それぞれの想い
「オッケー、マサキ。俺が行ける所まで先導するわ。俺はボンバーが3発あるから、それを使い切ったところで撤退する。それ以降はマサキ、お前に任せるわ」
マサキがシュウヘイに合流し、大陸内海のモンスター群生地で訓練をして8日目。とうとう氷の帝王ビアィスにアタックを仕掛けるときが来た。この内海にはあまりに多くのモンスターが生息するため、いくらマサキでも単独突破はほぼ不可能とアントラセンは結論づけていた。戦術において、物量攻撃こそ正当かつ正義であると、アントラセンはここに居る誰よりもそれを知っていた。なぜならそれを自身の死を持って体験しているからだ。しかし地球とは異なり、この世界では物量を覆せる存在が居る。勇者だ。ただし可能性がある、という話に過ぎない。少しでもその可能性を高めるためには、もう一人の勇者であるシュウヘイとの共同戦線が必須。そのためにマサキとシュウヘイは何日もかけてこの内海の戦場で同時戦闘を行い、分厚い敵陣突破の方法を練ってきたのだ。
モンスターたちが膨大な物量作戦で守りを固めている以上、その中を突破するのは勇者たちの状況判断に委ねるしかない。そして一週間ほどこの場所で戦闘をこなしてきた勇者2人が出した結論が、これまた単純な最短ルートの強行軍だった。しかも最終的には作戦の内容も開始タイミングも、妖精を含めた4人の中でこの世界に来た日数が最も浅いシュウヘイが決めてしまった。先輩であるはずの勇者や妖精に偉そうに指図する態度だけでなく、自分の考えと全く同じ結論に至ったシュウヘイにアントラセンは内心で不愉快を感じていたが、しかしパートナーであるマサキは何故か笑顔であった。
「了解、シュウヘイさん。作戦通り、俺は後ろから援護に徹します。ボンバーを2発撃った後でポジションチェンジ。俺が前に出るんで3発目のボンバーで援護をお願いします。好きなタイミングで始めて下さい」
二人の元日本人は嬉しそうに笑いながら最終確認を打ち合わせる。その頭上ではアントラセンは無表情に、オルリアナは呆れ顔で浮かんでいたが、準備ができた勇者たちが声を掛けると妖精はそれぞれの定位置につく。オルリアナはシュウヘイの頭の少し上に浮かび上がり、アントラセンはいつものようにマサキの左肩に片膝をつく。勇者シュウヘイは準備運動のつもりか、両腕をぐるぐる回した後に屈伸すると、飛び上がって空中に移動する。マサキもシュウヘイの後ろあたりに飛翔すると、二人は顔を見合わせて再びニヤリと笑った。
「スリー、ツー、ワン、レッツゴー!」
シュウヘイの掛け声とともに、右手から橙色のレーザーが放たれ中心部に進む。少し距離をとってマサキもその後を追い、右手から赤いレーザーを放つ。二人は中心部に向かってかなりの速度で空中を蹴り進んでいく。シュウヘイは適当にレーザーを振り回しながらクラゲや蝶々を焼き払い、その光を抜けてきた個体をマサキが正確に狙い撃っていく。しかし二人の勇者がレーザーで敵をなぎ倒しても、膨大なモンスターの大群が減ったようには見えない。クラゲ達は足先から氷の弾を何十発も吐き出し、蝶や蛾の群れは鱗粉を撒き散らすかのように黄色い弾を周囲に放出する。弾はゆっくりではあるものの、モンスターがあまりに多すぎるため、その弾幕はまさに暴風雨となって勇者たちに迫る。
「ボンバー!」
シュウヘイが大声で怒鳴ると、その左手から橙色の炎が巻き上がる。早くも一発目の爆炎攻撃で、辺りのモンスターや敵弾が消滅する。
「え?もう爆炎を?」
