7.最後の因縁
「わたくしが乗り越えなければならないもの……」
そうしてわたくしは、屋敷内のとある扉の前に立っていました。この扉の向こうは、妹の部屋です。
嫁ぎ先では苦しめられたけれど、わたくしが本当に復讐したいのはあの人たちではなかった。あんな人たち、もうどうでもいいのです。
両親はやはりわたくしを受け入れてくれなかったけれど、もうそういうものなのだと割り切ってしまいました。諦めることにしました。
けれどやはり、胸の中には暗くよどんだ思いが棲み着いています。むしろその思いは、より暗さと深さを増してしまったようにすら感じられるのです。
この思いをなんとかしなくては、わたくしは過去と決別できない。幸せをつかめない。
ならば、その原因は。わたくしが本当に立ち向かわなくてはならないものは。
意を決して、扉をそっとノックしました。
「ああらお姉様! 嫁ぎ先を追い出されてから行方知れずだと聞いていましたけれど、無事だったのねえ!」
わたくしの顔を見るなり、妹はぱっと顔を輝かせました。……しかしこの子、二年前より少し太ったような?
思えば、両親はいつも妹に山ほど菓子を用意していました。明らかに多すぎる量の。
わたくしは仕方なく口を挟み、妹が食べる量を制限していたのでした。食べすぎは体に良くないですからと、そんなことを言いながら。
わたくしがいなくなってから、たぶん妹はお菓子を好きなだけ食べているのでしょう。
このまま甘やかされていたら、遠からず大変なことになるに違いありません。そう確信できる体形でした。
「元気そうで何よりですわあ……でも、少々日に焼けました? 令嬢というより、農婦みたい」
くすくすと笑いながら、妹は何かを火にくべています。
「……また、手紙ですか?」
「そうなの、恋文なの。引く手あまたで困っちゃうわ。それで」
これ見よがしに恋文を火の中に放り込みながら、妹はねっとりとした上目遣いでこちらを見てきます。
「負け犬が、今さらのこのことこんなところにやってくるなんて……ふふ、どうしたの?」
勝ち誇った笑みを浮かべ、妹は近くのソファにしどけなく座りました。立ったままのわたくしに、楽しげな声で語りかけてきます。
「どうせ、行き場なんてないのでしょう?お父様もお母様も、お姉様のしたことにずいぶんと怒っていたから」
その言葉に、先程の両親とのやり取りを思い出してしまいました。その時のやるせない、苦しい思いも。
わたくしが傷ついていることは、妹にも分かったでしょう。しかし妹は、そんなわたくしを見て小気味よさそうに笑ったのです。
「だったら、私の使用人として雇ってあげましょうか? あなたならこの屋敷のことにも詳しいし、ちょうどいいわ」
まさか、こんな言葉を血のつながった相手から聞くことになるなんて。妹は、どこまでわたくしをいたぶれば気が済むのでしょうか。
久しぶりに見る彼女の目は、二年前にわたくしを殺そうとした賊たちのそれと全く同じでした。圧倒的な勝者が、敗者を見下し、潰す時の目。残忍さと優越感に満ちた笑み。
けれどその視線に、わたくしはほっとしていました。妹は変わっていない。わたくしをこきつかい、見下していたあの子のまま。
「……あなたは、少しも変わらないんですね。これなら、心置きなくやれそうです」
そうつぶやいて、腰のところですっと拳を握りました。
思えば妹は、ずっとこんな調子でした。今まで押し殺していた憤りが、怒りが、次々とあふれ出てきます。
これは武者震いでしょうか。一番わたくしの近くにいて、一番わたくしのことを虐げていた人間。
復讐すべきは、彼女だった。
さあ、今こそあの技を。わたくしはもう妹に虐げられ、踏みつけにされているだけの女ではないのですから!
「奥義・壱転!!」
今までで一番、気合いのこもった拳でした。研ぎ澄まされたわたくしの怒りが、まるで矢のように妹に突き刺さるのがひどくゆっくりと見えました。
「……やりました……ついに、この時が……」
ソファに倒れ込む妹の顔、そこにはやはり戸惑いとおびえが満ちています。その顔をじっと見たとたん、勝手に言葉がこぼれ落ちていました。
「あなたはわたくしを下に見て、いつもないがしろにしていました。けれど、わたくしが本気を出せば、あなたなどいつでも好きなようにできるのです」
ほんの少し息が弾むのを感じながら、精いっぱい威厳を込めて言い放ちました。
「わたくしを今までと同じように軽んじ続けるというのであれば、わたくしはもう我慢はしません。それ相応の報復をいたします」
すっと握った拳を突き出すと、妹が真っ青になって震え出しました。そんな姿を見ても、当然だ、いい気味だとしか思えませんでした。
「……ああ、でも、そうですね……今までわたくしが苦しんだ分、あなたにも少し痛い目を見ていただきましょうか……?」
そんなことをつぶやきながら、わたくしは内心困惑していました。消えないのです。胸の中の怒りが。
脅すだけでは足りない。怖がらせるだけでは足りない。彼女だけは、絶対に許せない。
行き場のない怒りに、ぐっと拳を握りしめます。爪が手のひらに食い込むほどに。
……その時、気づいてしまいました。
わたくしが教わったたった一つの技、『奥義・壱転』。
それは生きとし生けるものの、命そのものの脈動へ介入する技。
つまり、思い切り威力を上げることで、ただ命に介入するのではなく、命そのものを止めることだってできる。
すなわち――『奥義・壱殺』。
今のわたくしなら、できる。
人間相手に何度も技を放ったことで、力の微妙な調節にも慣れました。怒りに任せて技を放てば、きっと必要なだけの威力も出せるでしょう。
妹が、目の前の女がいなくなってくれればいい。今、わたくしの願いはただそれだけでした。
「覚悟なさいメアリー、あなただけは、許さない!!」
ソファにもたれかかった妹、メアリーの顔面めがけて、まっすぐに拳を突き出します。
ありったけの、殺気をのせて。
「待つんだ!」
その時誰かが、わたくしの腕をつかみました。