勇者、最後の挑戦
「よく来ました、勇者マサキ。アナタの使命は、この世界を崩壊させようとする魔王ナブラヘイムを倒すことです」
数年前に勇者マサキを選定したシステムが、世界の要請を受けて再び新たな勇者を召喚した。選ばれたのはマサキであった。
またマサキを案内する妖精も新人が選ばれた。通常、勇者の教育係も兼ねる案内役には、妖精の中でもベテランが担当する。しかし今回、前例のない新人が担当する事になった。
マサキは魔王の幹部に敗北したが、魔王はその魂を拾い上げ、自分の配下にしたのだ。魔族としての肉体にその魂を入れ、そして特訓と教育を叩き込み、幹部とともに鍛え上げ、魔王軍の中で戦わせ、徹底的に訓練した。マサキに与えられた肉体は最も充実していた10代後半のものとなり、それに伴い精神も賦活していた。また魔族の肉体を得たことで敵弾(この場合は味方の弾だが)が当たっても、一発では死なない強靭な防御力を手にしていた。そしてその防御力を背景に、幹部たちとの模擬戦を繰り返した。
さらに天上界から妖精を一人派遣させ、魔族マサキに同伴させて幹部たちとの戦闘を行った。分霊状態の妖精は物理現象が効かない幻影のような存在である。それを利用して、妖精はマサキが「避けて撃つ」ことだけに専念できるように、それ以外のすべてを担当する。そのために妖精はマサキの過酷な訓練に常に同伴し、さらに魔王は妖精にさまざまな情報を教え込んだ。こうして厳しい特訓を魔人マサキと妖精に施した魔王は、二人が仕上がったと見ると、いよいよ最終フェーズに駒を進めた。
「我が配下である魔人マサキに使命を与える。お前、ボクを裏切れ。お前は魔族なのに裏切って勇者となるんだ。勇者になったらちゃんと勇者の仕事を全うするんだよ!」
魔王の部下が裏切って味方になる。ゲームでも漫画でも小説でもよくある話だ。特にゲームでは元魔族とか元敵の幹部とかが味方になると、かなり強力な事が多い。案の定、このビハルダールの世界でも創造神が構築したシステムは敵の裏切りを許容していた。
そしてもう一つ乗り越えなければならない壁がある。果たして敵の裏切り者が勇者になれるのか?
結果的には無事になれた。もともとマサキは勇者としての条件を満たしており、魔族として改造されたマサキでもその条件を満たす事ができたのだ。こうして敵の力を有した上に勇者の力を宿す、過去に類を見ないほどの性能をもつ勇者がここに誕生した。
さらに妖精である。勇者に付き従う妖精は直接戦闘に加わることは出来ないが、勇者の支援兵器として地球の戦術を導入し、それを妖精に叩き込んだのだ。妖精王グレオンは魔王の元に新人妖精であるアントラセンを派遣し、魔王は徹底的に対魔王の戦術をアントラセンへと教え込んだ。自分や幹部の持つ武器や戦闘方法をシステムが許容する範囲でアントラセンに伝えたのだ。
今のマサキは10代後半の肉体に加え、徹底した訓練と教育により、もはやかつての人間のクズではなく、冷徹な戦士となっていた。また肉体だけでなく基礎精神力を養うスパルタ教育を受けたことで、怒りや怠惰といったものは封印され、今のマサキは目的を完遂するためのマシーン状態である。肉体も大きく若返り、勇者として必要な技能も長い訓練によって鍛え上げられた。付き添う妖精もスポッター(※)として鍛錬を積み、そこにも抜かりはない。
妖精王に直接指定された戦闘妖精アントラセンと、魔王によって戦略兵器と化した勇者魔人マサキは、こうして他の妖精たちが見守る中、再び地表に向かって旅立とうとしていた。
◇
すでに場所はマドーガ上空である。魔人マサキは天上界から一直線に森林都市マドーガに向かった。鍛え抜いた筋肉を持つ右腕を前に突き出しながら、まるで空中をクロールで泳ぐかのように、空を一気に突き進む。もともと魔人として空を飛ぶ力を持っていたマサキの両足に、勇者として空中を駆ける力が追加されたのだ。そして幾度も重ねられた足腰を鍛えるトレーニングにより、マサキは妖精以上に自在に空中を舞い、一気に距離を縮められる縮地と言われる跳躍力を身に着けていた。
「敵との距離、残り4000、射程は200。今の速度ならあと5秒で到達。敵からの攻撃はなし。このまま進路を維持」
「了解。こちらの身体には異常なし。このまま突進する」
マサキの左肩に片膝を付いたポジショニングを取り、はるか前方を見据えるスポッター妖精アントラセン。彼女は都市マドーガの上に配置されたはぐれクラゲの場所を明確に察知すると、その位置を正確に勇者に伝える。マサキは周囲の索敵を完全にアントラセンに依存し、自分はターゲットのみに集中する。空中を流星のごとく恐るべき速度で頭から突き進むマサキは、アントラセンが計算した通りに5秒後に敵はぐれクラゲを射程内に捕らえた。
「ギガフレイム」
マサキの右腕から赤い光がまっすぐに放出される。マサキは手の指を絞っており、光の直径は50センチメートルにも満たない。径を絞るほど命中しづらくなるが、右手のレーザー光は威力を増し、さらに速度も早くなる。マサキは見事にレーザーをクラゲの胴体に命中させていた。
