勇者と妖精と鉄の王
次の日、妖精エミールが失意のまま天上界に戻ると、入れ替わる形でアントラセンがホテルのロビーに到着する。それを出迎えたマサキに笑みが溢れる。
「おはよう、勇者マサキ。何か嬉しそうね?」
キミに会えたからね、本当はそう言いたいのだが、どうしても気後れしてしまう。口籠るマサキをアントラセンは不思議そうに見るが、ふとある事に気付く。
「あら?それが新しい服ね。素敵じゃない」
昨日、妖精エミールや店員にいろいろと指導してもらい、自分に似合う服を頑張って選んだ。これまでで一番真剣に服を選んだ。それだけにアントラセンのその一言だけでマサキの胸が熱くなる。エミールや街の人にいくら褒められても何も感じなかったのに、アントラセンに褒められただけで最高の気持ちだ。
「ありがとう。この世界で初めての買い物なので緊張したよ。キミに褒められて嬉しいな」
「あら?エミール先輩は褒めてくれなかったの?」
いや、褒めてくれたけど……とまたマサキは口籠る。なぜかアントラセンには気後れしてしまう。初めて会ったときには固い会話しかなかった二人ではあるが、だいぶ砕けた話もできるようにはなってきた。しかし戦場に向かう際には、二人は戦士に戻る。勇者と妖精は戦場を『セプティマス鉱山』に移し、およそ一週間の新たな戦いが始まった。
◇
「マサキ、被弾したわ。大丈夫!?」
「……戦闘は継続可能。このまま押し切る!」
魔王の幹部、鉄の王エピーレットとの戦いで、マサキはとうとう敵の攻撃を体に受けた。エピーレットは鉱山を拠点とした巨大な蜘蛛の怪物である。鉱山にはかつて鉄鉱石を求めて人が賑わっていたが、エピーレットが出没したことで今はだれもいない無人となっている。エピーレットは自身の体内で生成される蜘蛛の巣を鉱山の様々な場所に張り巡らすだけでなく、その糸の粘着を使って鉱山の石や岩を空中にばら撒く攻撃を得意としている。ただし石や岩はただの自然物であり空中に放り出されたあとは自由落下するため、障害物的な役割となる。エピーレット自身の戦闘力も相当に高く、頭胸部に5対10個の眼を持ち、幹部の標準装備である眼球レーザーを放つことができる。口からは粘膜弾、腹の先から糸を攻撃手段として吐き出すことで、幹部の中で最も多彩な攻撃を可能としている。
エピーレットの住む場所までは油断なく着実に攻め込んだマサキであったが、粘着糸を使って無秩序に空中へばら撒かれる大量の岩石と、エピーレット自身が放つ恐ろしい数の弾幕を絡められたことにより、とうとう左足に岩の直撃を受けてしまった。岩石といっても一つ一つが数メートルを越えるほどの大きさで、それが糸の張力で空高くにばら撒かれる。岩同士ぶつかる事も当然あるし、ぶつかった岩は重量や速度に従った軌道変化が生じる。ある意味、究極のランダム要素である。
さらに岩石は自然物であるため、勇者の右手武器『ギガフレイム』で破壊する事が出来ない。レーザー光であるギガフレイムが岩石に当たると、その部分だけ直進光が妨げられ、威力が減衰してしまうのだ。ゲームのように障害物に当たったレーザーが全部遮られることはないが、それでも厄介である。ただ救いなのが、エピーレットの攻撃もまた岩石が防いでくれるという点であった。エピーレットは多彩かつ膨大な弾幕を放つが、場合によっては大きな岩石を盾にする事もできる。ただし空中に投げ出された巨大な重量物である岩石に近付くという危険を冒すことにも繋がるが。
実際にマサキはエピーレットの弾幕を躱すため、地上から勢いよく放り投げられた岩の影に身を隠した。しかしエピーレットの眼球レーザーを受けたその岩は軌道を変え、マサキはその岩を左の腿あたりにぶつけてしまう。鋭い表面の岩石がかなりの速度で足にぶつかったダメージは大きく、マサキの左足は肉まで抉られる。
(左足が動かない。最悪、骨が折れたか…… しかし眼球レーザーの直撃よりマシだ。攻撃を続行する!)
しびれと痛みに堪えながらマサキはギガフレイムを放ち続ける。しかし左足が利かないことで足を使う空中制御に障害が出る。それまで安定していた戦いが、たった一回のダメージで少しずつだがマサキは追い詰められていた。
アントラセンもまたマサキの負ったダメージとそれに伴う戦闘能力の低下に気付いている。一旦、撤退するのも手だ。しかしマサキ本人は戦闘継続を選んだ。その判断は正しいのだろうか?
