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6.愛してくれなかった人たち

 次は、元夫を探しましょう。ここにいるといいのですけれど。そう考えて奥の扉へとふらりと進み出たその時。


「父さん、母さん!? 大丈夫か、どうしたんだ!」


 知らない声がしたので振り向くと、いつの間にか知らない青年が姿を現していました。脇の廊下からやってきたようです。


 彼は大股にこちらに近づくと、そのまま元のしゅうとめしゅうとのそばにひざまずきました。


 その青年は見た目こそ割と整っていましたが、少々軽薄で軟弱な雰囲気が鼻につきます。


 あの二人を親と呼んでいるということは、彼こそがわたくしの元夫なのでしょう。元夫は一人息子のはずですから、間違いはないと思うのですけれど。


「はじめまして、わたくしはビアンカ。あなたが、わたくしの元夫でしょうか?」


 ひとまずそう声をかけてみたものの、自分の言葉があまりに馬鹿馬鹿しく思えてしまって、笑いをこらえるのが大変でした。だってわたくしたち一度は夫婦でしたのに、はじめまして、って。


 元夫とおぼしき青年は一瞬ぽかんとした後、顔を引き締めてこちらに向き直りました。


 精いっぱい威厳を出そうとしているのでしょうが、どうにもなよなよしているように思えてしまいます。


 師匠のほうがずっと凛々しくて格好いいなと、ふとそんなことを考えてしまいました。


「……あ、ああ、そうだ。ところで、どうしてお前がここにいる!? お前、父さんと母さんに何をしたんだ!?」


「わたくしはみなさまにごあいさつをするために参りました。そちらのお二人については……わたくしと話していただければ、その後で答えて差し上げます」


 焦り切っている元夫に、涼しい顔で答えました。


 わたくしは彼の顔すら知りませんでした。そんな彼にそのまま思いをぶつけても、きっとわたくしは満足できない。


 彼が何を考えていたのか、彼がわたくしのことをどう思っていたのか。どうしても、それを彼自身の口から聞きたかったのです。


「……ということは、やはりお前は何か知っているんだな!? 早く話せ!」


 ところが元夫ときたら、聞く耳などまるで持たないようでした。顔を真っ赤にして、わたくしに詰め寄ってきます。まあ、せっかちな方。


「いえ、まずはお話が先です」


「この状況で、悠長に話などしていられるか!」


 それでもわたくしが口を割らないのが予想外だったのか、元夫は不機嫌そうにうなりました。それから不満げに、小声でつぶやき始めます。


「全く、お前が嫁いできてからろくなことがない……僕は妹のほうに用があったのに、こんな年増をよこしてきて」


 わたくしと妹は、二歳しか違いません。それにわたくしは今でも、十分に結婚適齢期と呼ばれる年頃です。初対面の相手に年増呼ばわりされるいわれはありません。


「母さんがお前を一人前の妻となるようしつけると聞いていたが、一向にはかどらないし……」


 あれはしつけではありません。ただの虐待です。


「年増のがさつな女になど関わりたくなかったから、ずっと屋敷に戻れなかったし……まあ、頼れる友人たちがたくさんいたからな、困りはしなかったが」


 この方、責任感というものがないのでしょうか。めとった妻に顔を見せることすらせずに、自分だけ安全なところで悠々と過ごしていたなんて。


「ああ、僕はなんて不幸なんだ!!」


「あっ」


 気がついたら、思いっきり殴っていました。それも、全力の正拳突き。元夫が「ぶべし」とか何とか、間の抜けた声を上げて吹っ飛んでいます。


 奥義・壱転いちころを使うには、殴る必要はありません。そっと拳を当てるだけでいいのですから。


 でも、ついうっかり殴っていました。しかも、うっかり技を使い忘れて。ええ、うっかりです。うっかり本気です。


 わたくしの拳は女性のものとはいえ、師匠のもとで二年間みっちりと鍛えられた拳です。ワイングラスより重いものを持ったことがなさそうな元夫には、この一撃は大いにこたえたのでしょう。


