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妖精と勇者と壮麗の女王

鉄の王エピーレットを倒してから2日目、マサキは日が高く上がった頃に目が覚めた。医師の診断を受け、とりあえず退院を許可されたマサキは、体を清めた後に破損した服と同じものに着替える。ホテルの支配人が、同じ服をわざわざ用意してくれていたようだ。病院食を摂った頃、アントラセンが病室に現れた。


「勇者マサキ、どうやら回復したようね?」


「ああ、さっきまでぐっすり寝たからもう大丈夫。医師からも退院していいってお墨付きだ」


マサキは腕を軽く振り回した後に屈伸する。まだ左足が突っ張るような感覚が残るが、動かす時に痛みは感じない。とはいえ世界樹の葉はしばらく貼り付けていなければならないが。


「じゃあ早速、次の戦場に向かう? ちょっと危険な場所だから、途中で引き返す事を前提にしているわ。今のアナタは無理できないから、ちょうどいいでしょ」


妖精たちは瞬間移動という技能を持っていて、マナが満ちている場所すべてに自由に行き来することができる。しかし魔王とその幹部たちは周辺のマナを吸い込んでいるため、妖精はそれら存在とかなり離れた場所にしか瞬間移動できないのだ。そして次のターゲットは蒼麗女王カリオ、その支配する場所は青の砂漠である。


「まるで海だ」


「海?海ってこんな感じなの?」


二人が瞬間移動で着いた場所は、見渡す限りの青い砂が広がる広大な大地だった。砂というより粉ほどの細かい青い粒子が大地を染め上げ、そこに風が吹くとまるで霧のように舞い上がりながら波がうねる。マサキが地面にかがんで砂を手で掬い上げると、指の隙間からサラサラと零れ落ちていく。よく見れば砂は青いだけでなく、透き通っている。だから遠目では水のように見えるのだ。


細かい砂は常に動き続けるため、遠目では水煙を巻き上げた海のようである。どの方角を見ても水平線のような地平が続いており、マサキは博物館で見た海岸の模型を思い出した。


そして内陸の国で生まれ育ったアントラセンは、海を知らない。海の存在は知っているものの、映像などの情報も殆どなかった環境で育ったため、アントラセンは地球の海を一度も見ること無く、その生命を失った。


アントラセンが海を知らずに生を終えたことを思い出したマサキは、少し胸を痛めるが、それでも正直に伝える。


「地球の海にもいろんな種類があるんだけど、どの海もこんな風に周りに水しかないんだ。この世界にも海があるみたいだから、今度見に行こう」


「そうね。たしか海を拠点とする魔王の幹部も居るはずだから、きっと次の戦場は海になるわ。そのときには地球の海とこの世界の海の違いを教えてもらえるかしら?じゃあ、そろそろ仕事しましょうか」


マサキは自分の肩に立つ妖精に頷くと、手に掴んでいた青い砂を捨て、ゆっくりと立ち上がる。すでに周囲には殺気が立ち込め始めているが、それを発する敵の姿はまったくない。青い砂が波のようにうねっているだけだ。


「敵は……地面の下か」


「ええ、すでに100を越える数がこちらに押し寄せている。私の感覚だと長い紐状の敵のようね。空中に避難を」


妖精に言われた通りにマサキは地面を蹴り、上空に浮かぶ。砂漠には植物や人工物など一切ないため、空から見下ろすと、視界すべてが同じような景色に距離感や方向がぼやけてしまう。空中に浮いてから数分が経つが、波や水の音が聞こえてくる海と違って、音を砂が吸収してしまうのか、あまりに静かすぎる。


「敵はこの下を中心に、すでにたくさん集まってきている。なのに姿を見せない。もし敵が地面に降り立つのを待ってるとしたらマズイわね」


妖精の表情に陰りが見える。この世界において、魔王の幹部と戦うには条件が2つある。一つは幹部が待っている場所に辿り着くこと。洞窟の奥にいたガンボーゲや鉱山の山腹に巣を張っていたエピーレットがそれである。もう一つが幹部の眷属を全滅させた後に登場するモノ。女王蟻もそうだが、この青の砂漠に住まうカリオもまたその類であった。