アントラセンは驚くがマサキは驚かない。マサキはこれまでの戦いで慣れがあるため、弾幕が迫ってきても虎の子の爆炎を安易には使わない。しかしこの世界に来たばかりの初心者マーク付きの勇者であれば、自分に迫りくる敵弾は恐怖極まりないのだ。マサキも魔人として蘇る前は、ボムに当たる爆炎攻撃をすぐに使った。ゲームではなく自分の身体能力で弾幕を躱せと言われても、マサキのように訓練を積まなければ無理である。逆に思い切りよく爆炎を使うシュウヘイに安心したくらいである。
「ボンバー!」
二度目の爆炎がシュウヘイから放たれ、右手のレーザーと混じり合って、周囲のモンスターを焼き払っていく。しかしそれでも膨大な数のクラゲや蝶が、ゆっくりと勇者たちを囲むように寄ってくる。2人のレーザーに加え、必殺の爆炎攻撃を加えているのにモンスターの数が減らない。数の暴力とはこういうものかとマサキは戦慄する。アントラセンも数々の戦場を経験したことから、数で押してくる相手の怖さを痛いほど知っている。寡兵で大軍に勝つなんていうのはよほどの事がなければありえないし、そもそも敵より味方の数を多くするのが常套手段である。2人しかいない勇者でその千倍もの数の敵に勝てというのが本来間違っているのだ。
4秒後、シュウヘイが使った2回目の爆炎が消える。爆炎が貫いた空間のモンスターはすべて焼失しているが、それ以外にはまだ雲霞の如く敵が漂う。蝶や蛾の鱗粉が再び撒き散らされ始め、黄色い弾が隙間がないくらいに空を埋め尽くし始める。海からクラゲが浮かび上がってきて、こちらに向かって弾を吐き出す。空も海も目が痛くなるくらいの弾幕が二人に向かって襲いかかってくる。かつての母国での戦争で、数で押される恐怖を思い出したアントラセンは、知らないうちに手に汗をかいていた。
「ボンバー前提の面構成って止めてほしいよなー」
そこにのんびりとしたシュウヘイの声が聞こえる。言っている内容がアントラセンには分からないが、隣で聞いているマサキは頷いている。
「じゃあ最後、三発目行くから、距離稼いでな」
「わかりましたシュウヘイさん。後は任せて下さい」
「オッケー、マサキ。死ぬなよ」
まだ出会って一週間しかたっていない2人なのに、なぜか意思が通じ合っている事にオルリアナが不思議がる。アントラセンも絶望的な状況なのに焦りもしない2人を理解できない。マサキはシュウヘイの前に出ると、目的地である内海の中心部に向かって一気に縮地で突き進む。しかしその方向はすでにモンスターとその弾幕で完全に埋まっている。
「ボンバー!」
シュウヘイが3発目の爆炎を発動し、さらに右手のレーザーをマサキに向けて放つ。爆炎を巻き込んだレーザーはマサキをも飲み込むが、勇者にも妖精にもまったく影響せず、モンスターとその敵弾だけを消す。シュウヘイが作り出してくれた螺旋の進路を、マサキは全速力で突き進む。そして約4秒後に光と炎の螺旋は焼失するが、マサキは後ろを振り返ること無く、さらに加速させながら中心部へとひたすらに突き進んだ。
◇
シュウヘイはマサキと最初に会った海岸に戻っていた。最後の爆炎を使い果たした後、妖精オルリアナが瞬間移動で脱出したのである。3回目の爆炎が終わった後、シュウヘイがあっさりと撤退するように命じたため仕方なく従ったのだが、オルリアナとしては納得がいかないので不満を口にする。
「自分だけ勝手に離脱して良いわけ?」
「当たり前だろ。あの状況でボンバーが無くなったら終わりだからな。俺の役目は十分果たした」
「最後まで戦場に残って敵を減らそうとか思わないわけ?」
「それこそ意味ない。俺が生き延びてないと、また同じ方法が使えなくなるじゃん」
オルリアナにはシュウヘイの言っている意味がわからない。それを察したのか、シュウヘイが呆れたように語る。