 彼は吹っ飛んだ勢いで壁際まで滑っていって、そこでしとやかに横座りをしたまま頬を押さえています。


「な、何をする、この暴力女!」


「申し訳ありません、手が滑りました」


「手が滑ったなどという威力ではないだろう! 年増女のくせに!」


「それは、もう一度殴られたいという意味でよろしいでしょうか?」


 静かに問いかけると、元夫はぴたりと黙りました。意気地なしではありますが、全くの愚か者でもないようです。


「とはいえ、あなただけ仲間はずれというのもなんですから……」


 そっと手を伸ばし、彼の頬に触れて、奥義・壱転。


 そしてばたりと倒れ込む元夫。わたくし、この短期間にずいぶんとこの技が上達したように思います。


「お話ししてくださってありがとう。ひとまず、あなたがただの屑だということだけは分かりましたわ」


 元々縁も関心もなかった相手。こうして知り合ってみれば、注意を向ける気にすらならないどうでもいい存在。


 彼でもなかった。わたくしの胸の内にわだかまる苦しみを、怒りをぶつけるべき相手は。


「どこまで行けば、わたくしの心は解放されるのでしょう……」


 そんなことをつぶやきながら、その場を後にしました。次の目的地である、生まれ育った屋敷を目指して。




 勝手に馬車を借りて、そのまま実家へ向かいます。ぼんやりと窓の外を眺めながら、物思いにふけります。


 嫁ぎ先の三人は、もうどうでもよくなっていました。これ以上私の人生に関わってこないのであれば、それでいい。むしろ、あの三人のことはもう忘れたい。


 そう割り切れたというのに、胸の中のもやもやが消えてくれないのです。


 だったら後は、実家に戻るしかない。そう分かっていたのですが、どうにも気が重かったのです。


 ずっと見せずにいた心の内を、本当の思いを掘り起こして家族にぶつける。どんな反応が返ってくるのでしょう。多少なりとも、受け止めてもらえるのでしょうか。


 そんな不安を抱えたまま、小気味よい車輪の音にじっと耳を傾けていました。




 玄関を通って、居間へ。この時間なら、両親はそこでくつろいでいるはずです。


「……ただいま、戻りました」


 ソファで談笑していた両親にそう呼びかけると、二人のお喋りがぴたりと止みました。


 そうして、同時にわたくしを見つめてきます。その目は、薄気味が悪くなるほど静かでした。


「……どうして、戻ってきたんだ?」


「あなたが不義を働いたって、あちら様はとても怒っておられたわ」


「あの、それは誤解で」


 私が不義を働いたのだと、元姑はそう言っていました。そして両親はそれを信じてしまっているようでした。


 必死に本当のことを伝えようとするわたくしを、両親の声が遮ります。


「だが、我が家とあちらの家の関係が悪くなったことは事実だ。まったく、なんてことをしてくれたのだ」


「あなたがそんなに我慢のできない、駄目な女だったなんて……がっかりだわ」


 その時、胸の中で何かが音を立てて崩れ落ちていくような気がしました。


 両親は、妹ばかり構っていました。でもそれは、妹が病弱で手がかかるから。


 だからわたくしがいい子にしていれば、きっといつかお父様やお母様がわたくしのほうを見てくれる。よく頑張ったと、褒めてくれる。


 小さな頃から、そんなささやかな夢を抱いていました。でもやっぱり、それは本当にただの夢に過ぎなかった。かなうことのない、はかない夢。


「……奥義・壱転…………」


 ふらりと二人のほうに歩み出て、肩をとんと軽く叩きます。たちまち二人は崩れ落ち、ソファの背もたれにもたれかかってしまいました。


「お父様、お母様……わたくし、こんなに強くなりました。頑張りました。ねえ、どうかわたくしを見てくださいな……」


 両親の体を慎重に動かして、わたくしと目が合うようにしました。二人とも、困惑しきっています。


「一度でいいから、愛して欲しかった。わたくしのほうを見て欲しかった。わたくしの話を、ちゃんと聞いて欲しかった」


 二人とも、当然ながら何も言いません。言えません。


 でもそれでよかったと、そう思いました。きっとこれ以上二人の言葉を聞いたら、もっと悲しくなってしまいますから。


「あなた方はわたくしのことを、結局一度も認めてくれなかった……もう、手に入らないものを追い求めるのはやめにします」


 きっと、それにこだわっていたらわたくしは幸せになれないから。悲しくても、わたくしは未来を向いて生きていきたいから。


「お父様、お母様、今までありがとうございました。もう、ここには戻りません。どうかお元気で」


 驚いたことに、わたくしは笑えていました。たった今、大きな失望を味わったばかりなのに。


 本当は、元姑や元舅のように、自分の力を見せつけておびえさせたいと思っていました。でも実際にこうなってみたら、そんなことをしたいとは思えなくなっていました。


 だから黙って微笑んだまま、その場を後にしました。頬に流れる涙の温もりを感じながら。

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