マサキたちとしては自分たちが有利な場所で戦いたいのに、敵が出てこない。幹部と戦うためには、不利な場所にわざわざ近づかないとならない事になる。砂漠とはいえ気温は高くなく、持久戦になっても問題は少ないだろう。しかし敵が砂の中に隠れている事を承知で、砂に近づかなければならないとなると、かなりの困難が予想される。


「俺の故郷には、虎穴に入らずんば虎子を得ずという言葉がある。虎の子を捕まえるためには虎の巣に入らなければならない。まさに今の環境だな」


「私の故郷では迂闊に砂漠に近付くなという言葉しかないわ。軍でも砂漠で戦うなと徹底的に教え込まれたけど?」


パートナー妖精に同意を得られず、マサキは口を閉じる。しかしアントラセンは自身もかつて砂漠戦を何度か経験したことがあり、その特殊な環境による困難を知っている。マサキは今回、初めて砂漠戦に挑むことになるだろうが、この世界の砂漠自体をしらないアントラセンは、スポッターとしてどう助言すればよいのか分からず珍しく頭を悩ませていた。


「このままでは埒が明かないのは確かね。地上に近付くしかないけど、危険を感じたらすぐに上空に逃げること、そしてボルテックスも躊躇なく使用すること、この2つは守りなさい。そして状況次第では私の判断で戦場を脱出する。良いわね?」


「了解。戦うのではなく、状況を知る事を最優先とする。確かに俺は砂漠で戦うどころか、砂漠を見たことすら無かった。アントラセンの判断にすべて任せる」


マサキは気を引き締めると、ゆっくりと地上に向かう。いつも以上に慎重に、まるで見えない階段を一歩一歩降りていくように、自分の体を地面に近づける。アントラセンはその慎重な動作に満足すると、スポッターとして自分の持つ感知能力を全開にした。マサキに左肩に片膝を付き、右手はマサキの耳たぶに触れている。危険を察したら渓谷と同時に耳たぶを掴むのだ。


マサキは右手を下に向け、指を広げてギガフレイムの発振状態を取る。額や右手にいつの間にか汗が滲むが、それを気にすること無くじわじわと砂地に近付いていく。地面まであと4メートル、3メートルとなり、自分の身長と同じくらいの2メートルになった時だった。辺りの砂が一斉に噴き上がり、モンスターが姿を現した。それは巨大なミミズのような糸状の生物だった。


マサキやアントラセンは知らなかったが、それは地球では環形動物が巨大化したものだった。ゴカイのような多毛類、ミミズのような貧毛類、そしてヒル類が代表的だが、それぞれに似た巨大ゴカイ、巨大ミミズ、巨大ヒルが砂の中から体の一部を地上に突き上げてきた。巨大ゴカイは紫色で体中に細い毛を生やしている。口から青い砂を吸い込むと、それを体内で結晶化し、体の毛から周囲に放出する。巨大ミミズはピンク色のヌメりを持つ滑らかな表皮をもち、やはり口から飲み込んだ砂を体内で固め、再び口から一方向に向かって放出する。橙色で毛羽立った肌をした巨大ヒルは、他の二種類と違って砂を武器にせず、自分自身が飛び掛かってくる。それぞれが直径3メートル、体長20メートルの巨体であり、それが今まで何もなかった砂地から何十匹も飛び出してきた様は、まさに地獄図だった。


「うわぁあ!」

「キャアっ!」


どれだけ注意を払っていても、青い砂漠から巨大で気持ちの悪いそれらが一斉に現れると恐怖である。冷静なマサキも天上界では鉄仮面とあだ名されるアントラセンも、巨大なゴカイやミミズやヒルの大軍の出現に落ち着いてはいられなかった。