妖精は転生前の事を思い出す。指導者の判断間違いで全滅した部隊もあれば、部隊長の決断が早かったため見事に修正に成功した作戦もある。一介の兵士であり若い女であったアントラセンは、戦場においては常に大人たちの判断に従ってきた。しかし今は違う。パートナーであるマサキが『避けて撃つ』役割を持つが、それ以外はすべてアントラセンの担当なのだ。かつての自分のように、自分で判断せず人の判断に任せっきりで良いのか?マサキの判断に任せっぱなしで自分で判断せず本当に大丈夫なのか?
今まで戦場の局面において自らの意思で判断を下したことがないアントラセンは、今はじめて大きな決断に迫られている。左足を負傷したことでマサキの動きは明らかに鈍くなっており、また蜘蛛の巣を自在に動くエピーレットに対して有利な状況をまだ一回も作り出せていない。ここは一度撤退すべきという考えがアントラセンットの頭に浮かぶ。
『判断は無限にある。判断の先にも判断がある。常に広く先を考えなさい』
アントラセンは父親に指導された事を唐突に思い出した。あるゲリラに襲撃を受けた時に、ジャングルの中に父と二人だけになり、自動車に乗って逃走した。しかし自動車が攻撃を受けて故障してしまったのだ。車の中で父親にこの後どうしたら良いか問われたアントラセンは、自動車を何とか直すかそれとも自動車を捨てて徒歩で逃げるか、その2択だと答えたが、父親は笑っていた。
結局、父親は車に積んでいた燃料と爆弾を使って、自分たちを追ってきた敵兵が、乗り捨てられた自動車の周辺に集まった瞬間にそれを爆破させて敵を全滅させたのだ。娘の回答を聞いた父親は、逃げるのではなく武器にするという発想の転換を図った。たまたま上手く行っただけだよと父親は笑っていたが、判断を狭めない、判断は無限にあるという父親の言葉がアントラセンの胸に響いた。
今のアントラセンは、あの時の父親に教わった時と同じ状況だ。続けるか、逃げるか、その2択ではなく、状況を変えることもできる。そうだ、父親は逃げるために攻めることを選んだのだ。
「マサキ。岩の上に乗って上空に逃げなさい!」
アントラセンの指示に、一瞬だけ戸惑ったマサキだが、すぐにその意を悟る。エピーレットが糸を使って地面の岩をこちらにぶつけようとしてくるが、避けるのではなくその上に乗れと言うのだ。たしかにリスクはあるが、左足が利かない中で弾幕を避け続けるよりはたやすい。ちょうど自分の真下に迫ってきた岩を見定めると、右足で上昇方向に縮地移動を仕掛ける。そして岩の速度に自分の速度を合わせて、その上に飛び乗った。
目分量による速度合わせだったため、岩に乗った時の衝撃は大きかったが、右足が多少しびれた程度だった。岩に飛び乗ったマサキをエピーレットは完全に見失っている。すぐに岩は速度を失い、自由落下し始める。その落下に合わせ、マサキはエピーレットに向かってレーザーによる急降下爆撃を仕掛けた。
(俺は弾幕シューティングのような戦い方をしていた。そうじゃない、空間すべてを使って戦わなくてはならない。アントラセンのおかげだ)
マサキは独りごちながら左手を構える。ボルテックスの爆炎も岩石そのものには効かないが、爆炎によってエピーレットの攻撃は3秒間に限りすべて無効化できる。10個の眼球を動かして、すぐにマサキの居場所に気付いたエピーレットは弾幕を向けてくるが、マサキもそれに合わせてギガフレイムとボルテックスを同時に発動する。エピーレットは光と炎の渦に撒かれながら、自分の攻撃が無効化されてる事を悟り、巣を伝って回避を図る。しかしマサキは落下しながらエピーレットから狙いを決して外さず、一回目のボルテックスが終了してもすぐに二回目のボルテックスを発動させる。岩が何度も掠めるが、アントラセンの指示に従って直撃だけを避ける。マサキはエピーレットだけに集中して右手を操作するだけで、岩の回避はアントラセンに完全に任せていた。
「PIGYIiii!!!」
2度に渡る必殺の攻撃の末、エピーレットの断末魔とともに、周囲に張り巡らせていた巣が燃え始める。それに引っ張られるように巣の糸の先にあった岩場が崩れ落ちてくる。アントラセンの指示で何とか右足だけで回避したマサキは、ようやく平らな場所に着地した。しかし一度地面に足を着けて下りてしまうと、踏ん張るどころか左足に力が入らない。一旦は両足で地面に降り立ったマサキだが、そのまま地面に倒れ込んでしまった。
