子をつけた都市貴族が来たな?」

「あれ、よく御存知で……」

「誰だ?」

「存じません。はじめてのお方でございます。なんでも、トラッツェン狭間郭(はざまくるわ)外の船宿〔新鮮な魚亭〕さんから舟で見えたお客で、ちょっとお酒をめしあがってから、一刻(いっとき)(二時間)ほど外へ出て、またおもどりになって……」

「それから?」

「それから、待っていた〔新鮮な魚亭〕さんの舟でお帰りになりました」

「ふうん……」

「なにか、あの?」

「別に……さあ、酌をしてくれ。そういえば、お前のいまの男は誰だ? おれが品定めをしてやろう」

「教えませんよ。だって先生、いつも点がお(から)いんですもの」


 翌日になって……。

 ヨハネス・リヒテナウアーは、マックス橋の船宿〔蝋燭館〕へ赴き、蝋燭館の舟に乗って、ペグニッツ河を東にのぼって行った。

 トラッツェン狭間郭(はざまくるわ)外の船宿〔新鮮な魚亭〕へ舟を着けさせたヨハネスは広間へ通って酒を命じ、しばらくしてから、

 

「舟をたのむ」

 

 と、いい出した。

 新鮮な魚亭の舟に乗り、ヨハネスはペグニッツ河をもどって行くのである。

 船頭は少年で、年のころは十二から十五ぐらいだろうか。

 口数が少なく、不愛想で、注意深く隠しているが、ヨハネスの体躯(たいく)強面(こわもて)に、(ひる)んでいる。

 ヨハネスは、若い時からそういう気配に敏感であった。


 「腰が入っていて、いい船頭だ」

 

 だから、まず褒めた。

 それから、銀貨一枚を取り出す。銀貨一枚というのは、おおむねどの都市でも大人一日分のパンの費用にあたる。

 小麦の価格に、ある程度左右されるが、都市の食料政策の一環として、そこを目安にされている。

 

「取っておけ」

「これはどうも……」

「名は、なんという? おれはヨハネス・リヒテナウナーという。シュピタール門のあたりで、数年前まで、剣術道場をかまえていた……」

 と、ヨハネスがいうと、少年はヨハネスの顔を見た。

「知ってる……。じいちゃんが、あの道場の(あるじ)は立派な人だったって言ってた」

「そうか? そう褒められると、悪くない気持ちだ」


 壮年の男の、渋みのある、引き締まった笑顔を、ヨハネスは少年に向けた。

 

「そういえば、昨日、店で懐かしい人に出会った。以前、酒席で引き合わされたことがあるが、名前を忘れてしまってな。声をかけそびれた……」

「どんな人です?」

「四十がらみの、鼻のあたまに()()()のある……」

 

 船頭の少年は、しばし口をつぐんだ。

 やがて、ゆっくりと口を開いた。

 

「ライムントさまじゃ、ないですか?」

「ライムント……そうだったかな?」

「そうでございますとも。ハルスドルフ家さまの御用人でございますよ」

「ああ。そうだ、そうだ」

 

 ヨハネスは、さも思い出したかのようにいった。

 ハルスドルフ家は、長距離貿易で財を成した商人で、ニュルンベルクの実権を握る都市貴族(パトリツィア)ではない。しかしそれに準ずる豪商(エルバレ)層とみなされており、いずれ都市貴族に取り立てられるのではと目される有力者だ。

 顔のひろいヨハネス・リヒテナウアーだが、ハルスドルフ家には面識がなかった。

 夕暮れ前に、ヨハネスは我が家へもどった。

 そのヨハネスを出迎えて、ゲルトルートが、


「言われた通り、パウルス君のところを見てきたわ」

「そうか。せがれめ、何をしていた?」

「立木の間に()()()をかけて……」

「ふむ」

「はしごにぶら下がって、手だけで前に進んで……。延々と、そんな事をしていたわ。私が声をかけなければ、気付かなかったぐらい」

「ふうん……」

「彼、毎日、あんなことをしているの?」

「そうらしいな」

「なにが、おもしろいのかしら?」

「男というものはな、若いうちは、あんなことでも、おもしろいのさ」

「ふうん」

「おれは、お前と、こうするのが、いちばんおもしろい」

「待ってやめて、しわになっちゃうから……もう」


ランゲス・メッサー

https://de.wikipedia.org/wiki/Langes_Messer

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