「ギガフレイム!」

「いったん、上空に逃げて!」


これまで整然としていた二人の呼吸も乱され、軽く混乱しながら叫び声をあげる。マサキは手から必殺のレーザー光を放つが、地面全体に現れたモンスターの数体しか焼き尽くす事はできない。耳たぶを力いっぱい掴みながら叫んだ妖精の声に反応して、レーザー光を放ちながら最大の力で上空に飛翔する。鍛え込まれたマサキの跳躍力は凄まじく、一瞬で数十メートル移動する。


ところが巨大なヒルの一群が、逃げたマサキを追うために地中から空中に飛び跳ねた。それも視野いっぱいに広がる砂漠のあちこちからである。流石にマサキほどの速度はないが、次々に自分に迫る20メートルサイズのヒルをすべて撃ち落とすことはできない。マサキは左手のボルテックスを発動しようと構えるが、それより早くアントラセンが瞬間移動を実行していた。景色がモザイクのように激しく変化するなか、マサキは初めて妖精の悲鳴を聞いた。



「ごめんなさい」


森林都市マドーガの広場で、珍しくアントラセンがマサキに謝罪していた。完全にパニックに陥ったアントラセンは、直前に立てていた計画を無視して戦場を離脱したのである。敵前逃亡は厳罰モノだが、しかしマサキは冷静になっていた。


「もしかしてアントラセンってああいう生き物が苦手?」


「苦手というか、ヒルは地球では何度も噛まれたことがあるけど、あの大きさだと、正直ちょっとダメだった」


泣きそうな顔で妖精がうつむく。初めて見るアントラセンの弱気な姿にマサキは変に緊張してしまう。


「たしかに気持ち悪い見た目の敵だった。でもアントラセンは分霊だから、アイツらに触れる事はない。まずは落ち着こう」


「その通りね。そう考えると落ち着いてきたわ。……本当にごめんなさい、そんな事も忘れて瞬間移動してしまって……」


励ますつもりが、さらに落ち込む妖精に、マサキは更に焦る。そしてある事を思い出す。


「物事は成功か失敗の2択じゃない。失敗を積み重ねた先に成功がある。そう言ったのはアントラセンだ。今回の失敗を受け入れて、もう一度挑戦しよう」


マサキはかつて女王蟻との戦いでのセリフを言うと、ようやく妖精は笑顔を見せた。分霊の姿であるアントラセンは、自分の顔よりも小さなサイズであるが、それでもその笑顔には破壊力があった。


「わかった。ありがとうマサキ。私は失敗したけど負けたわけじゃない。もう一度行きましょう」


「ああ、これまでだって一人の幹部に勝つのに何日も掛けた。今回も少しずつ前進すればいい」


狼狽したあと、蕩けるような笑顔を見せた妖精にマサキは内心ドキドキしてしまう。それを隠しながら、マサキは必死で言葉を取り繕う。そんなマサキの内心に気付かないアントラセンは、再びマサキとともに青い砂漠に瞬間移動を開始した。



先ほど離脱してから10分も過ぎていないであろう砂漠だが、戻ってみれば静謐な空間であった。巨大な環形動物の姿は一匹も居ない。砂漠の表面は静かに風に揺れている。


「ここはさっきと同じ場所……なのか?」


右手を構えながら問うと、妖精は頷く。


「同じ場所なのは確か。数は減っているけど、地中にモンスターが隠れている。お詫びというわけではないけど、私だけ砂の上に降りてみていい?モンスターが誘き出されるか試したいの」


分霊の姿である妖精は、基本的には物質ではなく波動や映像のような存在である。大気中の粒子にエネルギーを使って妖精の姿を映し出しているに過ぎないのだ。ただしそのエネルギーは他の物質に対する干渉性を持つため、それを使って物理現象を生むことができる。妖精の声自体がその現れの一つであるし、マサキの耳を掴んだりするのもそれを利用してのことだ。


この青い砂漠で地中に隠れているモンスターは、こちらが近付いた途端に一斉に襲いかかってきた。マサキの何に反応したのかは分からないが、アントラセンは自分が地面に触れて砂に干渉すれば、モンスターが飛び出してくるのではないかと考えたのだ。妖精による囮作戦であり、マサキはあまり良い気持ちはしないものの、モンスターが地中に居る限り攻撃手段はない。仕方なくアントラセンの作戦に従う。


