表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/29

泣き虫 一






 一四四〇年四月。冷え込みの残る春の朝、パウルス・カルの道場のまわりには季節外れの厳しさがまだ残っていた。

 中世後期から近世にかけては小氷期と呼ばれる寒冷の時代で、春の訪れも遅れがちである。

 やや湿った空気に混じり、遠く市街の方角からは三時課(午前九時)を告げるセバルトゥス教会の鐘が、微かに森の中に届いてくる。

 細い棒の森シュティッカーラスヴァルトと呼ばれる松林の梢を抜けて北風が走り、肌を刺す。

 それでも、川べりでは若い柳の芽がかすかな緑をのぞかせていた。


 道場の中では、パウルス・カルと兄弟子のハンス・タルホッファーが対峙していた。

 波打つ長髪をたてがみのようになびかせながら、ハンスが刃引きの試合用剣(フェーダー)を打ち込む。

 十分に強くはあるが、深刻な負傷に至らない絶妙な強さで打たれたパウルスは、腕をあげて


 「腕」


 と有効打であった事を宣言した。

 双方ともに、綿入り刺し子縫い胴着(ギャンベゾン)を着て、要所には厚手の革の防具も付けている為、十分な技量があればこうして安全に打ち合う稽古ができた。

 ただし頭への打ち込みや突きは禁じ手にしている。

 

 三日前からハンスが泊まり込みで稽古に来ており、こうした試合形式の自由稽古も度々行った。

 数えた訳ではないが、勝率はパウルスが三、ハンスが七ぐらいであろうか。

 しかしパウルスは、それを全く気にしなかった。

 それは、ハンスが用いているのが、()()()()()()だからだ。

 命が懸かる実戦では、どうしても戦法は保守的になる。身体が本能的に、常より一歩遠い間合いを取ろうとする。

 であれば、左足を前に出して構え、右足を大きく踏み出し(パス)ながら右上から左下への袈裟斬り(オーバーハウ)、これを徹底し、刃と刃が噛み合った(バインド)ら、巻き(ヴィンデン)に移行する。それが父が教える剣術の芸術クンスト・デス・フェヒテンスだとパウルスは強く信じていた。

 ハンスが髪を振り乱し、右足前構えからすり足(ステップ)で攻撃してきたり、左側から攻撃してきたり、手を変え品を変えてくる。

 それに対し、パウルスは(かたく)なに、初撃に「右足を大きく踏み出し(パス)ながらの右上から左下への袈裟斬り(オーバーハウ)」を持ってくる。

 更に言えば、刃引きの剣であれば、刃同士の噛み合いが起こるはずもなく、巻きの技術を使う事は難しかった。

 であれば、パウルスの負けが重なるのは当然であった。

 なのに、息を荒げ、悔し気に顔を歪めるのはハンスの方で、パウルスとしては意味がわからない。

 

 自由稽古が終わっても()()()としているハンスに、パウルスも段々と腹が立ってきて、

 

「別にハンスさんのやり方を非難するつもりはないですよ。ただ私は、自分の剣に邁進(まいしん)するのみです」


 と、言ってしまった。

 その言に、ハンスは一瞬、失望の表情を浮かべた。

 下を向き、頭をかいて考えたのち、


「申し訳ありません、若先生。ぶしつけな振る舞いをしてしまって、お恥ずかしい限りです」


 と謝罪をした。

 その穏やかな声音に、パウルスも内心ほっとして、ひとつうなずいて見せた。

 

 稽古が終わると、ハンスは道場を辞去した。

 来週からは、復活祭(イースター)の聖週間である。

 所有権は無いとは言え、ハンスは小さな町を一つ治めている。

 行事が目白押しで、町を空けている訳にはいかない。

 そのいった環境のなか、最近は月に三日ほど、泊まり込みで稽古に来てくれる。

 ——しかし、果たしてそれに見合うものを彼は得ているのだろうか?

 パウルスは疑問に思った。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
中世の剣術の歴史に、とある剣客の残した書物の解読やらそこから興された流派があるだとか、そういう背景を最近知りました(YouTubeで…)。 そういう前提で作品を読むと、日本の剣豪の逸話などと何も変わら…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