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登場人物紹介③ハンス・タルホッファー

 ハンス・タルホッファー(Hans Talhoffer、別表記:Dalhover, Talhofer, Talhouer, Thalhoffer、生没年不詳・活動期間1433〜1467年)は、15世紀ドイツのフェンシング師範である。


 その流派の系統は不明だが、著作から判断するに、ドイツ剣術の大師ヨハネス・リヒテナウアーの伝統と何らかの関係を持っていたことは確かである。

 彼は天文学・数学・姓名学、さらに「権威(auctoritas)」と「理性(ratio)」に関心を寄せた教養人であり、生涯に少なくとも五つのフェンシング教本を著した。生業として弟子に剣術を教授し、とりわけ「決闘」や「神明裁判(試合審判戦)」の訓練を請け負っていたと見られる。


初期の記録と逮捕事件


 史料上に彼の名が初めて現れるのは1433年、ザルツブルク大司教ヨハン二世・フォン・ライスベルクの代理として、フェーメ裁判(秘密裁判)に出廷した時である。

 翌1434年、ニュルンベルクの貴族ヤコブ・アウアーが兄ハンス殺害の罪で裁かれた際、タルホッファーはバイエルン公アルブレヒト三世の従者ヴィルヘルム・フォン・フィレンバッハの命令で逮捕・尋問を受けた。

 彼は「ハンス・フォン・フィレンバッハ誘拐を請け負った」と自白し、実際の殺害はアウアーに雇われた別の者によると証言したという。

この裁判は大きな波紋を呼び、以後二年にわたって地域の政治的混乱の火種となった。

 その後もタルホッファーはしばらく大司教のもとに仕え、1437年にはホーエンブルクの会計官(Kastner)を務めている記録がある。


剣術師範としての台頭


 1440年代に入ると、彼は職業的なフェンシング師範として本格的に活動を始めた。

 1448年頃に編纂された『MS Chart.A.558』という写本を購入(あるいは一部執筆に関与)したとされる。

 この写本は文字をほとんど欠く図解集で、教授の際の視覚教材として用いられた可能性が高い。

 また、姓名術に関する論考や、コンラート・キューザーの『ベリフォルティス』に類似した軍事書も収録されている。

 タルホッファーの所有印が確認されるが、彼自身がどの程度制作に関与したかは不明である。

 複数の筆耕・画工の手が入り、彼の後年の作品と類似する技法を含むため、完成品(もしくは未完品)を購入し、それを自らの教授用に用いた可能性もある。


貴族弟子と写本制作


 この時期にタルホッファーが仕えた名高い顧客のひとつが、南ドイツのケーニッヒゼック家である。

 1446〜1459年の間に、彼は同家のために『MS XIX.17-3』を制作した。

これはルイトホルト・フォン・ケーニッヒゼックの神明裁判の訓練過程を描いたもので、決闘の実施自体は行われなかったらしい。

 1450年代後半にはエメルキンゲンを訪れ、シュタイン家の兄弟ダーフィトとブッペリンに剣術を教え、『MS 78.A.15』という写本を制作した。これはケーニッヒゼック本の大幅改訂版である。


晩年の活動と写本群


 1459年、彼は自らのために『MS Thott.290.2º』を編纂した。

 1448年の本と同様の構成だが、解説文を添えた拡張版であり、以後の教授活動の基礎となった。

 1460年代も師範業を続け、1467年にはヴュルテンベルク=ウーラハ伯エーバーハルト五世(後の公エーバーハルト一世)のために『Cod.icon 394a』を制作した。

 これは彼の最も包括的な作品であり、伯はその報酬として金貨10グルデンとライ麦・オーツを支払っている。


伝説と憶測


 タルホッファーの生涯に関する確実な事実は少ない。

 しかし、1459年の紋章に「聖マルコの獅子」が描かれていることから、後世の研究者の中には「彼がフランクフルトのマルクス兄弟剣術同盟(Marxbrüder)の創設者、または初期会員であったのではないか」と推測する者もいる。

 ただし同同盟の最初の記録は1474年であり、証拠はない。

 また、パウルス・カルが記した「リヒテナウアー同志会(Geselschaft Liechtenauers)」の名簿にタルホッファーの名がないことも注目されているが、これは敵対関係ではなく、単に彼がその活動に関与しなかっただけと考えられる。