アントラセンは静かに砂漠の上に立つと、意思を足に込め、その場で飛び跳ねた。すると狙い通りに、地中から巨大なゴカイやミミズが顔を出し、アントラセンに向かって次々に砂弾を吐き出す。


「ギガフレイム!」


上空に待機していたマサキは、モンスターを狙い撃つ。するとモンスターは地面のアントラセンではなく、空にいるマサキを狙って弾幕を撃ち出してきた。


「どうやらレーザーの光にも反応するようね」


いつの間にか自分の左肩に立っていたアントラセンに驚くが、それ以上にマサキは安心する。モンスターの物理攻撃は無効だと分かっていても、アントラセンが攻撃されるのは精神的につらかったからだ。


「いわゆる初見殺しの敵だな。仕掛けが分かれば対処可能だ」


マサキは何千発もの砂弾を避けながら、確実にモンスターを焼き払っていく。今のマサキは場所的にも精神的にも優位な場所にいる。周囲からここにモンスターが集まってきているのをアントラセンは察知するが、この状況であれば問題なく倒せる。二人がそう判断したが、事態は思う通りには行かなかった。



「おかしい、敵が減らない」


最初に気付いたのはマサキである。ギガフレイムを地面に向けて放出し続けているが、モンスターが燃え尽きないのだ。空中に跳躍してくる巨大ヒルはすべて迎撃できているのに、地表の敵がまったく減らない。最初に当てたゴカイやミミズは1秒程度で焼失できたのに、今は10秒近くギガフレイムを当てても変化が見られない。周辺からどんどんモンスター達が集まってくるせいか、地面は砂煙が立ち篭めている。マサキの違和感にアントラセンも気付くと、妖精は一気に地面に飛び立った。そして地面に到達して理由を察する。


「砂の粒子でレーザーが遮られている?!」


実際には光の吸収散乱であるが、青の砂漠を構成する砂は半透明で粒子が細かいため、砂煙の厚い層ができると光を中途半端に透過・分散・減衰させてしまう。そのため勇者の武器であるレーザー光が地面にほとんど到達しなくなってしまっているのだ。マサキの肩に戻ったアントラセンが状況を伝えると、マサキも顔が曇る。モンスターが暴れ回っていることで、今や地面は視界すべてが砂煙で覆われてしまっている。モンスターが地面の中を動くたびに砂が舞い上がるため、その砂煙は増える一方で減る気配がない。モンスターが飛ばしてくる砂弾も膨大な数であり、さらに巻き上がる砂煙で弾が見づらい。そこにヒルの飛び掛かりが混じってくる。


「アントラセン、状況が悪い上に現状では打破できる手段がない。撤退を希望する」


マサキに同意した妖精は瞬間移動を発動する。今日2回目の砂漠からの離脱だった。



「地上にレーザーが届いてないのか……」


森林都市マドーガの広場で、マサキは妖精が確認した状況に驚く。砂煙によってギガフレイムが吸収散乱され、地面に蠢いているモンスターを倒すことが出来ない。砂漠では基本的にモンスターは地中移動し、さらに獲物を見つけるとあっという間に集まりだし、一斉に砂の上に顔を出す。その時に砂煙が舞い上がるため、ギガフレイムでモンスターが倒せなくなる……


「あの砂漠、モンスターも環境も俺と相性が最悪なんだな……」


軽く肩を落としてマサキは呻く。アントラセンには砂漠での戦闘経験があるため、対策はいくつか考えられるが、現状で使えそうな方法がない。そこで妖精王グレオンに相談するため、アントラセンはマサキに断りを入れると、天上界に向かう。


「スポット的に雨を降らせというのか?」


「はい、30分間、いえ10分だけでも構いません。青の砂漠に雨を降らせられませんでしょうか?」


妖精王グレオンは手を顎に当てて考える。天上界では妖精パルフィがマサキとアントラセンの戦闘を常に監視しており、グレオンも状況を把握していた。4人目の幹部が拠点とする青の砂漠において、マサキが大苦戦しているのも知っている。勇者の武器が砂漠と相性が悪いことはグレオンさえ知らなかったが、そもそも今の魔王体制になってから、一度も魔王の幹部を倒した勇者が出ていないのでそれは仕方無かった。


