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4.強くなったわたくし

 そうして、月日は瞬く間に過ぎていきました。いつの間にか、わたくしが師匠のもとで暮らすようになってから二年が過ぎていたのです。


「ビアンカ、君はついに『奥義・壱転いちころ』を習得したのだな」


 わたくしの目の前には、ぴたりと動きを止めた木。かつて師匠が見せてくれたのと同じ光景。


「これが、奥義……わたくし、やり遂げました……師匠、ありがとうございます!」


 深々と頭を下げるわたくしに、師匠はためらいがちに声をかけてきました。


「ああ、よく頑張った。俺も、君のことを誇らしく思う。……ただ」


 普段はゆったりと落ち着いた彼が、いつになく落ち着かない顔をしていました。どうしたのでしょう。


「その……君には何かしたいことがあるんじゃないか? 君はその何かのために、懸命に修行を続けているように見えるんだ」


 わたくしは、自分の過去については既に全て打ち明けています。寂しかった子供時代、嫁いでからの苦悩の日々。


 けれどこの思い、わたくしを虐げてきた人々に言い返してやりたい、復讐してやりたいという思いについては、一言だって話したことはありません。


 こんな邪な理由で技を覚えようとしていることが知られたら、技をそんなことに利用しようと考えていることが知られたら、きっと……いえ、間違いなく師匠に叱られてしまいます。もしかしたら、嫌われてしまうかも。


 何も言えずにうつむくわたくしに、師匠は穏やかに声をかけ続けてきます。


「人間、何らかの目的なしに突き進むのはとても難しいことだ。実際、俺のもとで修行を始めたばかりの君は、ぼんやりと強さを求めるごくありふれた女性にしか見えなかった」


 懐かしむように語る師匠の声が、ふと止まりました。それからより真剣な声音で、彼は言いました。


「だが、君は変わっていった。よりひたむきに、より熱心に稽古をするようになっていた。気迫が、まるで違っていた」


 それはきっと、わたくしが目標を見つけてしまったから。技を使って、やりたいことができたから。


「……君が変わった理由を話してくれとは言わない。誰しも、話したくないことの一つや二つあるだろう」


 師匠のまなざしは、声は、とても優しいものでした。父親が娘に向ける愛情とはきっとこのようなものなのだろう。そう確信できるほどに。


「だから、俺はこれ以上聞かない。行くといい、ビアンカ。……ただ、一つだけ」


 朗らかに話していた師匠が、ほんの少し言いよどみました。


「その何かが終わったら、またここに戻ってくると……そう約束してはもらえないだろうか。君は俺の初めての弟子だ。君に教えたいことはまだまだある。……君と話したいことも」


 最後のほうは、消え入るような声でした。師匠にしては、とても珍しいことに。


「はい、わたくし、またここに戻ってきます」


 わたくしは、師匠に教わった技を悪用して恨みつらみを晴らそうとしている。そのことを知ってなお、師匠はわたくしを弟子と呼んでくれるのでしょうか。


 胸がちくりと痛むのを感じながら、精いっぱい明るく答えました。




 そうしてわたくしは師匠のもとを離れ、旅に出ました。修行の時の男性のような服ではなく、かつて着ていた貴族らしいワンピースをまとって。


 森の中をすいすいと進み、近くの街道に出ます。迷うことなく歩き続けていたら、いきなり数人の男たちに囲まれました。


「おう、こんなところに貴族の姉ちゃんだぞ」


「襲ってくれと言ってるようなもんだな」


「止まれ、そこの女! 抵抗すれば殺す!」


 この辺りの街道には賊が多いのだと、そう師匠は教えてくれました。近くの町の兵士たちが巡回に来てくれるものの、それでも時折、こんな風に賊が出るそうです。


 町から離れていることと、周囲が岩山や深い森で身を隠すのにちょうどいいからなのだろうと、そう師匠は推測していました。


 そして、かつて師匠は修行の一環として、よく賊退治をしていたのだそうです。おかげで、賊もある程度減っていました。


 けれどわたくしが弟子となってからは、師匠は危険な街道に近づかなくなりました。万が一にも、わたくしを危険にさらさないように。そんな心遣いでした。本当に師匠は優しい方です。


 そうして師匠の目が行き届かなくなったことで、この賊たちがわいて出たのでしょう。師匠と違って、本当にどうしようもない人たちです。


「おい、聞いてるのか!?」


 わたくしが立ち止まらなかった、それどころか上の空だったのが気に障ったのでしょう、賊の一人が進み出てきて、わたくしの肩に手をかけようとしました。


「奥義・壱転いちころ


 何度も木々に対して放ったのと同じように、すっと拳を突き出し賊に触れます。不思議なくらい、焦りも恐れも感じませんでした。


「あが……っ……!!」


 困惑に顔をゆがめながら、賊が地面に崩れ落ちました。そのまま身動き一つせずに、わたくしをじっと見つめています。


 男の目に浮かんでいる困惑の色が、じわじわと恐怖の影へと変わっていきました。


「なんだこいつ!?」


「今、何をしやがった!?」


 それを見て、他の賊たちがいきり立っています。みな怒りの表情で、じりじりとわたくしに迫ってきました。どことなく、戸惑っているようですけれど。


 面白いことに、誰も剣を抜いてはいませんでした。


 丸腰のか弱い女ごときにそこまでおびえていると思われたくなかったからなのか、あるいは商品となり得る女を傷つけたくなかったからなのか。


 それとも、わたくしが何をしたのかまだ理解できていなかったのか。


 ともあれ、賊たちのそんな油断は、わたくしにとっては好機以外の何物でもありませんでした。


 一応剣を持った相手との戦い方も教わっていますが、さすがにいきなり多人数を相手にしたくはありません。


 この程度の賊に負ける気はしませんが、これからあちこち訪ねて回ることを考えると、かすり傷ですら負いたくありませんでした。


 ごく自然な足取りでするりと踏み出し、ダンスでも踊るかのような動きで次々と拳を繰り出していきます。


 ほんの二呼吸ほどの間に、決着はついていました。初めての実戦は、あまりにもあっけないものでした。


「それでは、失礼いたします」


 地面に転がったまま、おびえきった目でこちらを見ている賊たち。わたくしは彼らに優雅に一礼して、その場をゆったりと離れます。


 ところが去り際に、森のほうで何か音がしました。弓の弦のような音と、小さなうめき声のような音です。


 思わず立ち止まり、耳を澄ませました。けれど、それ以上何も聞こえてきません。


「……ここで立ち止まっていても、仕方ありませんね」


 そうしてまた、街道を進み始めました。さっきよりもほんの少し軽い足取りで。

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