登場人物紹介⑦ルートヴィヒ四世(温厚公)
ルートヴィヒ四世(温厚公)(1424年1月1日ハイデルベルク生 – 1449年8月13日ヴォルムス没)は、1436年から1449年までプファルツ選帝侯領のプファルツ伯および選帝侯であった。
生涯
彼の両親は、プファルツ伯ルートヴィヒ三世(1378–1436)とサヴォイア公女マティルデ(マルガレーテ)〔1390–1438〕である。
父が1436年に亡くなると、伯父であるオットー一世プファルツ伯が後見人となり、ルートヴィヒは1442年に成年と認められた。すでに1441年にはレーヴェンシュタイン伯領が獲得されている。1444年、ルートヴィヒは「帝国総司令官(Reichshauptmann)」としてアルマニャック軍の攻撃を撃退した。
彼はまた、プファルツ領内のみならず、その外においても治安維持に尽力し、シュヴァーベン地方の帝国自由都市との保護同盟を結んだ。
デンマーク・スウェーデン・ノルウェー王であり、ニューマルクト系ヴィッテルスバッハ家のプファルツ伯でもあったクリストフ三世、さらにバイエルン=ミュンヘン公アルブレヒト三世、レーゲンスブルク司教フリードリヒとともに、1444年には上プファルツ地域の治安同盟を締結している。
また、マインツ市とその大司教の間に生じた紛争の仲裁を試み、1449年にはスイスの騎士団と市民団体との間を調停した。
家族
選帝侯ルートヴィヒ四世は1445年10月18日、ハイデルベルクにてサヴォイア公アメデーウス八世(のちの対立教皇フェリクス五世)とその妻ブルゴーニュ公女マリー(1380–1422)の娘マルガレーテ・フォン・ザヴォイエと結婚した。
この婚姻からは一子、誠実公フィリップ(フィリップ・デル・アウフリヒティヒ)が生まれた。
1449年、ルートヴィヒが25歳の若さでヴォルムスにて死去すると、1443年から統治に大きな影響力を与えていた弟フリードリヒが、1歳の甥フィリップの後見人となり、1451/52年には独身の誓いを立て選帝侯位を宣言。彼の死後、選帝侯位はフィリップに引き継がれた。
ルートヴィヒ四世はハイデルベルクの聖霊教会(Heiliggeistkirche)に葬られている。
【本物語における設定】
・気が弱く、心配性。ストレスがかかるとすぐ涙があふれる。
・グラーフ家のレオンハルトという偽名を用いて、しばしばニュルンベルクで社会勉強をしていた。
・グラーフ家は実在していて、問い合わせをされても口裏を合わせてくれるよう、自分で手配していた。
・輩のような性質の悪い従者二人に、よく悩まされていた。この二人はオットー公が手配した者で、ルートヴィヒへの態度も彼の指示によるもの。
・お側仕えの少女シビラと恋仲に。この女中もオットー公手配で、ルートヴィヒの状況を都度報告していた。
シビラは特に親密な関係を結ぶよう指示されていた訳ではないが、父方・母方ともに親戚はオットー公の忠臣ばかり。