「あのな、弾幕シューってのは平面だから成り立つの。人間の目は真上も真下も見えないし、ましてや背後は絶対に見えない。それなのにこの世界のモンスターは上や下や後ろからも弾を撃ってくる。人間に避けられるわけないっつーの」
「でもあの勇者マサキは幹部たちを倒してるんでしょ?特訓とかすれば避けられるんじゃ?」
「無理だって。だからマサキも俺のボンバーに頼ったんだから。要は決めボムってやつ。もし今回マサキが失敗しても、俺がこうして生きてりゃまたモンスターを倒してボンバー溜めて、さっきと同じ手を使えばいいってわけよ。今回は3発しか溜まってなかったから、次は4発か5発溜めて再挑戦すればいい。だから俺がしなければならないのは、ここで安全にボンバーを溜めるってこと」
人間だった頃にシューティングゲームを一切してこなかったオルリアナには理解ができないものの、シュウヘイは勝手に納得しているし、そのシュウヘイとマサキは最初から話が噛み合っていた。ということはマサキもシュウヘイの意図が分かっているということだろうか。オルリアナ自身としては本当はシュウヘイを置き去りにしたい気持ちも多少はあったが、この勇者は状況判断や自己評価が妙に的確なので、今は命令にとりあえず従っている。同じ日本人でもいろんな男がいるのねと、男運に恵まれないオルリアナは愚痴るのだった。
◇
安全な場所に脱出したシュウヘイとは対照に、マサキは苛烈な戦場に身を置いていた。すでに前後左右だけでなく上と下からも敵弾が雪崩のように迫ってきている。ここに巣食うモンスターは動きがゆっくりなために、砂漠のヒルのように体当たりされる恐れはないものの、中心部を目指して高速移動しながら敵の弾幕を避け切るのはどう足掻いても不可能だ。回避に徹するには進行速度を緩める必要があるが、そうすると周囲にモンスターがどんどん集まってきてしまい、せっかく進路を確保したのが無駄になってしまう。シュウヘイとマサキが到達した結論は、全速力で走り続けることだった。
「ボルテックス!」
ギリギリまで敵弾を避けながら、マサキは躊躇なくボルテックスを発動する。周りのモンスターや敵弾を打ち消す爆炎を纏いながら、マサキはスピードを一切緩めずに中央部に向かって全速力で空を駆けていく。あまりに多すぎる敵に対して、マサキは戦う事よりも中心部に早く到達する事を最優先としていた。
「幹部の気配は?」
「まだ詳細な位置までは感じ取れない。たださっきよりマナの流れがはっきりしている。方角は今のまま修正は不要」
マサキはボルテックスを攻撃ではなく防御のために使っていた。溜めたパルスレーザーを撃ち込んで進路上のモンスターを倒しつつ、最速でその進路を走り抜けながらボルテックスを使う。体を極端な前傾姿勢にして、両足を交互に後ろに蹴り払って、マサキは最速で空中を泳ぐように駆けていく。2回目のボルテックスを発動し、残る残弾数は5発。青の砂漠では苦戦したものの、ボルテックスを温存できたのが大きかった。シュウヘイが計算していた通り、この内海に住まうモンスターの数はあまりに膨大で、その弾幕は四方八方から向かってくるため人が避けきるのは不可能である。となると勇者の左手に備わっている爆炎武器で弾幕を消すしか無いが、爆炎の数は限られている。しかしシュウヘイもマサキも、躊躇なくその左手の爆炎を使ってしまっている。アントラセンは切り札である爆炎攻撃を躊躇なく使いまくる2人の勇者に戸惑うものの、結局はマサキの判断に任せていた。
「居た!マサキ、氷の帝王の気配。進路12時、プラス5度。距離は約10000!」