魔王は世界を巡る生命の源であるマナをコントロールするが、天上界は世界の育成を制御する。その機能の一つには確かに天候操作も認められている。ただし無条件でもないし制約も多い。天上界の最高責任者である妖精王はシステムのルールブックを取り出して、アントラセンの希望を叶える方法を調べ始めた。


どれだけ時間が経っただろうか。雲のはるか上にある天上界では地上と違って一日の移り変わりがないため、時間変化がわかりにくい。妖精王が要した時間は長かったが、アントラセンは報われた。



次の日、マサキは再び青の砂漠に向かった。昨日と同じように静けさが漂うが、唯一違ったのが砂漠の上空を覆い隠す雨雲だった。西の空から黒い雲の一団が瞬間移動の到着先に向かってきている。マサキは濡れないように上空を駆け上がり、今は雨雲のさらに上で待機する。


「あの雨雲が砂漠全体を濡らす。雨雲が通過し終えたら攻撃開始よ」


地球の熱帯雨林でよく見られるスコール雲に似た雨雲が足元を通過していく。雲は大きな一塊しかなく、その直下に突風と大量の雨を生む。すでに雲が通過した場所は、濡れた砂が太陽光を反射し、ますます海のような景色となっている。


「雨は今回限り。失敗は許されない。覚悟はいい?」


「天に祝福を貰ったんだ。まさに天運は我にある。絶対に成功させる!」


「行動はあくまで冷静にね。瞬間移動後、行動開始。行くわよ!」


アントラセンの力で、雲の上空から砂漠のすぐ上に瞬間移動を行う。すでに辺り一面は雨でびしょ濡れだ。細かい砂の間を雨が濡らしたことで、氷が張っているかのような表面となっている。もともと半透明だった青い砂が水に濡れて透明度を増しており、地中のモンスターのシルエットらしきものも目視で確認できる。マサキは乱暴に砂漠の上に降り立つと、その地点目掛けて至るところからモンスター達が殺到し始めた。


最初の一匹目、巨大ミミズが重く湿った音を立てながら顔をだす。昨日と違って青い泥まみれの姿だ。懸念だった砂煙もまったく生じない。さらに水を吸った青の砂漠は今や半透明の池のようであり、マサキは地中のミミズがどこから飛び出すのかさえ把握できている。


「ギガフレイム!」


ミミズが顔を出した瞬間に、赤いレーザーで焼かれる。口から砂弾を吐き出す動作すらできずに、巨大なミミズは地上に出した部分を消失した。マサキは砂の表面を蹴って、そのミミズに一瞬で近付くと、焼け残った胴体の上に移動する。これで真下からのモンスターの奇襲を防いだことで、地面にいながら有利な場所を確保した。


その間にもあちらこちらの砂の中から巨大なミミズやゴカイが顔を出すが、マサキはその場で体を回転させながら周囲一体を薙ぎ払う。見えない状態から砂煙を纏った奇襲だからこそ脅威だったものが、そのすべてを失った事、そしてアントラセンの感知によって待ち伏せに近い形で迎撃に徹するマサキにとって、今の青い砂漠は絶好の狩場となってしまっていた。モンスターは地中に居る状態では砂弾を吐き出せないため、攻撃するには地上に顔を出さなければならない。しかしそこには勇者が待ち伏せている。こうして地中のモンスターたちは、各個撃破に近い形で数の優位も活かせないままに全滅する。


「周囲の敵、すべて焼失。あとは幹部だけ…… まだ気配を感じない…… どこ……?」


焼け焦げた環形動物の死骸が煙を上げる凄惨な景色の中、アントラセンは周囲に感覚を張り巡らせる。この砂漠を支配するのは蒼麗女王カリオ、それは巨大なムカデの化身である。


