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08 ベリーちゃん

 日付を跨いだ頃ようやく舞踏会はお開きとなった。招待客がそれぞれの馬車に乗って王宮を後にする中、ジスデリアは飽き飽きとした様子で城内の廊下を歩いてゆく。

 

 ついにぼくの素顔を兄のキース以外の人間に知られてしまった。最悪だ。だけど幸いあの令嬢……マルガレットだったっけ、あの気弱な様子じゃほかの令嬢たちに言いふらすようなこともないだろう。

 あんないじいじ話すくせにダンスを踊っているときだけはまるで別人のようだった。マルガレットは心からワルツを楽しみ、普段は面倒なはずのダンスもあのときだけは思わずぼくまで楽しいと感じてしまうほどだった。なんだよ、それ。そんなのぼくの柄じゃない。


 とはいえご自由にお使いくださいと言われて案内された客間に先客がいるとは思わなかった。

 こんなことになるのならば多少歩いてでも自室まで戻るべきだったとジスデリアは今更ながら後悔する。そうすればあの令嬢に悪態を聞かれることもなかったのだから。

 

 今夜は一段と招待客の数が多く、大勢の令嬢がジスデリアに言い寄った。年頃の令嬢たちにとって舞踏会はいわば出会いの場。

 特にキースと違いジスデリアは人のよさそうな面構えをしていることから昔から話しかけられることが多く、令嬢たちは打算的に皆同じように自分のアピールをすることに必死だった。身なりを派手に着飾り、家柄自慢、聞いてもいないのに趣味の話をし教養のあるふりをする。どれもうんざりだった。


 百歩譲ってその矛先がジスデリアにだけ向けられるのであればまだいい。しかしあのマルガレットという令嬢はなんとキースと踊り、あまつさえその後にソファで談笑までしてみせたのだ。

 ジスデリアはそれがどうしても嫌だった。決して自分一人が注目を浴びたいとかそんな安直な理由ではない。

 今までもキースに憧れる者は後を絶たなかったが、いつだって皆遠巻きに眺めるだけで声を掛ける者など滅多にいなかった。それだけキースは絶対的な王者としての風格を纏っていたし、その辺の令嬢が気軽に話しかけていいような相手ではないのだ。

 キースが今日(こんにち)までにどれだけ血の滲むような努力してきたのかも、間近で見てきたジスデリアだからこそよく知っていた。ジスデリアはそんな兄を誇らしく、そして、僅かに寂しくも思っていた。


 とにかく、キースと話しているマルガレットが目についたときジスデリアはなんとしてでもあの令嬢を引きはがしてやろうと思った。

 そうしてマルガレットに話しかけたわけだが、彼女は見かけによらず随分静かな令嬢だった。ジスデリアに声を掛けられた瞬間こそは目をまん丸く見開いて驚いた様子を見せたが、すぐに目尻を下げてジスデリアへ挨拶を交わそうとした。

 正直あのときは危なかった。実はあのときジスデリアはマルガレットの名前をすっかり忘れていた。彼女に見えない位置でキースが唇の動きでマルガレットの名前を伝えていたのである。


「いやあ、あのときは焦った。でもぼく興味ない人の名前なんて覚えられないし」


 マルガレット・ジルスチュアード。彼女の名前を聞いたとき道理で聞いたことのある名前だと思ったら、マルガレットはあのローズベリーの妹だったのだ。彼女の妹なだけあって只者ではなさそうだった。


「ジス、こんなところにいたのか」

「あ! 兄さん!」

「今夜はお疲れさま」


 向かいからやってきたのはキースだった。ジスデリアは両手を上げて喜ぶ仕草をしてみせる。

 既に知られているとはいえ、特にキースには自分の素顔を曝すことを好ましく思っていない。それだけ兄には自分の明るい面だけを見ていてほしかったし、なにより余計な心配をかけさせたくなかった。


「兄さんこそ来賓への挨拶回りばっかで嫌になっちゃうでしょ」

「これも公務の一つだと思えばなんてことはないさ」


 キースがふっと笑う。ジスデリアはキースが表情を崩すさまを見せる数少ない相手の一人でもあった。ジスデリアもまたキースの柔らかい表情を見ると少しだけ安心する。


「ジス、マルガレットはどうだった」


 彼の方からわざわざ令嬢の話題に触れるなんて珍しい。ジスデリアが普段キースと令嬢たちの交流を邪魔しているのも事実だが、だとしてもキースが誰か特定の女性に興味を持ったり話題にすることなんて今まで一切なかったのだ。もはやキースは女性には興味がないのではとジスデリアが疑うほどであった。