「10000か……あと2発で行けるな」
すでに3発目を発動しており、残りは4発。もし氷の帝王を倒せばマナは補給されるが、世界中のモンスターは激減するため、爆炎攻撃の元になるマナを補充しにくい状況が生まれる。アントラセンとしては幹部との邂逅前にあまりボルテックスを使ってほしくないと思う所だが、マサキはこれまでと逆に思い切りよくボルテックスを使う。シュウヘイのいう決めボムであり、マサキはリスクを取った上で最適解を見つけ出していた。
◇
シュウヘイが3回、マサキが5回の爆炎を使って到達した内海の中心部は、氷の城が築かれていた。城とは名ばかりで、氷で出来ているらしい巨大な球体が海上に浮かんでいる。直径500メートル以上もありそうなその透明な球は、潮流がぶつかり合う場所にあるのか、その場から不自然なほどまったく動かない。周囲の海面は激しく波打っているのに、氷の球体だけはただ静止したまま。球体の周囲にも大小様々な氷の塊が浮かんでいるが、それらはユラユラと波に揺られるし、潮目に沿って流されてもいく。それなのに氷の真円球だけが、内海の中心に居座っている。アントラセンはその球の中心から幹部の気配を感じ取っており、呼応したマサキは球体に近付く。
近くで見た球体は、透明な氷の粒が組み合わさったもので、中に広い空間がある風船のような構造だった。球を構成している氷壁も分厚いが、あちこちにヒビのような大きな隙間があり、マサキが余裕で通り抜けられる。無数の敵とその弾幕に迫られたマサキは迷うこと無くその隙間を通り抜け、球体の中に入った。
氷で作られた球状の城は、中もまた予想に違わず冷気で満たされていた。今回の作戦にあたり、マサキは動きやすくまた乾きやすいように半袖とカーゴパンツという服装だったが、むき出しの肌に空間の冷たい空気が突き刺さる。アントラセンもまたかつての祖国は熱帯地方てあるため、氷点下に近い空気を初めてその肌で感じている。実体ではないとはいえ、無彩色に近い寒冷の空気を初めて体感した戦闘妖精は、妙に胸騒ぎを覚えていた。
白い息を吐きながら、マサキは壁面に触れないように氷壁をすり抜けていく。分厚い氷の殻をくぐり抜けた先は、伽藍堂の丸く広い空間だった。辛うじて向こう側の壁が見えるほどの広さ。海に浮いているはずなのに、ヒビを通って海水が中に入ってこない。何とも不可思議な空間。そしてその中心には巨大な白い繭が浮かんでいる。他にはなにもない。
「氷の帝王は確か蛾の化身…… その繭か?!」
マサキは先手必勝とばかりに、溜めていたギガフレイムを繭に目掛けて撃ち込む。赤いレーザーのパルスショットが繭の表面を燃やすと、何と氷の塊が繭を突き破ってマサキに向かって飛び出してきた。距離が離れていたから余裕を持ってそれを回避するが、マサキは妙な不安を感じ取っていた。ここまで戦ってきた幹部たちはみな環境を利用した攻撃をしてきた。最後の幹部が氷塊を吐き出すだけで済むわけがない。そしてそのマサキの推察通りに、幹部の攻撃が始まった。
燃える繭の中から、次から次へと自分と体よりも大きな氷の塊が放たれてくる。これまで戦ってきた幹部たちの放ってきた弾と違って、氷の飛翔速度は異様に早い。その発射口である繭から距離が遠いためなんとか避けられているだけで、これ以上近くには行けそうにない。巨大な氷の塊が正確無比に自分を狙ってくるため、マサキは高速道路を逆走している気分になる。放たれる氷塊が直撃したら即死だろうとは思うものの、真っすぐ飛んでくるだけなので今の位置で避けるのは問題ない。マサキがそう考えた時だった。
