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3.力が欲しくて

 わたくしの言葉を聞いたアーネストは、大いに戸惑っているようでした。けれどお構いなしに、必死に言葉を紡ぎます。


「わたくしは、このままでは一生幸せになれないんです! ずっと誰かの思惑に流されて、ずっと誰かに踏みつけにされて……自分の意思を主張することすらできず……」


 頬を流れる涙もそのままに、力いっぱい叫びました。


「わたくしは、強くなりたい! 幸せになるために!」


「……そうか」


 ふと、アーネストの静かな声がしました。いけない、こんなに取り乱してしまって。きっとあきれられたに違いありません。


 それ以上何も言えなくて、じっとアーネストの言葉を待ちます。彼の精悍な顔は、考え込んでいるかのように厳しく引き締められていました。


「……君が、俺の家に受け継がれた『拳法』を学びたいと言うのなら」


 やがて、彼がぽつりとつぶやきました。こちらを見ないまま。


「俺に弟子入りしてもらうことになる。貴族の令嬢には過酷な生活になるぞ」


「それでも、構いません」


「……即座に言い切る、か」


 彼が、わたくしの声に何を感じ取ったのかは分かりません。しかし彼は、ゆっくりとうなずいてくれました。わたくしをまっすぐに見つめて、力強く。


「……これからよろしく、ビアンカ」


 こうしてわたくしの、新たな日々が始まったのでした。




「ビアンカ、拳はまっすぐ突き出すんだ! 腰を落として踏ん張り、このように!」


「はい、師匠!」


「うむ、良くなった! それでは正拳突きを左右百回ずつ、その後は下の沢に行って水をくんでくるように」


「分かりました!」


 わたくしはアーネストのことを師匠と呼び、まるで男のようななりをして、来る日も来る日も修行に明け暮れました。


 最初の頃はひどいものでした。ろくに体は動きませんし、すぐに筋肉痛になってしまって。


 おまけに、貴族の娘ということもあって家事は何もできません。無理を言って弟子にしてもらってこれはないだろうと、自己嫌悪に陥る日々でした。


 けれど努力したおかげで、体力もついてきました。家事についても、それなりにこなせるようになってきました。


「いずれ『拳法』を身につけることができれば、わたくしは強くなれる……けれど、そこから何をしたいのでしょう?」


 水桶を手に沢に降りて、水をくむ間、わたくしは考え事をしていました。ある程度生活に余裕が出てからというもの、こんな悩みがずっと付きまとっていたのです。


「わたくしは、自分の人生を生きたい……誰にも、踏みつけにされたくない……」


 自分の望みだけは、あきれるほどはっきりしていました。でもどうやったら、その望みをかなえることができるのか。


 悩んで悩んで、考え続けて。わたくしはやがて、一つの答えを出しました。


 今までわたくしを蔑ろにしてきた、虐げてきた人々に、わたくしの思いを伝える。わたくしの受けてきた痛みのほんの一部だけでも、味わわせる。わたくしが強くなったのだと思い知らせて、震え上がらせる。


 この感情は、きっと復讐心と呼ぶのが正しいのでしょう。


 それが分かっていてもなお、わたくしはその感情を手放すことができませんでした。むしろその思いは、日に日に強くなっていくばかりでした。だって、こうしないと、きっとわたくしは前に進めない。


 こんな醜い感情を、師匠には知られたくない。代々受け継いできた『拳法』をひたむきに極めていこうと頑張っている師匠、わたくしを生まれて初めて温かく迎えてくれたアーネストだけには。


 二つの思いの間で激しく揺れながら、わたくしは己を強くすることに没頭していました。


 そうやって強くなることで、復讐の時がどんどん近づいてくるということに目を背けながら。




 そんなある日、師匠がわたくしに告げました。もうすっかり習慣となっていた、朝の鍛錬の途中で。


「……ビアンカ。君は俺の想定より、ずっと速く成長している。この分ならそろそろ、本格的に技を学んでもいいだろう」


 どことなく厳かに、師匠はそう言いました。この『拳法』には様々な技がありますが、それを習得するには体を鍛え、基礎の身のこなしをしっかりと身につけなくてはならないのです。