「GYAAAA!」
マサキを認識しないまま勇者の攻撃を受けたクラゲは絶叫する。体の下に垂れていた突起を上に向け、自分を攻撃してきた上空に反撃しようとする。しかしマサキの攻撃はクラゲをあっという間に燃やし尽くし、消失させてしまった。まさに瞬殺である。
「ターゲット沈黙。周囲に敵影なし。マナを吸収し、任務を完了させよ」
「了解。サポートに感謝を」
マサキは右手のレーザーを止めて、左手を開いてクラゲが残したマナを左掌の文様に吸い込ませる。
「このまま北上し、山岳地帯を目指す。途中の敵を殲滅させながらマナを稼ぐ。疲れてないわよね?」
「戦闘の継続に問題なし。指示に従い北上する」
マサキは体を進行方向に寝かせると、水泳のクロールのように足を動かして北に進む。様々な訓練を受け、疲れが溜まりにくい方法で空中を高速移動できる方法をマサキは自然に身に着けている。結果、地上を走るよりはるかに少ない体力で、マサキは空中を泳ぐことができる。
また妖精は瞬間移動する力を持つが、今回はそれを使わない。移動中にもモンスターを倒してマナを集める事、そして新たにマサキに付加された勇者の力に習熟するためである。
「敵、2時プラス20度、3時プラス10度にそれぞれ4体。その後に距離3000・・・」
アントラセンはクロックポジションに仰俯角を組み合わせた方角指定を使ってマサキに敵の位置を伝達する。勇者より優れた空間感知能力と索敵能力により、いまやアントラセンは世界最高のセンサーでありスポッターであった。
マサキは右腕とともにレーザー光を自在に振り回しながら、マドーガの北に生息していたモンスターを消滅させていく。戦場をコントロールするのは妖精アントラセンであり、マサキはその指示に従って敵を倒すだけだ。二人は長い間、ペアを組んで過酷な環境に置かれた事により、一心同体とも言えるコンビネーションを構築している。無駄口を叩く暇もなく、マサキはレーザー光で敵を焼き尽くしていく。最初は腕の動きと勇者固有武器であるレーザー光の着弾点に大きなズレがあったが、それを戦闘を繰り返しながら修正させていく。また体や視線を変えた時でも、レーザー光の位置を動かさないように練習を重ねる。最初は意識しなければ出来なかったレーザー光の向きの固定が、何日も何日も訓練を積むことで、ようやく無意識でそれができるようにまでになる。
「だいぶ無意識でのコントロールができるようになったわね。今日の戦果としては十分だと思う。……では体力を回復させるために一旦マドーガに帰還する。明日、再びこの場所から任務を遂行する。今日はゆっくり休みなさい」
「了解、お疲れ様、盟友アントラセン」
妖精の瞬間移動能力により、マサキはマドーガのホテルに戻る。ホテルはこの世界のルールによって、常に最上級の部屋が無料で使えるようになっている。勇者の中にはそれを悪用し、ホテルの部屋に入り浸る人間もいた。
しかし魔人マサキはそんな無駄なことをしない。魔王に与えられた任務を遂行するため、妖精アントラセンの言う通りに風呂に入って体を清め、栄養価の高い良質の食事を取った後に、ベッドにて睡眠を取る。
マドーガにあるホテルの支配人は、これまで何人もの勇者をお客として迎えてきた。長年の客商売によって人を見る目が肥えた支配人にとって、これまでホテルを利用した勇者に期待できる人材は居なかった。おどおどする者、傲慢な態度をとる者、ホテルの従業員にセクハラやパワハラをする者、どれもこれも30歳を過ぎた人間だと言うのに小物ばかりであった。
しかし先週から訪れた新たな勇者は、全然違った。透き通った目、穏やかな態度、鍛え込まれた肉体、それでいて穏やかで自信に満ち溢れた態度は、支配人はひと目でモノが違うと感じ取った。
事実、朝早くにホテルを出た勇者は、夕刻になると戻ってくる。これまでの勇者は長くて3日ほどしか滞在せず、しばらくすると別の勇者がホテルを訪れる。それは勇者が死んで、新たな勇者が召喚された事を示す。それを知るホテル支配人は、すでに勇者には期待しなくなっていた。
しかし今回の勇者は4日目以降も生きて戻ってくる。無口ではあるが挨拶やお礼はきちんと言うし、横柄な言動もない。見事な肉体に短く刈り揃えられた髪型は清潔感が漂う。眼球が赤いのと口蓋から鋭い犬歯が覗くのに最初は驚いたが、見慣れるとそれも魅力に思えてくるから不思議なものだ。
事実、ホテルの従業員からの評判もよく、特に若い女性スタッフは甲斐甲斐しく勇者の世話を焼く。これまでの勇者に対しては決してなかった事だ。まだ20歳にもならないであろう若い勇者は、自分だけでなくすでに従業員たちの希望になっている。彼ならば魔王を倒し、モンスターの脅威を拭い去ってくれるのでは?支配人はそう思わずにはいられなかった。
※:スポッター…観測手。目標までの距離の測定や敵の配置、周囲環境を確認し、弾道計算や状況分析を行う狙撃手のサポート役