「マサキ!壁にぶつかった氷がそのまま結合してる、気をつけて!」
周囲を隙無く見定めていたアントラセンが、戦場の変化に気付いた。繭から吐き出される大量の氷塊が内壁に当たると、そこで弾かれたり割れたりすることなく、くっつき合っていくのだ。氷はどんどん壁と一体化して塊が膨れ上がり、いつの間にかマサキの背後に届くほど積み重なっていく。さらに壁と一体化した氷は空気中の水分を吸収して肥大化し、針状の棘を何本もその表面に展開する。まるで氷の城がマサキを喰らおうとして無数の牙を伸ばしているかのようだ。
繭から飛び出す氷はマサキを狙ったものもあるが、それとはまったく関係ない方向に無造作に放たれるものも多い。それらの氷が溶けたり砕けたりせずに内壁と融合し続けていく。大量の氷弾幕が絶え間なく繭の中から生み出され、巨大な球体内部をどんどん歪な形に狭めていく。
マサキは繭をレーザーで炙り続けるが、その間にも空間は氷で埋められていく。滑らかだった氷壁はどこも棘状となり、入ってきた時はだだっ広く感じた空間が今では狭苦しい程だ。それでもレーザーを当て続け、ようやく繭が燃え尽きた時、現れたのは氷の帝王ビアィスそのものだった。
◇
中心からは周りの壁が見えないくらいに広い氷の城だったが、今やその姿は変容している。綺麗な球体だった壁に、繭から放出された氷が積み重なり、鍾乳石のような氷柱ツララがあちらこちらに伸びている。さらにその氷柱は先端だけでなく側面も棘が伸び、どこもかしこも剣山を敷き詰めたかのようだ。トゲはどれも鋭利で、触れただけでも大怪我、ぶつかればたやすく串刺しになるだろう。そんな空間の中で、最後の幹部であるビアィスが、燃えカスとなった繭の中から姿を現す。氷の帝王ビアィスは全翼幅が10メートルはある巨大なホウジャクである。ホウジャクとは蛾の一種であるが、その特徴は高速で飛び、静止飛行ができる機動力にある。ビアィスは背中の翅を高速で震わすと、手足から2メートルほどの正八面体の氷弾を弾幕状にしてマサキに放ちながら突進してきた。繭から吐き出されていたものよりは小さいものの、ビアィスが放つその氷弾も壁に触れるとそこに一体化し、新たなトゲを作る。これまでの戦場と違って、時間経過そのものがマサキにとって不利となるのだ。ビアィスは空間に氷柱を幾重にも積み上げてマサキの動きを制限しながら、さらに氷弾の弾幕を放って追い詰めてくる。さらに極めつけはビアィス自身による押しつぶしだった。ビアィスはぷっくりと膨らんだ体形だが、その表皮は針状の毛で覆われている。針毛は一本一本が人間の腕ほど太さで先端は鋭く尖っており、マサキが触れれば簡単に刺殺されるだろう。
氷で狭められた空間の中、氷弾で攻撃しながら同時に空間を狭め、そして体当たり。時間が経てば経つほど逃げる場所がなくなっていく。ビアィスの多重攻撃はまったく留まることなくマサキへ畳み掛けるように攻撃を仕掛けてくる。無作為に成長していく周囲の氷に、アントラセンの指示が追いつかない。そこにさらに氷弾を撒き散らせながら、時にビアィスが体をぶつけてくる。敵が向かってくるのでマサキにとって攻撃のチャンスでもあるのだが、氷柱が無秩序に広がっていくために、氷弾と体当たりを避けるだけでも手一杯となってしまう。氷柱はぐねぐねと変則的に成長を続け、マサキの回避空間をどんどん削っていく。状況が刻一刻と悪化し続ける中、アントラセンは対抗策を思いつかない。切り札のボルテックスも残弾数はわずか1回、それもこの氷の城に来るまでに使わされてしまった結果だ。最後のボルテックスを使ってビアィスを倒せなかった場合が怖い。そうこうしているうちにも、あれほど巨大だった空間は大半が氷柱に侵食されており、まっすぐ逃げる事もできないほどだ。一度撤退して、対策を練ってから再戦すべきだろうか。アントラセンはそう考えたが、マサキの顔にはなぜか妙に余裕があった。