 技を授けてもいいのだと認めてもらえたことに嬉しさを覚えながら、じっと師匠の次の言葉を待ちました。


「……まずは、一つの技を覚え、それを習熟していってもらおうと思う」


「はい! どんな技でも、全力で鍛錬いたします!」


「心優しい君には、この技がふさわしいと思うんだ」


 その言葉が、ちくりと胸に刺さります。わたくしは心優しくなどありません。心の奥で復讐の思いをたぎらせている、醜い女なのです。


 もちろん師匠はそんな思いに気づくこともなく、近くの木に向き直りました。そうして正拳突きを軽く繰り出し、とんと木の幹に当てました。


 たったそれだけのことでした。けれどすぐに、不思議なことが起こったのです。


 そよ風にざわざわと揺れていた木が、突然ぴたりと動きを止めたのです。まるで凍りついたように。周囲の木はやはり揺れているということもあって、とても不思議な光景です。


「これが我が家に受け継がれし技の一つ、『奥義・壱転いちころ』だ」


「おうぎ、いちころ……」


「そうだ。軽く、触れるような一撃を当てるだけで、生きとし生けるものは全て動きを止める。動物や人であれば立っていることすらできずに、その場に転がってしまう」


 そう説明して、師匠はこちらをまっすぐに見つめてきました。


「俺が知る中で、この技が一番君にふさわしいと思う。この技であれば、君はその手を汚すことなくその身を守ることができるから」


 わたくしは力が欲しい。自分自身の人生を、誰にも邪魔されずに生きていくために。わたくしを虐げた人たちに復讐して、過去と決別するために。


 今の技は、その助けになってくれるでしょうか? もっと恐ろしく強い技のほうが良いのではないでしょうか。


 ……いえ、師匠の心遣いを無駄にしたくはありません。それにこの技は、確かにわたくしの力になってくれるでしょう。要は、使い方次第です。


 ですからわたくしは、はっきりとうなずきました。


「どうかその技を、わたくしに授けてください。お願いします」




 それからわたくしは、前以上に修業に励むようになりました。


 師匠が一度だけ見せてくれたあの技を、自分のものとするために。


 体を強くすれば、心も強くなる。そうして強くなった心をどんどん自分の外へと広げていって、周囲の世界へと溶け込ませていく。


 そうすれば生きとし生けるものの呼吸が、鼓動が、まるで自分のもののように感じ取れる。


 相手の生命そのものの動きに自分の動きを合わせて、ほんの少しだけその動きを乱すように拳を突き出す。


 これにより相手のリズムが崩され、まるで金縛りにあったかのように身動きが取れなくなる。


 あの技は、そういうものなのだそうです。まだ初心者のわたくしには分からないところだらけでしたが、それでも懸命に頑張りました。


 力を得る、ただそのためだけに。その力をもって、あの人たちに復讐するために。


 普通に話そうとしたところで、きっとあの人たちは耳を傾けてはくれない。あの人たちにとって私は、道ばたの雑草よりも価値のないものでしたから。


 だからわたくしは、この技を使う。そうして反論も逃げ出しもできなくなったあの人たちに、思いの丈をぶつける。


 ……もっとも、きっとわたくしの言葉は、あの人たちの胸には届かないでしょう。でも、いいのです。自分の思いをきちんと言葉にできる、その時間を作ることができれば。


 あの人たちは、みな大いに驚くことでしょう。そしてわたくしに倒されたことにおびえるでしょう。それで、よしとします。今までわたくしが受けた痛みにはまるで釣り合いませんが。


 そんな考えをいったんしまっておいて、目の前の木に意識を集中しました。

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