「そうだなあ、面白そうな子だなあって思ったよ」

「面白そうな子、か」


 キースの少しだけ納得のいっていないような反応を不思議に思ったが、眠気に襲われつつあったジスデリアはそれ以上追及する気力も湧かずそのまま流すことにした。


 キースに近付いたことはいただけないけど、休憩室でぼくにボロクソ言われた彼女は泣き崩れたり怒り出すわけでもなくただ真っ直ぐにぼくを捉え、声を震わせながらも自分の意見を述べていた。

 まあ好きかどうかは別として、いじいじおどおどしたり、でもはっきり意見するときもあって、それでいてダンスのときはあんなに幸せそうに踊って、なかなか面白い子だった。マルガレットを思い出すとまたも笑えてくる。

 

「……ところで今から父上からお前に話がある。着いてきてくれるか」

「えーこんな時間になにー? ぼくもう眠いんだけど」


 ジスデリアは拗ねるように唇を尖らせたが、キースは表情を変えることなく言った。


「すぐに済む」

「そう?」


 ジスデリアはマルガレットたちが帰っていったあと少しだけ一息をつくとすぐにホールへと戻り、最後のもうひと踏ん張りとして招待客への挨拶回りや好きでもない令嬢たちと談笑し、そして何人かとダンスを踊った。おかげでジスデリアの表情筋は限界を迎えていた。


 早く自室に戻ってあっつい湯に浸かってさっさと休みたいけど仕方ないね。大切なキースからのお願いを断るわけにもいかないもの。



 キースに連れられて辿り着いたのは居住区エリアにある談話室だった。この談話室は王族などの一部の者しか入ることが許されていない完全プライベートなスペースだ。入室するとそこには数人の使用人と、国王と王妃の姿があった。


「父上、ジスを連れて参りました」


キースが軽く会釈をすると王妃は柔らかく微笑んだ。


「二人とも今夜はご苦労様でした。疲れたでしょうからどうぞ座って。それからクラウス、二人にもお茶の用意を」


 クラウスと呼ばれた中年の執事はかしこまりましたと深くお辞儀をすると傍にいたメイドに目配せをする。

 それぞれソファに腰を下ろすとジスデリアは背筋をしゃきっと伸ばすと静かに息を呑み、口を開いた。


「それでぼくに話っていうのは」


 国王の拳に力が入るのが見て取れた。


「ジスデリア、お前の結婚について決まったのだ」


 は? ぼくが結婚だって? まだ十九歳で、来週やっと二十歳になるっていうのにいくらなんでも早すぎる。ジスデリアは頭をフル回転させ、できるだけ可愛らしい声で咄嗟に口をぽかんと開け間の抜けた声でえ? と口にした。


「えっ、どういうこと? 相手は? いつ?」

「相手は再従姉妹(はとこ)のジルスチュアード家の令嬢だ」


 その名にジスデリアはキャラクターを取り繕うのも忘れそうになるほど混乱し、それでいて心臓は大きく脈を打っていた。


 ジルスチュアード家が再従姉妹だって? そんなの初耳だ。それにジルスチュアード家の令嬢と言ったら二人いるじゃないか。一人はぼくもよく知っている、ローズベリー。そして、もう一人はあの気弱なマルガレット。

 一体どっちなんだ。だってぼくは……。


「昔よく遊んでいた子だ、憶えているだろう」


 ジスデリアのロイヤルブルーの瞳が大きく瞬く。そのときマルガレットではなくローズベリーだと確信した。自分はローズベリーと一緒になれるのかと胸が驚くほど高鳴った。


 ジルスチュアード家といえば当初上流貴族としては珍しく宝石商を営み、ジルスチュアード製のジュエリーと聞いて知らぬ者はいないほど国内はもちろん隣国でも有名な公爵家だ。


 ジスデリアは自分がまだ幼いころ、国王の父がジルスチュアード家の当主を城に呼び寄せたことをきっかけにヴィントルーヴ家とジルスチュアード家がプライベートでも親交を深めるようになったと思っていたが、それは大きな勘違いだったようだ。