今マサキがいる場所は、前と両側に氷柱が壁のように大きくせり上がっており、ほとんど逃げ場がない。背後には多少の空間が残っているが、ビアィスの体当たりを躱すほどの隙間は残っていない。まだ試していないが、ボルテックスの爆炎でこの氷を溶かせられなかったら一巻の終わりである。しかしマサキはなぜか自信ありげに、この狭い空間の中でビアィスの氷弾を躱し続けていた。
「もうちょい重ねて厚くしたい。もうちょっと前か……」
マサキは独り言のようにつぶやきながら氷弾を回避する。焼け落ちた繭からビアィスが現れた直後は氷弾を回避するのにマサキは大きく場所を変えていたが、そのうち段々と動く範囲が小さくなり、今では1歩か2歩程度の範囲で細かく動いている。ビアィスが体当たりしてくる時には一気に縮地を使ってその場から逃げるが、アントラセンはマサキが大きく回避しても結局は今の場所に戻ってくることに気付いた。もうその場所は堆積した氷柱が山のように繋がり合って逃げる隙間がほとんどないのに、マサキはその場所にこだわっている。さらにマサキはレーザーによる攻撃すらしなくなっていた。
マサキの頭上前方からビアィスが氷弾の雨を降らせる。これを避けても次に逃げ場はない。アントラセンが最悪の状況を想定し、緊急脱出を覚悟した時だった。氷弾がマサキの手前でピタッと停止したのだ。驚きながらもよく見れば、周囲の氷の山に氷弾がくっついている。さらにビアィスは氷弾を吐き出すが、マサキの周囲には2メートル近い氷の弾が通り抜けられる隙間が無くなっており、マサキに到達する前に他の氷に結合していってしまう。氷同士がぶつかる低重音と、氷同士がくっつき合う時に生じる独特な音が何度も何度も響き、そのたびにマサキの頭上には氷の壁が厚く広がっていく。アントラセンが自身の空間感知を広げて状況を確認すると、マサキは氷のドームに囲まれていた。
「なにこれ?氷のドーム?」
「日本だとカマクラ、北極だとイグルーっていうんだけどね。何とかうまく出来たよ」
大きく息を吐きだしたマサキを見ると、額に汗をびっしょりと搔いており、表情ほど余裕があったわけではなさそうだ。マサキはビアィスの攻撃を誘導しながら、氷がドーム状に滞積するようにしていた。よくあの短時間で、こんな対策を考えついたものだとアントラセンは感心するが、マサキは某有名なゲームのキューブラッシュを思い描いていた。ゲームと違って氷弾は真っ直ぐにしか飛んでこないため、ぶっつけ本番ではあったが。とはいえどうにか氷のカマクラを作ることに成功したマサキは、ようやく一段落を着く。
「さて、反撃だ」
マサキは右手のギガフレイムを溜めて、それを氷の壁に向かって撃ち出す。氷はレーザー光の大部分を散乱させるものの、壁面には隙間があるため、僅かながら光を通す。指先を狭めて極限に絞ったパルスレーザーは、ドームの外側にまとわりついていたビアィスに直撃した。当然、氷の壁を透過したことで威力はかなり減衰しているが、それでも勇者武器のギガフレイムが氷を貫通したのは朗報だった。───そして勝負が着いた。