「幹部発見!方向は7時、マイナス50。近付いてくる……距離あと20、10……え? 動きが止まった?」


アントラセンの示した方向には砂漠の砂を介して、巨大な黒い影が見えている。しかしあと僅かという距離に近付いた途端、動こうとしない。マサキは考える。この砂漠のモンスターは皆が皆、初見殺しに徹していた。そして幹部もまた地形を絡めた攻撃をしてくる。となるとだ。


マサキは地面をこれまでで最も強い力で踏みしめ、上空に向かって縮地移動を行う。その直後、砂漠が轟音を上げて噴火した。空中に舞い上がる青い泥はあまりに大量で、地面そのものが浮き上がったと勘違いするほどだった。砂漠には巨大なクレータが生じ、砂のせいでマサキには見えていないが、その底には蒼麗女王カリオがとぐろを巻いて上空を睨んでいる。もし今の光景を遠くから見ていれば、まるで何か爆発が起きたかのように錯覚したであろう。もしマサキがあと僅かでも離脱が遅れたら、その砂の噴流に巻き込まれて少なくないダメージを負っていたのは間違いない。


大量の泥が空中に巻き散らかされる中、女王ムカデのカリオは口を開き、砂弾を一気に吐き出した。さらに口だけでなく尾をのばすとその先からも砂弾を撃つ。空中飛び散った泥が砂弾に当たってさらに細かく吹き飛び、マサキのいる空間は収集がつかないほど泥にまみれていた。


不意打ちである砂の噴火は何とか回避したものの、空間に大量に散らばる泥で周囲が見えない中、圧倒的な砂の弾幕がマサキを襲う。マサキは左手のボルテックスを躊躇なく発動し、先ほどとは逆に地面に向かって縮地による突進を仕掛けた。


ボルテックスの爆炎で砂弾をすべて焼失させながら、マサキは右手のギガフレイムを放ちカリオを焼く。しかしカリオは不利を悟ったのか、攻撃を止めて砂の中に体を隠してしまった。勇者の武器は自然相手には何も効力を持たないため、こうなってしまうと手の打ちようがない。巨大クレータのそばにマサキが立つと、アントラセンはカリオが再び砂の噴火を狙っているのを察知する。


「マサキ、戦功点が100を越えたわ。あれ、使えるわよ」


「了解。さっきの攻撃でだいたい把握した。ちょうどいい相手だ」


「妖精アントラセンが天上界に願う。勇者マサキに新たな武器を!」


妖精が天に向かって両手を上げると、マサキが青い光に包まれる。勇者の武器が宿った右手の文様にその光が吸い込まれていき、正六角形を基調とした文様が描き足される。


マサキの新たな武器、タメ攻撃。実際はレーザーのパルス単発照射であるが、ギガフレイムを16秒照射させたのと同じ総エネルギーを一回で放つ。ただし一発撃つ前に10秒の励起時間と、発車後にも10秒の冷却時間が必要となる。しかしカリオの様にヒット・アンド・アウェイをしてくる相手には最適の武器であった。


すでに溜めは完了している。カリオが足元の砂を噴火させる直前に、マサキはクレータに飛び込む。莫大な量の砂泥が空中に吹き飛ばされる中、クレータの近くだけはその泥が少ない。それでも恐ろしい勢いでぶつかってくる泥を浴びながらも、マサキはわずかに見えたムカデの胴体に向かって溜めたギガフレイムを撃ち込んだ。


硬いものを叩きつけるような音と激しい空気の揺れとともに、カリオの一部の脚が千切れ飛ぶ。本当ならすぐにでも追い打ちを掛けたいところだが、この後マサキは10秒間は一切攻撃が出来ない。ぐっと堪えながらマサキは顔に掛かった砂泥を拭いながら、カリオから目を離さない。カリオも砂に逃げ込みながら、口と尾から砂の弾幕を吐き出してくる。視界が悪い中、必死で弾を避けながら、三度目のカリオの攻撃が始まる。