「マナを吸い込んで、そうすれば多少は回復するから」
妖精に言われた通り、左手を開いてエピーレットが放出したマナを吸い上げる。マナは左掌の文様を通してマサキの体内に蓄積され、生命力を賦活させる。とはいえ左の腿は深く肉まで抉られ、骨にもヒビが入っている。すぐに治るようなものでもなく、戦闘が終わり興奮状態が落ち着いたことで、それまで感じなかった痛みがマサキに襲いかかっていた。
「周囲に敵はいない。喋らなくていいから、痛みが落ち着くまでこのままで居ましょう」
左肩に乗った妖精が静かにその手をマサキの額に触れる。分霊の妖精は体重を感じないのに、妖精の手の感触はしっかりと感じる。不思議に思いつつもマサキは、その妖精の手が触れた事で、痛みよりも気恥ずかしさを感じてしまった。
「盟友アントラセン、的確な指示をありがとう。お蔭でエピーレットを倒すことが出来た。鉄の王エピーレット、まさに王の名に相応しい強さだった」
「それが私の仕事だから。それにマサキ、あなたも素晴らしい仕事をしたわ。エピーレットも強かったけど、アナタもだいぶ強くなったわね」
お互い、魔王とその幹部たちに特訓という形で散々しごかれた経験を持つ。その時はマサキが戦いやすい平地などに限定されていたが、それでもマサキとアントラセンのコンビは魔王の幹部たちに歯が立たなかった。しかしそれは幹部の攻撃を教えるための訓練であり、それがあったからこそ、2人は幹部の攻撃について知識と経験を持っていたのである。
実際には幹部は自分の拠点を活かした攻撃をしてくる。暗黒王ガンボーゲは洞窟という入り組んだ地形を利用した跳弾、鉄の王エピーレットは鉱山の岩石飛ばしがその類だ。魔王による訓練の時と比べて、マサキには勇者としての武器と空中を自在に駆ける力を得ている。しかしマサキが幹部を倒せたのは勇者の力だけではないと、アントラセンは感じていた。
体内に取り込んだマナで痛みが和らぎ始めると、マサキもやっと緊張感を解いた。エピーレットは強く、正直何度も挫けそうになった。しかしアントラセンが見守る以上、マサキに逃走という考えはない。数年前に女王蟻ブロモーゼと戦ったときにはすぐに諦めて逃走しようとしたのに、マサキは自分でも心境の変化に驚いている。
残る幹部は2人、どちらも強敵であるが、怖さよりも挑戦したいという気持ちが高まっている。魔人となって余裕が出たのだろうか?ここまで様々な訓練を受けて自信がついたのだろうか?それとも信頼できるスポッターがそばに居てくれるからだろうか?命懸けではあるものの、マサキには驕りも油断もないし、ただの使命感でもない。そしてつらいという感覚もない。大変なのは確かだが、それでも幹部とその先にいる魔王に挑戦したいのだ。
ふと、マサキはこの世界で服を買った時を思い出す。妖精エミールと店員に選んでもらった服を着たマサキがそれをアントラセンに見せた時に、妖精が少しだけ羨望の目をしていたのだ。転生前のアントラセンは、内乱で不安定な国に生まれ、物心がつく頃から戦いの日々を過ごしていたという。となれば、綺麗な服を着たりお洒落をするなどとは無縁だっただろう。天上界には妖精がたくさんいるが、みな見目麗しい格好をしていた。髪の毛を伸ばし、手間をかけたヘアスタイルの上に、気品あふれる最上級のドレスを纏っていた。しかしアントラセンは耳上あたりで髪の毛を短く刈り揃え、着ているのは軍服さながらの長袖長ズボンという、一人だけあまりに違いすぎる姿や格好をしている。
マサキは思う。自分が魔王を倒し、アントラセンの任務が完了した暁には、アントラセンに髪の毛を伸ばして素敵なヘアスタイルに挑戦してほしいと。そして華のようなドレスを着てほしい。きっと似合うだろう。妖精アントラセンに盟友と言われたい事に加え、アントラセンに他の妖精のようにおしゃれな事をしてほしい。それがマサキの新たな願いとなった。
「よし、痛みはだいぶ引いた。拠点に戻ろうか」
妖精は頷くと、瞬間移動を実行する。この戦いを終えて、マサキの持つ戦功点は92点。いよいよ魔王討伐計画も中盤戦を迎えようとしていた。




