スタート
「上書き開始」
画面の開始マークにカーソルが重なって、軽やかなクリック音。
静かだった冷却ファンの音が大きくなる。
「具合はどう?」
「ふあふあしてきた」
古いアパートの一室、ベッドに横たわる俺は薄暗い部屋で画面の明かりに照らされたルームメイト、白井の横顔をぼんやり眺めて答える。意識の混濁、消失。
追加の冷却ファンも最大で回り始めた。
こちらを見ていた水野は、だんだん力が抜けて眠るように目を閉じた。
これから2時間ちょっとで水野の身体能力の上書きをする。筋繊維の密度増強、骨格の硬質化、聴覚を任意でコントロール出来るようアップデート。
情報屋から買った情報では、今夜人身売買の取引がある。そこを強襲してこの辺りの裏組織に牽制するのが目的だ。
とはいえ正式な方法ではない方法で身体情報を上書きするから、一定期間を過ぎる前に素の状態に再び上書きする必要がある。そうしないと拒絶反応が起きて形を保てなくなってしまう。
だから、上書きが終わって身体に慣れる為の一時間を考慮して、ギリギリのタイミングで始めた。
「具合はどうだ?」
「力の立ち上がりは速くなった。骨は思ってた程硬質化してない気がするかな」
「計算上は大人の男が全力で斧を振り下ろしても骨にヒビが入らない硬さなんだけどな」
「白井が言うなら大丈夫だな」
身体の変化を確かめるように、屈伸したり背伸びしたりする水野。
「拳銃もある程度なら筋繊維で止まる。道具はいつも通りで大丈夫か?」
「うん。ナイフと、念の為にPPKね。予備弾倉も一つ持って行くよ」
「了解」
白井から渡されたサバイバルナイフを右の太ももの辺りに、ワルサーPPKはズボンの腰に押し込んだ。そして予備弾倉は右ポケット。
まるで遊びに行くようなラフな格好で、水野はよしっと呟く。
「それじゃ軽トラ借りてくよ」
靴を履いた水野は、玄関に掛けている軽トラックの鍵をこちらに見せながら言った。
「おう、満タン返しな」
「はいよー」
そう言って出て行く。
玄関の鍵を閉めると、白井はソファーに腰掛けて眠りについた。