ビアィスは氷を作り出す能力は有するが、氷を溶かす能力は持っていなかった。もしマサキがこの空間から妖精の力で脱出した場合、ビアィスは一度空間を破壊して、再び繭の状態となって球状の空間を作りだす仕組みとなっている。しかしマサキがこの空間内にいる以上、ここを壊すわけには行かない。勇者への利敵行為はシステムが禁じているからだ。そして氷のドームの中に隠れたマサキを、ビアィスは攻撃できる手段を持っていなかった。ビアィスも眼球レーザーを放つが、連続照射光は氷の中で分散されてしまうため、自らの氷弾が作った壁を貫通する威力はない。分厚い氷を通過できるのは、勇者のタメ攻撃であるパルスレーザーだけだった。勇者を倒すために全力を尽くすという世界のシステムに従って、氷の帝王ビアィスはマサキから逃げることもできない。マサキは氷壁の内側にいるため、ビアィスの姿を視認できなかったが、アントラセンが正確にその居場所を伝える。こうなってしまうと、文字通りにビアィスは手も足も出ないまま、氷を貫通してくる勇者のパルスレーザーを食らうしかない。こうして何時間も攻撃を一方的に受け続けたビアィスは燃え尽きて消失した。奥の手である氷弾の竜巻を発動する機会もないままに。
「一時はどうなる事かと思ったけど、最後は塹壕から一方的に撃ち続けたみたいになったわね」
「道中も大変だったし、このカマクラを作るまでが死に物狂いだったから、最後はラクしてもバチは当たらないよな」
主が死んだ氷の城が、そのマナを失ってどんどん溶け始めている。氷のドームを作り上げてからビアィスにパルスレーザーを当て続けたが、威力が減衰していたため、数時間も当て続けてようやくマサキは最後の幹部を倒すことができた。最後は忍耐勝負にも近かったが、アントラセンの指示の元、マサキは集中を切らすことなく、最終的に勝利を掴んでいた。
燃え尽きたビアィスからマナを吸い上げ終わる頃、氷の城の崩壊が本格的に始まっていた。天井付近から落下した大きな氷のツララがマサキの籠もるドームにぶち当たって轟音を立てる。幹部を倒したが建物に潰されて死んだ、という間抜けを晒すわけにもいかないので、アントラセンは急いで瞬間移動を使う。周囲の景色が変わり、最初に勇者シュウヘイと出会った海岸のそばにマサキは立っていた。
「よう!お疲れさん!待ちくたびれたぜ」
そこには勇者シュウヘイと妖精オルリアナが待っていた。天上界の監視妖精パルフィを通して、オルリアナはアントラセンがずっと氷の城で戦っているのを知っており、その戦闘が終わるまでこの場所で待ち続けていたのだ。飽きと疲れが溜まったシュウヘイは途中で帰りたがった様子だが、オルリアナはそれを許さず、二人は結局何時間も海上のモンスターを倒しながら待っていた。そして今、この地を支配していたビアィスが討伐されたことで、モンスターたちも次々にその存在を消滅させていく。膨大なモンスターが海面から雲の高さまで壁のように群がっていたが、その壁があたかも空気に溶けていくかのようだ。
「氷の城はどんな感じだった?」
「グ●Ⅲのキューブラッシュでした」
「マジ!?やべぇやつじゃん。なに?勝ったってことはカマクラ作ったの?」
「ええ、ランダムでしたが全部まっすぐだったんで何とかなったって感じで」
「あー、なら簡単か。あれ、Uターンするやついるもんな。まっすぐだけなら初見でも何とかなるか」
「普通のレーザーは氷で止まっちゃいましたが、タメレーザーなら氷も貫通したので、カマクラの壁越しにボスを攻撃しました」
「それでこんなに時間がかかったのか。自爆しないんじゃ大変だ」
シュウヘイとマサキは再び、妖精たちに理解しにくい内容を語り始める。シュウヘイが「簡単」と発言した時には流石のアントラセンもムッとしたが、マサキが何も感じていないようなので、とりあえず黙る。戦士としてストイックな生き方をするマサキが、なぜ軽薄そうなシュウヘイと気が合うのか、オルリアナもアントラセンも最後まで理解できなかった。