 母親である王妃とジルスチュアード家の夫人は従姉妹(いとこ)同士で、それゆえに元々繋がりがあった。キースとジルスチュアード家のヨシュアがやけに親しいのも納得がいった。

 今回の結婚にも何かそういった事情が絡んでいるのだろうか。とにかく理由はなんだってかまわなかった。ローズベリーと結婚ができるのであれば。


 初恋は叶わないなんて迷信を聞いたことがあったけどそんなことなかったんだ。


「来週末のお前の誕生パーティーでお披露目も兼ねて婚約を発表する。それから、結婚式については約半年後の来春を予定しているのでそのつもりでいてほしい」


 幼いころより思いを寄せていたローズベリーとの婚約はこの上なく喜ばしいことだったが、一つ気になる点があった。なにやら嫌な感じがする。


「どうして、そんなに急ぐんですか?」


 その問いに答えたのは国王ではなく隣に座るキースだった。


「ジルスチュアード家のクラナビリティは癒しの波動を飛ばすことができる……どういう意味か分かるだろジス」


 キースの言いたいことはすぐにジスデリアにも伝わった。苦々しくに唇をゆがめたい気持ちをぐっとこらえてジスデリアは頷く。目が合った瞬間、キースの瞳が揺れたような気がした。


 キース、ぼくに同情するなよ。誰も悪くない。あんたはこれ以上、自分を責めたりしないでくれ。


「早速だが明日ジルスチュアード家の(みな)を王宮に呼び晩餐会を開く。急で悪いがよろしく頼むよ」


 ジスデリアはできる限り明るい声で返事をした。


「承知しました、お父さま」



 今度こそ自室に戻ってこれたジスデリアはさっさと着替えを済ませると侍女にも半ば強引に今夜はもう下がるように伝え、ようやく念願の湯舟に浸かった。


 結婚の経緯に不満はあれど、相手がローズベリーなら願ったりかなったりだ。実は幼いころに会って以来もう十年近く顔を合わせていないが、彼女はどんな風に成長したのだろうか。きっと可愛らしくも美しい令嬢へと成長したに違いない。お転婆なのは今も変わらないのだろうか。


 ――ジスデリアはローズベリー・ジルスチュアードに想いを馳せた。


 幼いころのジスデリアはいつも自室で読書をして過ごしていた。そんな中、突然現れた少女。自分と同じくらいの背丈をしていて恐らく歳も近い。

 ひょんなことから仲良くなった彼女は会えばいつも天真爛漫に笑い、表情豊かにいろいろな話をしてくれる子だった。

 人見知りだった当時のジスデリアは聞き手に回ることがほとんどだったが、少女がうれしそうな顔をすると自分まで嬉しくなるものだからつい彼女が現れると決まってうまい料理を与えては彼女の反応を見て楽しんだ。

 少女とは暗黙の了解でそれぞれ名乗ることはなかったが、それもまた秘密の関係のようでジスデリアをくすぐったい気分にさせた。


 しかし逢瀬を繰り返す中、別れは唐突にやってきた。親の仕事が一段落したことにより、少女は郊外にある本邸に戻ることになったという。幼いジスデリアは元々感情の起伏があまり激しい子供ではなかったが、このときばかりはひどく落ち込んだ。


 別れる寸前、僅かだったが扉の向こうで少女の父親らしき声が彼女の愛称を呼んだのが聞こえた。


 ――ベリーちゃん


 少女の父親は確かにそう呼び、彼女もまたそれに対して反応した。思わぬ形で彼女の名前を知ってしまったジスデリアであったが、再会したときは自己紹介から始めることを少女と約束した。

 そしてジスデリアは親指に嵌めていた、まだ当時の彼自身には少し大きめのサファイアの指輪を少女へ投げ渡した。少女からもらった同じくサファイアが埋め込まれたブローチのお礼として。


 後々頻繁に城にやってくるようになった宝石商の息子であるヨシュアに聞いたことだが、少女の本当の名前はベリーではなくローズベリーということ。またローズベリーには二つ下の妹がいるということ。


 ねえ、ローズベリー。今もあのときの指輪ちゃんと持ってる? ぼくはきみからもらったブローチ、今も大切に持ってるよ。


「……早くあの指輪返しに来てよね、ばーか」 


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