勇者、そして愚者
「ふわぁー、でっけぇー!」
地方のド田舎から修学旅行で東京に来た小学生のような顔と表情で、俺は森林都市マドーガを見回す。上空からは木々に建物が隠れていたので分からなかったが、地上に降りるとあまりの巨大な木と建物に驚いてしまう。この森林都市に生える大樹は、一本一本が東京タワーに匹敵するほどに大きい。葉は緑色だが、枝はかなり上の方にある。俺は口をだらしなく開いて上を見上げていた。
この都市の建築物は、木の幹を囲むように建てられている。まるで木の幹巻きみたいな建物だ。俺がクラゲを倒した事に気付いたのか、建物や木の根に隠れていたらしい住民がちらほら現れ始めた。みな、俺と同じくらいの背丈だが、服装は東アジアの民族衣装みたいに派手だ。人口が10万人という事だが、それにしては行き交う人々の姿は少なく見える。
「この世界は東京のように一極集中じゃないからね。都市マドーガといっても北海道くらいの面積があって、そこに10万人だから、人口密度で言えばかなり低いわよ」
あまりに木がデカ過ぎて、自分が小人になった気分で俺は歩き始める。地面は基本的に黄色味がかった土に石畳の道路が無秩序に入り混じっている。木と木の間を道路が通っているので、真っ直ぐな道がほとんどないのだ。自動車とかもないようなので、この都市の移動手段はどうやってるのか気になる。すると道路の上を、何と巨大な葉っぱが走ってきた。
「うわ、葉っぱ?葉っぱに人が何人も乗ってる?」
たまご型の葉っぱに人が6人ほど乗っているが、それでも余裕があるくらいに葉っぱは大きい。葉っぱは地面から少し浮いているようで、音もなく自転車の全速力くらいの速さで静かに走っている。葉柄に跨る人間がいるが、どうやらそれが運転手のようだ。
「この世界ではマナを使って宙に浮くことが出来るの。世界樹の葉にはマナが蓄積されているから、それを利用して今みたいな乗り物にしているわ」
マサキの肩にぺたんと座った妖精が説明してくれる。マナといえばモンスターの活動源という説明だったが、それと同じものだろうか?
「ええそうよ。人間にもマナがあるし、この世界の命はみな大なり小なりマナを取り込んで生きているわ。マナを異常に取り込んだ生物がモンスターになるの。アンタが持っている勇者の力も、左手の爆発と浮遊能力はマナを使ってるわ。普通の人間では同じことは出来ない。勇者だけが使える特別な力よ。勇者はマナの変換効率が高いのよ」
「へー、なるほど。だからこの世界では俺は空に浮くことができるのか。あれ?じゃあ右手のギガフレイムはマナを使ってないのか?」
「ええ、それは別。私が使う力と同様に、創造神が許可した力なの。更に特別な力であり、魔法といって良いかもね」
「おお、魔法。すげぇ、勇者の力って魔法とマナの2つも使えるのか。そりゃ強ぇわ」
妖精の説明に胸がときめく。特別な力、俺だけが使える最強の力、やったぜ。俺は特別な存在!俺は両手をぐっと握りしめる。……そしてふと思う。
「……なぁ、もしかして俺ってこの世界で王様にもなれる?」
俺が選ばれし特別な存在であるというなら、この世界の頂点に立っても良いはず、だよな?