「砂漠が濡れている間に勝負を決めないと……」


マサキの左肩では、アントラセンが戦況を見守る。カリオと一対一となった今は、マサキに任せるしかない。マサキは溜めたギガフレイムを放つが、何発かは躱されている。カリオの攻撃も今の所は避けきっているが、目茶苦茶な量と軌道で放出される砂泥も当たりどころが悪ければ一巻の終わりだ。すでに同じ攻防を20回以上繰り返しているが、集中力を絶やさず躱し続けるマサキは、とうとうカリオに致命的な一撃を与えることに成功した。


蒼麗女王カリオの牙が折れ、地中に潜れないまま、その凶暴な顔を天に向ける。体中にヒビが入り、その隙間から赤い炎が体内も焼き尽くそうとしている。カリオの長い胴体が、ゆっくりと砂の上に倒れ込んでいくと、蒼麗女王はその名の通り青い目を光らせて、最後に眼球レーザーをマサキに向かって放った。


「さすがにその攻撃は喰らわない」


カリオの最期の一撃を冷静に躱すと、マサキはかつて女王蟻に敗れた時を思い出す。今は溜め攻撃の冷却時間で避けることしか出来ないが、その冷却が完了する前にカリオは体中が燃えて黒い灰となっていった。


「任務完了ね、お疲れ様」


蒼麗女王カリオに向かって黙祷するマサキにアントラセンは声を掛ける。辺りは日が沈み始めており、今日は朝からずっと緊迫した戦いを続けていた事になる。障害物もなにもない青の砂漠は、そこを拠点としていたモンスターも居なくなったが、そのうち誰かが訪れるのだろうか。



「お疲れ様、アントラセン。そして雨を降らせてくれた事に感謝を」


「それが私の役目だから。カリオを倒したのはアナタの実力」


そうかな、と軽く笑うマサキに妖精はこれからの事を考える。これで倒した幹部は4人、残りは一人である。よくここまで来たと思うが、次の相手はもっと厳しいだろう。そしてその先に待つのは魔王だ。顔には出さないものの、アントラセンにとっては気が休まる暇もない。



その日、マドーガに戻ったマサキはホテルに向かうが、入口ではなく裏口に行く。砂漠の激戦で砂泥まみれになっていたため、汚れた姿のままホテルに入るつもりはなかったのだ。ホテル支配人はどんな格好でも構いませんので玄関からいつでもお帰り下さい、とマサキに伝えていたが、今日は大きな怪我も無いためにホテルに気を遣ったのだ。地球にいた頃では考えられない配慮だなとマサキは自分のことながら苦笑する。すでにアントラセンは天上界に報告に戻ったので、マサキは一人でホテルの外に備え付けられた洗い場で、服を着たまま水を浴びる。


「痛!痛たたた……」


水が興奮していた肉体を心地よく冷やしてくれるが、水を浴びた体のあちこちから小さな痛みが走る。よく見れば肌に細かい切り傷がいくつも出来ていた。青の砂漠の戦いではモンスターや幹部に何度も砂泥を浴びせられたが、細かい砂に混じっていた砂利がマサキの肌を傷付けていたのだ。最後にマナを吸収したことで殆どのキズは回復し始めていたが、この小さな痛みでマサキは自分がまた戦いに生き延びたという事を実感した。


(アントラセンのお蔭で砂漠もクリアできた。幹部はあと一人、か……)


姿は見えないが、アントラセンが居るはずの空を見上げる。すでに辺りは薄暗く、夜の帳も降り始めている。ホテルの洗い場で泥を流している人間を、通り過ぎる住民は不思議そうな目で見るが、誰も声を掛けない。ただマサキは別に何も感じなかった。王になろうと考えていた以前のマサキであれば「俺が魔王の配下たちと戦ってやってるんだ、ありがとうくらい言え!」と住民たちに怒鳴ったことだろう。しかし今のマサキは、ただ自分に与えられた仕事をこなしているだけで、勇者ではあるが自分は偉くもなんともないと考えている。人にはいろんな役割があって、自分の今の役割は魔王軍と戦うこと、ただそれだけの事。危険な仕事ではあるが、何十年もタダ飯を喰らって何の役にも立ってこなかったのは自分だからそれも仕方ない。自然とマサキはそう考えていた。


