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泣き虫 七






 レオンハルトの素性が明らかになったその日の夕刻、パウルスとザーラはホーホベルク家の家族塔を訪れた。

 家族の間の燭台には火が入り、外の光が薄らぐにつれて、老剣士ヨハネスの横顔に陰影が深まってゆく。


「ルートヴィヒ閣下は、以前より“市中見聞”と称してお忍びで歩かれていたとのことです」

 

 ザーラが報告を終えると、ヨハネスは眉間に()()を寄せた。

 

「オットー公は、そのことをご存じか?」

「良い顔はされぬものの、一応の許しは得ている——と、閣下は申されておりました」


 ヨハネスは唸り、しばし沈黙したのち、低く問い返した。

 

「ルートヴィヒ閣下は、いまお幾つになられる?」

「今年で十六におなりです」

「……本来ならば、叔父君の側に侍して政務を学ぶべき年頃だ」


 深く息を吐き、老剣士はザーラへと視線を移した。

 

「これより尋ねること、くれぐれも他言無用に願いたい」

「リヒテナウアー師のお言葉なら、何なりと」


「では、家臣たちは閣下をどう見ている? いずれ主君として頂く器量ありと、誰もが信じておるか?」


 問われたザーラの口が、ためらいがちに結ばれた。

 

「答えにくいか?」

「いえ……ただ、いささかお優し過ぎる、と申す者もおります。ですが、その真心を好ましく思う者も多うございます」


 パウルスはその言葉の裏を察した。

 要は“扱いやすい”と思われているのだ。


「では、オットー公との仲は? 叔父と甥、どのような関わりに見える?」

 

 再び問われ、ザーラの背筋がこわばった。

 

「……父は、あまり閣下に関心をお持ちではないようです。閣下の放埒(ほうらつ)も黙認されておりますし……。閣下の方にも、特にわだかまりは見えません」


 ヨハネスは鼻を鳴らした。

 

「ふむ。だが、あの御付きどもの素行の悪さといい、政務の手ほどきもなく放浪させておる現状——“親政の芽を摘む”策とも取れる。そう考える者はおらぬのか?」


 ザーラはうつむき、静かに頭を垂れた。

 

「……師よ、申し訳ありませぬ。それは……お答えできませぬ」


 重い沈黙ののち、ヨハネスは深々と嘆息した。

 

「先代の忠臣どもが、そう易々と寝返るとも思えん。だが、“為政の責を怠る”と()()めて廃嫡を狙うことは――あるいは……剣客の()()()()に見せかけて——」


 呟きながら思案に沈む老剣士を見て、パウルスは胸の奥で小さく息を吐いた。

 ——父も、老いた。

 かつてシュピタール門の狭間郭(はざまくるわ)に道場を構えていたころの父は、権勢家にも一歩も引かぬ気骨の人だった。

 だがいまは、貴人の顔色をうかがって思い悩む姿にしか見えぬ。

 オットー公の威光を恐れるなら、最初からザーラと関わらねばよかったではないか——。


 苛立ちが、言葉に成った。

 

「父上。私はレオンハルト殿の稽古を、断じて続けとうございます」


 たちまち、親子の視線が斬り結び、空気が張りつめた。

 やがて先に刃と刃の噛み合い(バインド)を外したのは、老父の方だった。

 

「……まったく、お前は柔和な(つら)をして、人一倍、強情だな。誰に似たのやら……」


 ぼやく父を見て、パウルスは“あなたですよ”と無言で目を細めた。


 ヨハネスは話題を転じた。


「稽古もさることながら、あのシビラという女中も問題だ」

 

 パウルスには何が問題か分からない。


「若君を女狐(めぎつね)の喰い物にさせていたら、我らがその()()を受けかねんという事さ。……お前、あの距離の近さは肌身を交えた男女のそれだぞ? そんな事も分からなかったのか?」


 言われて、パウルスは不承不承(ふしょうぶしょう)うなずいた。

 剣術一筋の青春を送ってきた十九歳である。

 

「しかし師よ、仮にそうだとしても、それは本人同士の問題では?」


 顔をわずかに紅潮させながら、ザーラが控えめに口を開いた。

 彼女は私生児とはいえ、父の庇護のもとに育った娘である。



「ところが貴種にあっては、そうも行かないのさ」

 

 ヨハネスは組んだ腕を解き、遠い記憶をたぐるように語り出した。

 

 「例えば、俺がご贔屓(ひいき)を頂いている上バイエルン=ミュンヘン公だが、実はお若い頃に身分違いの恋に落ちた結果、婚姻を認めぬ御父上に恋人を処刑されてしまってな。最終的に親子が戦火を交える寸前まで行ったのだ」


 中世と聞けばお家第一、恋愛結婚など近代以降の産物と思われがちだが、こういった事例もある。


「当時、そうとうな艶聞になったからな。慌てて息子に遊び女をあてがった御家も多かったと聞く。シビラ嬢がオットー公による()()であるなら、我らの口を挟むところではない」


 ヨハネスは苦々しい顔で腕を組み直した。


「だが、そうでないなら——もし閣下が真に恋慕し、婚儀を望まれたら? あるいは、シビラが甥を叔父から離反させるために放たれた間者だったとしたら? 我らの首などいくつあっても足りぬぞ。選帝侯という立場は、それほどに重いのだ」


 その言葉に、家族の間に重い沈黙が落ちた。


 パウルスは、ふと先日の川端で見かけたシビラの妙に洗練された身のこなしを思い出した。

 

「そういえば、あの女中、どうにも玄人めいた動きをしていました」


 その報告に、ヨハネスは目を()いた。

 

「そういうことは、もっと早く言わんか!」


 老剣士の怒声が、塔の石壁に反響した。






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