泣き虫 ニ
一四四〇年四月一六日。復活祭当日の朝。
パウルスは、父・ヨハネス・リヒテナウアーの住まいを訪れていた。
聖母教会での弥撒に参加するホーホベルク家の人々に同伴する事になっていた為だ。
義理の母であるゲルトルート以外のホーホベルク家の人々は、普段はミュンヘン郊外の地所に住んでいる為、この日がパウルスとの初顔合わせとなった。
ゲルトルートの亡夫の老母、亡夫の弟二人、妹一人とその家族。
どんな針のむしろかと覚悟していたパウルスだが、思いがけぬ暖かい歓待を受けた。
さらに彼らがヨハネスとゲルトルートを実の身内のごとく慕っている様を見て、パウルスは驚いた。
そうなるまでのいきさつが気になったが、時間が押しており、あわただしく出発となってしまった。
一同が市の中央広場へと近づくにつれ、いっそう喧噪が大きくなった。石畳の上を靴音が交錯し、手をつないだ子らの笑い声が風に乗る。
祭りの日とあって、広場には早くから群衆が押し寄せている。高価な毛織物に身を包んだ参事会員の家族は、侍従を従えて列を作り、その傍らでは、一張羅を羽織った職人や、その妻たちが立ち並ぶ。
広場の正面には、石灰岩の壁を朝日が白く照らす聖母教会がそびえていた。高い破風の中央には、透かし細工のばら窓がきらめき、さらにその下には皇帝のための壮麗なバルコニーが突き出している。ここから神聖ローマ皇帝が市民に姿を見せるのだと、父はかつて語ってくれた。
北に寄せて建つ単塔は、下部が四角く、上へいくにつれて八角形に変じ、さらに細い尖塔へと伸びていた。銅葺きの頂は陽を受けて鈍く輝き、石造の小尖塔が塔の根元を取り巻いている。急勾配の赤瓦屋根が長い身廊を覆い、側壁の高窓には彩色硝子が嵌め込まれていた。
教会に入ったホーホベルク家の一団は、祭壇に近すぎず、しかし後方の雑踏からも隔てられた、中ほどの座席についた。まずパウルスの目についたのは、内陣奥深くの堅牢な宝物庫である。そこに納められているのは、聖槍や聖釘、聖母の衣片といった帝国の聖遺物だ。復活祭では公開されないが、都市の誇りと栄光は確かにそこにあると人々は知っていた。
やがて香の煙が白く漂い、彩色硝子を透る光が石の床に赤青の模様を描き出した。燭台の炎が揺らめく中、聖歌隊の澄んだ声が天井高く反響し、群衆のざわめきがすっと静まった。祭壇の覆いが引かれ、復活の像が現れる。参列者の間に感嘆と祈りの吐息が広がった。
弥撒が終わると、鐘の余韻がまだ残るなか、群衆は三々五々と広場へ流れ出した。ホーホベルク家一行もその流れに従う。そこではすでに市の出店が並び、肉の腸詰めを焼いた香ばしい匂いと、蜂蜜酒の甘い香りが空気を満たしていた。
一行がとある出店の卓に腰を下ろすと、ヨハネスの顔を見て店主が笑顔で麦酒を持って来た。パウルスには、胡椒で風味づけされた温かな腸詰めが渡された。
石畳の上では、子どもたちが彩色卵を手に笑い転げている。赤は玉ねぎの皮の煮汁で、緑は草の煮汁で染められ、黄色は咱夫藍で彩られている。素朴ながらも艶を帯びた卵が転がるたび、歓声が上がり、小さな手が伸びては奪い合いが始まった。卵を磨いた蜜蝋の香りがかすかに漂う。
見上げれば、聖母教会のばら窓が陽光を受けて煌めき、市庁舎の重厚な壁が群衆を見守るようにそびえている。商人の妻たちは色とりどりの襟巻を翻し、果物や甘い菓子を売る屋台の前には長い列ができていた。復活祭の喜びは歌と笑い声、そして彩り豊かな卵の転がる音となって石畳を満たしていた。
食事が済むと、ゲルトルートをはじめホーホベルク家の面々は、聖母マリア兄弟団の灯明行列に加わる支度を始めた。
一方のパウルスとヨハネスは、顔なじみの剣術師範たちが催す寄り合いに赴くため、中央広場をあとにした。
二人は人通りの激しい大路を避け、裏手の小径を選んで進む。
人影はまばらであったが、それでも行き交う者はあり、同じ方角を目指す小さな集団もあった。
都市貴族か大商の子弟と思しき少年三人と、職人の娘ひとり。いずれも十代の後半ぐらいだろうか。
どうやら少年二人が娘にしきりに声をかけ、馴れ馴れしくまとわりついているらしい。
二人の胴着は袖に切れ込みが入って肌着を見せており、長包丁を帯に吊るしていた。
高価ではあるが、年配者が見れば顔をしかめるような当世風の装いだ。
少年たちの言葉には嘲りや脅しめいた響きが混じっており、明らかに娘は怯えている。