 このように、ハンス・タルホッファーは15世紀ドイツにおける「リヒテナウアー流」剣術の代表的継承者の一人であり、その図解写本群は、後世に残る最も豊かな中世武術資料として今日も研究対象となっている。


論考(著作群)


 タルホッファーは、生涯に少なくとも三つの独立した教本トリートイズを制作しただけでなく、その著作は現在に至るまで、あらゆる世紀において写し取られ、再生産されてきた。

 15世紀から19世紀にかけて十数点を超える写本が現存しており、さらに1887年以降はファクシミリ版として何度も出版され、英語やフランス語への翻訳版も刊行されている。


内容と構成


 彼の著作は、幅広い武器体系を扱っている。すなわちバックラー(小盾)、クロスボウ、短剣ダガー、フレイル、メッサー(長包丁)、ロングシールド(大盾)、メイス、ポールアクス、槍、剣、そして素手による組討ちなどである。

 これらはしばしば、鎧を着けた場合とそうでない場合、馬上と徒歩の双方で扱われ、さらに試合・正式な決闘・都市での護身戦といった多様な状況を想定して描かれている。


 写本の挿絵は非常に丁寧に描かれているものの、ページごとの注記はごく少なく(場合によっては全くない)。

 おそらく教育用の図解教材として使われたため、詳しい説明は不要だったのだろう。

 一方で、ケーニッヒゼック家・シュタイン家・ヴュルテンベルク伯のために作られた写本は、タルホッファーが去った後も弟子たちが教えを復習できるよう、記憶補助として作成されたと考えられる。


各写本の差異


 タルホッファーが教える個々の技法プレイには多くの共通点が見られるが、各主要写本ごとに構成や内容は異なっている。

 そのため、これらはひとまとめにして比較表にするよりも、それぞれ独立した作品として扱うのが適切である。

 こうした理由から、以下の一覧では派生写本を含め、各トリートイズを個別に掲げる。


 なお、最初の写本「ゴータ写本(Gotha)」については、タルホッファー本人の執筆である確証はないものの、後年の真筆と比較する上で有用な資料としてここに含められている。


(wikitenaurより抜粋)



【本物語における設定】

・1418年生まれ。物語開始時点(1440年1月)では21歳

・出自ははっきりしないが、幼い頃から文武に秀でていた。

・ザルツブルク大司教ヨハン二世・フォン・ライスベルクの目に留まり庇護を受け、十五にして早くもその名代として裁判に臨んだ。

 史実では「代理として、フェーメ裁判(秘密裁判)に出廷」とあるので意味合いが違う気がする。フェーメ裁判というものがどういうものか調べた後で修正するかも。

・大司教の御落胤か色小姓ではないかと噂になった。

・十六の折、十六の折、一つの裁判に巻き込まれる。ハンス・フォン・フィレンバッハという青年が殺された事件に関する物で、タルホッファーは自らの関与を白状し、被害者を誘拐するために、ニュルンベルクの都市貴族ヤーコプ・アウアーに雇われた事、しかし、殺しを手掛けたのはアウアーの別の手の者であったことを証言した。

※史実でのこの事件の被害者はヤーコブの兄弟ハンスなのか、他家の若者ハンス・フォン・ヴィレンバッハなのか、よく判らない。そこにアルブレヒト3世の従者ヴィルヘルム・フォン・フィレンバッハが関わる理由(ハンス・フォン・ヴィレンバッハの身内ではあろう)もよく判らない。自動翻訳が良くないのかもしれないので、要調査

・奇妙なことにタルホッファー自身は罪を問われることなく解き放たれた。その後も彼は大司教の庇護を受け、レーゲンスブルク司教領に属するホーエンブルクの荘官に任命された。

 史実では「会計官(Kastner)」となっている。このKastnerを調べた後に修正の可能性あり。

・身長180cm。剣術スタイルはヨハネスに似ている。

・ヨハネスがシュピタール門に道場をかまえていたころ、熱心に剣術の稽古けいこをしに通いつめたことがあり、そのときから交際が絶えていない。

・波打つ長髪の下に渋みの効いた面がまえを持ち、世故長けた立ち居振る舞いができる。

・マルクス兄弟団の設立に関わる予定

・パウルス・カルのリヒテナウアー同盟に記載されなかった理由は考え中。どこかでパウルスと袂を分かつのかもしれないし、単に1470年時点でまだ健在だから記載されなかっただけかもしれない。


挿絵(By みてみん)

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