イライラするときは爪を噛むに限る
イライラするときは爪を噛むに限る。
家族から爪を噛むなと言われ続けた幼少期、死んだばあちゃんには爪に赤チンを塗られたこともあったが、俺は高校生になった今でも爪を噛む。
ただ単にやめられなかった、というのもあるが、中学の頃に読んだ漫画の登場人物が爪を噛んで精神を落ち着かせていたからだ。
「晴人が爪噛みをやめるのを諦めたのはあれだろあれ、『神楽姫』に出てくる蛹ちゃんが爪を噛んでたから。蛹ちゃんの片想いの相手と、自分の親がえっちー仲になってるのを蛹ちゃんが偶然見ちゃって、泣きながら爪を噛んでたんだよな」
流石は剛志、よく覚えているな。
剛志とは漫画によくありがちな設定、家が隣で幼・小・中・高ずっと一緒をリアルで行く、幼馴染の大親友だ。
俺は中学はテニス部、高校ではバスケ部に入った。
これもそれぞれ人気漫画の影響だ。
「漫画大好きだもんな、晴人。影響受け過ぎでマジ笑える」
「中学ん時のテニスは……俺も脛肉ショットを打ってみたかったんだよ、『テニスの叔父様』に出てくる怪盗みたいに」
怪盗が奪うもの、それは愛からのポイント。
「で、バスケは尊敬できる最高の恩師に出会うため、だったろ? でもあの顧問に尊敬は無いよなぁ」
そう、バスケ部顧問は外れだった。名台詞の一つも言わないし、あの名作漫画を読んでいない可能性すらあるバスケ未経験者ときた。
「でも剛志はさ、なんでいちいち俺に付き合うわけ? おんなじ部活に入れるのはもちろん嬉しいけどさ、お前はお前で他に入りたい部とか無かったのかよ?」
「んー? 特に無いかなぁ。俺は晴人をずっと眺めておきたいし、っつーか、視界にお前が入っていないと心配になるし」
「過保護だよなぁ。ほら見ろ、剛志のせいで、橋本が若干引いてんじゃん」
「若干じゃないから。ドン引きな。てか、俺ってもしかしてもしかしなくても、お邪魔だったりする?」
黙食をやめた第三の人物、高校からの友人の橋本が剛志の顔色を窺っている。
「いや? いい感じに背景に馴染んでるから邪魔じゃないよ。いい感じに主役の引き立て役になってる」
「剛志はホント昔から天邪鬼だよなぁ。普通に、橋本とつるむの楽しいって言えばいいのに、ホント素直じゃないよなぁ」
「俺、晴人と一緒にいるのは楽しいし大好きだよ」
「もういいよお前ら。剛志の愛が重過ぎんのと、晴人がズレてて鈍過ぎんのと、お前らどっちもどっちだから。で、晴人さぁ……それ、その秋刀魚の食べ方、絶対におかしいだろ」
今日は土曜で授業は無い。
午前のみの部活帰りの男三人で、高校近くにある大衆食堂で昼飯を食べている、なう。食堂の親父の鼻歌が聴こえてくる、なう。鼻歌はナ○シカのテーマ、なう。
「だって、秋刀魚は中骨もしっかり噛めば食べられるし。カルシウムだから」
俺の横長の平皿の上には、秋刀魚の頭の三角形だけが左隅にちょこんと乗っかっている。骨は無い。食べたから。
「昔は刺し身と寿司以外は魚苦手だったのにな、晴人は」
そう、俺は元々は焼き魚も煮魚も嫌いだった。
流石は剛志、よく覚えているな。幼馴染の記憶力って素晴らしい。まぁ俺も、剛志の好き嫌いの推移は概ね覚えているけれど。
「だって、骨があって食べにくいし、時間もかかるし、手も汚れるし、面倒臭いし」
「でも『ツーピース』のフォーマルフェアを着た主人公が魚を骨まで食べてんの見て、気付いたんだよな?」
「うん、あの時はホント衝撃だった。骨まで食べればいいんだ!っていう、衝撃ってよりも、感動? 口からサメの歯を落とせるんじゃないかっていうくらい」
「何でサメの歯? 目から鱗は無理でもせめてコンタクトだろ」
「橋本は何で漫画を読まないかな? 人生損していると思いませんかね」
「思わねぇーし。その分、他のことに時間充ててるから。剛志は晴人が読んでる漫画ほとんど読んでんだろ? 時間溶けて勿体無くね?」
「傾向と対策は大事だからさ。晴人と感想言い合えるのは楽しいし……あ、俺、今、いいこと思い付いたかも。暖簾に腕押しの現状からの打開策が見えた気がする。モブキャラ橋本がまさか役に立つ日が来ようとは……なぁ、本屋行こうぜ本屋」
ということで、チャリで移動し、男三人で駅の本屋、なう。ナ○シカの画集発見、なう。昨日が発売日で買おうと思っていた漫画があったのでちょうど良かった。
自分はかなり漫画を読む方だが、橋本は橋本で驚くくらいに漫画を読まない。バスケ部のくせに、数作はあるだろう有名バスケ漫画のいずれも読んだことが無いという。そのくせ『キャンプショップ機体』は読んでいる。サッカー部に魂を売り渡した非バスケ部員め、バスケ部だけど。
「剛志、その漫画どうすんの?」
既に自分のハンドボール月刊誌の会計を済ませた橋本が、剛志が手に持つものを気にしたようだ。俺も試読漫画に夢中で気付かなかったが、剛志は数冊漫画を手に持っている。しかも割りとサイズがデカい。
「来月はさ、晴人も俺も誕生月だから、これは晴人への誕プレにすんの。1日は晴人の誕生日だし」
「漫画くれんの? やった! めっちゃ嬉しいけど、それ、俺が読んだことないやつなんだよな?」
せっかく貰うなら既読よりも未読がいいし、家にある漫画本との重複は避けたい。
「うん、晴人は絶対に読んだことがないやつ。ネットでかなり調べたんだけど、絵も綺麗だし口コミも良かったから、気に入ると思う」
剛志は俺の絵の好みをよく知っている。口コミも良かったのなら、きっと期待できるだろう。
漫画♪ 漫画♪ 未読の漫画♪
「俺も剛志に何か買おうか? プレゼント、交換する?」
「実は俺、晴人から貰いたいものがあるんだけど……何も買わなくて大丈夫なやつだから。必要な道具はこっちで揃えるし、身一つくれたらそれで。あと、橋本は昼飯かジュースでも奢ってくれればそれでいいから」
「俺の扱い酷くね?」
橋本と剛志が喋り出したので、俺は自分が集めている漫画の最新巻を手にレジに並んだ。
「晴人って微妙にズレてるとこあるし、鈍いんだよなぁ……そこが可愛いんだけど」
「で、漫画渡すの? エロいBLを?」
「まさか。エロく無いのからだよ。幼馴染同士の男子高校生もの、検索したら割りとあるのな。晴人が男同士の恋愛も当たり前だと思えるように地ならししてから、その後でエロいの渡して、俺の誕生日は月末だから」