「魔王を倒せたら、なれると思うわ。なってみる?」
「……なってみたい。というか俺がならなきゃダメだろう?だって俺は最強で特別なんだからさ。RPGじゃないならレベルアップも不要だろうし、よっしゃ、さっさと魔王を倒しちゃおうぜ」
俺は猛烈に感動している。この世界が魔王によって滅ぼされようとしている。そんな中、俺は勇者として選ばれ、魔王を倒す最強の力を手にした。どこぞのRPGと違って、シューティングは多少のパワーアップは必要になるが、ラスボスを倒すのに修行やレベルアップなど不要だ。それにテクニックさえあれば初期武器でもラスボスを倒せる。シューティングでラスボスと初期装備で戦うなんてよくあることだしな。伝説の武器や仲間や魔法を集めて強くなる必要があるRPGとは世界が違う。そもそもクリア目的に限れば、シューティングゲームの場合はある程度装備が整ったらラスボスとさっさと戦った方が圧倒的に楽だしな。
「勇者の力は魔王すら滅ぼすわ。でも魔王には幹部という強力な配下が居るから、それを倒してからでないと大変よ。弾幕シューティングでもボスが何体も同時に出てきたら流石にクリア出来ないでしょ?」
「そりゃそうだ。中には2体同時に出てくるボスとかも居るけど、基本はボスと1対1だしな。わかった、まずは敵の幹部を倒していけば良いんだな。さっそく行こうぜ!さっきみたいに一瞬で連れてってくれよ」
こんなに自信に満ち溢れるのはいつ以来だろうか?俺はできる、やればできる人間なんだ! ついついニヤける。
ん?なんか視線を感じた。少し離れた所で、若い女の子がこちらをじっと見ている。なんだ?勇者たる俺のオーラに見惚れた?その女、よく見るとずいぶん可愛い。今まであまり女に興味はなかったけど、なぜか今は女が気にかかる。俺を見ている女は20歳かそれよりちょっと若いっぽいけど、もし大学時代にいたら学部のアイドル、いや大学のアイドルになれる位の可愛さだ。
ただ俺は女に声を掛ける事が出来ない。自分を硬派だと思っているので、自分から女に声掛けするのは性に合わないのだ。俺はこの世界の勇者であって、さっきもこの都市を襲ってきたクラゲを倒した。だから女の方から俺にお礼を言いに来るべきだ。そう考えた俺は、その場でしばらく腕を組んで、女が声をかけてくるのを待った。
「そういう間違った考えと態度が、ゲームセンターから女の子を遠ざけたのよね……」
「ん?何を言ってる?俺は勇者で、この世界を救う男なんだろ?魔王を倒せば俺が王になる。さっきもクラゲを倒したしな。ということは今のうちに俺と仲良くなっておけば女も幸せじゃん」
この妖精は何を言っているのだろう。妖精はなぜか呆れたような表情で俺を一瞥すると、視線を逸した。なんだよ、ホント意味がわかんねぇ。まあいいや。ほら、俺がこうして待ってやってるんだから、女の方から声をかけてこいよ。そう思ってさっきの可愛い女の方を見ると、そこには誰も居ない。あれ?どこに行った?と少し見回してみるが、あの女は影も形もなくいなくなっている。……なんだよ、根性なしめ。後から声を掛けてきても無視してやるからな!
「どうする?まだこの街に居る?それとも魔王の幹部と戦ってみる?今なら私の力で敵のそばまで連れて行ってあげるわよ」
少し悩む。このマドーガという森林都市は興味深い。いろいろ見て回りたい気分もある。でも俺が王になれば、この都市で好きなことを好きなだけすることが出来る。さっきの女にも俺の好きなように命令できるだろう。うん、そっちの方が楽しそうだ。クラゲと戦っただけで全然疲れてないしな。そう思った俺は妖精に敵幹部が居る場所に連れて行くように頼んだ。
……それが失敗だった。俺は弱い敵を相手に、もっと勇者の力を試してから挑戦すべきだった。なぜあのとき、俺はいきなり敵幹部と戦おうと思ったのだろうか。調子付いていたのか、何かに酔っていたのか、増長していたのか。それともそのすべてか。
妖精が瞬間移動で連れて行ってくれた先は、俺の腰が隠れるほど背の高い草がぼうぼうに生えている一面の草原だった。ところどころに木も生えているが、さっきまで居たマドーガの大木よりも背丈が低い。見渡す限り、殆どが草ばかりだ。見上げた空はまだ明るく、自分や木の影が短いのを見ると時刻は昼過ぎあたりだろうか。
あまりに草が多くて歩きにくいので、俺はギガフレイムで邪魔なそれを焼き払おうとした。しかし俺が放ったレーザーが草原を一閃したのにも関わらず、草が焼けるどころか何も変わらない。あれ?