「おー、海の上のモンスターが完全に消えたなぁ」
シュウヘイののんびりした声で、勇者二人の反省会が終わる。太陽はとうに水平線の下に沈んでおり周囲は薄暗い。マサキがビアィスを倒した瞬間から、海の上を浮遊していたモンスターたちが少しずつ分解されていったが、ちょうどすべて消えたところだ。魔王の幹部は周辺のマナを吸い込んで、それを眷属のモンスターたちに分け与えている。幹部が死ぬと、モンスターのエネルギー源も途絶え、体が分解されていくのだ。海の中にいたモンスターもそのうち完全に水に溶けて、マナを放出するであろう。これまではモンスターの壁しか見えなかった海辺からの景色が、今は水平線までも分かる。海面のはるか先に黒く大きな影がみえるが、もしかすると別の陸地だろうか。水平線の上には、小さな星々も見え始めている。どれもこれも、ほんの数時間前まで膨大なモンスターの壁で見えなかったものばかりだ。死の十字回廊と怖れられていたこの内海も、20年ぶりに船が出せそうである。
「残るは魔王様のみ、か」
「ラスボスかぁー、俺も手伝わなきゃダメかなー?」
当たり前でしょ!とシュウヘイの頭上にいたオルリアナが叱責する。今、このビハルダールの世界に居る勇者は2人だけ。敵も魔界に居る魔王のみとなった。倒された幹部は勇者がだれもいなくなるか、時間が経つとシステムに寄って復活するらしい。まだ魔王が残っているものの、ビハルダールの世界には幹部が復活するまで束の間の平和が訪れたのだ。
「魔王様と戦うまでの猶予はわからないけど、今日明日の話じゃないはず。明日は休息日に当てましょう。天上界への報告も必要になるし」
妖精オルリアナが伝えると、アントラセンも同意する。シュウヘイは自分が拠点にしている田園都市アンカレイントに来るようにマサキを誘うが、どうやら勇者は同じ拠点に集まってはならないという決まりがあるようで、オルリアナにダメ出しされる。今回のような戦場以外の場所で勇者が集うことは基本的にはなく、勇者同士の連絡は妖精を介して行うのだという。
「じゃあまた魔王と戦う前で駄弁ろうぜ」
「魔王を倒した後、ゆっくり語り合えばいいでしょ?」
至極当然の事をオルリアナに突っ込まれたシュウヘイに束の間の別れを告げると、マサキは自分の拠点である森林都市マドーガに戻る。シュウヘイと話し込んだため夜も遅くになっていたが、ホテルの入口をくぐると支配人がロビーに立って勇者の帰還を心待ちにしていた。
「お疲れ様でした、マサキ様。そしてビアィス討伐、おめでとうございます」
「あれ?もうご存知なんですか?」
すでに監視妖精パルフィによって、世界中に氷の帝王ビアィスが勇者によって討伐された事と、内海が解放されたことが各都市の重要施設に伝えられていた。またホテル支配人は、シュウヘイ達が拠点にしているアンカレイントからの独自ルートでも情報をやり取りしており、そこからもビアィス討伐の連絡を受け取っている。まだ魔王が残っているものの、4つの大陸を拠点にしていた幹部4体と、大陸同士をつなぐ内海を支配していた幹部すべてが倒された。長い間、モンスターたちに抑圧されていた人間の活動が、ようやく再開されようとしていたのだ。
まだ最大最強の存在である魔王が残っている。しかしホテル支配人を含め、マドーガの住民たちは勇者マサキが魔王も倒すと信じて疑わない。そして魔王ナブラヘイム自身、マサキによって倒される事を切望しているのだ。いよいよ目前に迫る最終決戦であるが、とりあえずマサキは支配人に促されて遅い夕食を用意してもらった。