痛みにも慣れ、体中の砂泥を流し終わった頃、気付けばタオルを持った女性スタッフがそばに待機していた。マサキの帰還に気付いたホテルの従業員だ。


「ありがとうございます」と頭を下げてタオルを受け取ると、そのスタッフはマサキの着替えや汚れた服を入れるための袋も用意してくれていた。マサキはこの世界のために命を懸けて戦ってくれていることはホテル従業員の全員が知っていて、マサキがどんな汚れた状態でホテルの玄関から入ってきても気にしない。しかし当の本人であるマサキが気を使うので、従業員たちもそれに合わせるようにしているのだ。


新しい服と下着を受け取ったマサキは、物陰に隠れてそれに着替えると、脱いだものを袋に入れる。そしてホテルの入口から入ると、支配人みずから荷物を受け取った。


「お疲れ様でございます、マサキ様。お食事はいかがなさいますか?」


「ただいま戻りました。今日は昼食無しだったので、早い時間でお願いできますか?」


「かしこまりました。すぐにご用意致します」


勇者だからといって特別扱いする事にマサキ自身が嫌がるため、ホテル側も今では他の客と同じような態度を心掛けている。とはいえ支配人がわざわざ出迎えたりするのだが。そして今回は、青の砂漠で戦い、無事に魔王の幹部を倒したと言うから、本当ならば従業員総出で出迎えたいところだが、それも我慢する。


青の砂漠はこのビハルダールの世界でも貴重な水晶の砂が取れる場所である。その砂を使ってガラス窓や食器類が作られるのだが、蒼麗女王カリオとその眷属たちが徘徊するようになってから、採掘が途絶えてしまっていた。マサキは知らないのだが、ホテルの支配人はこの後、独自の通信網を使って世界中に勇者が青の砂漠を解放した事を伝える。砂漠近辺の国が調査に向かい、その情報が正しいことが確認され世界中に公開されれば、昔のように青の砂漠には沢山の人間が向かうだろう。水晶の砂も重要であるが、観光地としても人気のある場所だったのだから。


世界中で停滞していたマナも隅々にまで行き渡り始め、森林都市マドーガの住民たちの顔もずいぶん明るくなった。人々が希望を持つようになったのだ。かつての空には様々なモンスターが飛び交い、人間は木々の影に隠れながら移動していた。世界有数の果樹園も閉鎖され、鉱山も閉ざされ、産業が停滞しつづける10数年間。ここマドーガのホテルもかつては観光客や旅行客にあふれていたが、人の流れはどんどん小さくなっていき、数室程度しか埋まらない日々。それが魔人マサキが勇者となって数ヶ月、魔王の幹部が倒されたことで、少しずつだが人間社会に活力が生まれているのを誰もが肌で感じていた。空を飛ぶモンスターが消えたことで、最近は子供たちが外で遊ぶ声があちこちから聞こえる。ホテルにも世界各国から鉱山の採掘が再開されたり果樹園の手入れが始まったという情報が入ってくる。


魔王が世界に現れてからモンスターが世界中に蔓延るようになり、人々は妖精に魔王とモンスターの討伐を願った。妖精はそれを聞き入れて何人もの勇者と言われる特別な存在を連れてくるが、モンスターは倒してくれるものの、地域を支配する幹部は倒せないままだった。結局、モンスターの侵攻を止めるのが精一杯であり、重要な拠点を奪われた人間社会は衰退の一途をたどっていた。妖精に直訴して自ら勇者と同じ武器を持ってモンスターに戦いを挑む住民も居たが、しかしそれでも幹部には歯が立たない。そうしたことが繰り返された中で、ようやくマサキが幹部を倒してくれたのだ。支配人はどれだけ感謝してもしきれないと考えているが、マサキ自身が普通の態度のままなので、どうにも歯がゆい。このビハルダールの人間にとって、マサキは自分が思っている以上にみんなの希望である。支配人は表情には出さないものの、勇者の支援に尽力するのだった。

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