「勇者の武器はモンスターにのみ効果があるのよ。この星の自然や地形には一切効き目がないわ」
「なんだよそれ、聞いてない。……ちょっと待って、ギガフレイムがモンスターのみに効くって、もしかしてこの世界の人間に向かって撃っても効果ない?」
「ええ、ないわよ」
その答えに、俺は心の中で何かがひび割れた音がした。
「いや、もちろんこの力を普通の人間に使うつもりはない。けど、例えば俺に悪意を持った人間が居て、そいつが襲いかかってきても、俺はこの勇者の力を使ってそいつを倒せないって事にならないか?」
「そうね、そうなるわ。勇者の力はどんな悪党であってもこの世界の人間に効かないってのが創造神がお決めになったルールだから」
「はあ?!じゃあ勇者は魔王を倒せても人間は倒せないって事?なんかおかしくない?俺はモンスターや魔王に対してしか強くないって事?納得出来ないんだけど?!」
この世界で最強の力というのに、人間相手にはまったく意味がない。ということは、もし俺が魔王を倒してこの世界の王になった後だと、俺には絶対的な強さがなくなっている事になる。それじゃあ安心して王になれないじゃないか!
「地球だって別に暴力で国を治めているわけじゃないでしょ。力で国を支配するんじゃただの独裁者じゃない。何アンタ、この世界の独裁者になりたいの?」
「そういうわけじゃない。ただ俺がもし王になったとして、絶対的な武器がないんじゃ不安っていうか……」
「野生動物のボスじゃないんだから、暴力だけで王になってどうすんのよ?国民を正しく導ける人間が王になるべきでしょ?それに野生動物だって、暴力も当然だけど群れを率いる統率力もボスには必要になるわ。アンタも統率力や指導力を身につければ良いんじゃない?」
「うぐっ」
確かに妖精の言う通りかもしれない。俺は俺が特別な存在になったからこそ王になるべきと考えたが、どうやらちょっと先走りすぎたかもしれない。最強の力がモンスター限定となると、モンスターが居なくなった後の世界では、俺の特別感が薄れてしまう。
あれ?確か高校の授業で習ったな。兎が死んで犬が食われるとかなんとか…… たしか獲物の兎がなくなると、猟犬が要らなくなって喰われるとか何とか…… もしかして俺が魔王を倒したら、勇者の俺も要らなくなって…… いや、そんな…… そんなこと……
「ほら、アンタが望んだ敵が来たわよ。あれは幹部の眷属である軍隊蟻ね。あいつらを全滅させれば、幹部が出てくるわよ。ほら、さっさとやっつけなさい。考えるのは後でもいいでしょ」
ここに来るまでは意気揚々としていて燃え上がっていた情熱が、今はしぼんで萎えてしまっている。そういえばさっきのマドーガの街でも、俺がせっかくクラゲを倒したのに、住民からは何も称賛されなかったし逆に逃げられた。おかしい、なんかがおかしい。
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そうして俺は蟻の軍団を倒し、敵の幹部である女王蟻に戦いを挑んだ。女王蟻が従えていた雑魚蟻は簡単に殲滅したものの、ボスである女王蟻には手も足も出ず、俺はやられてしまった。王になるどころではない。なんで、なんでせっかく生まれ変わって、勇者に、選ばれた人間になったのに、なんで……
……失敗だった。俺は弱い敵を相手に、もっと勇者の力を試してから挑戦すべきだった。なぜあのとき、俺はいきなり敵幹部と戦おうと思ったのだろうか。調子付いていたのか、何かに酔っていたのか、増長していたのか。柄にもなく女に良い所を見せたいと思ったのか。それともそのすべてか。
ああ、俺はサギ投資会社に騙されて財産すべてを失った時と同じ事をしている。なんで俺は変なところで自分の事を過信して、間違った判断をしてしまうんだろう…… あのインチキ野郎に、俺はすべてを奪われて、借金まで背負わされて、親に叱られて、何もかも嫌になって自殺したというのに…… 死んだ後でもまた同じ過ちをしている。
「バカは死ななきゃ治らないっていうけど、バカは死んでも治らないの間違いだったわね」
女王蟻にやられて動けなくなった俺を、いつの間にかそばに居た妖精が冷めた目で見つめている。激痛は今も続いているが、なんだか痛みと感覚が乖離し始めた。俺はもう口も開けられない。助けてくれ。その言葉すら声に出せない。
「無能無職が何の努力も苦労もなく新しい世界で成功するわけないのよね。いい加減、システムも考え直して欲しいわー」
日本で電車に飛び込んだ俺をこの世界に連れてきてくれた妖精は、この世界で女王蟻に倒された俺を助けようとしない。俺はこうして2回目の死を迎えた。次こそ失敗しないように注意しないと……