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03 最後のたまごサンド


 あれ以来マルガレットは王宮に訪れる際、真っ先に少年の元へと立ち寄るようになった。


 そしてどうやら少年の中でマルガレットは完全に食いしん坊として認知されてしまったらしく、彼女が部屋に訪れると決まってありとあらゆる食事が用意された。

 食事は手の込んだ牛ほほ肉の煮込みといったきちんとした料理の日もあれば季節の果物がふんだんに使われたケーキの乗ったアフタヌーンティーセットなど様々で、鮮やかな料理を目にするたびに彼女は瞳をキラキラとさせて美味しそうにそれらの食事を頬張った。

 

 いつだって積極的に話をするのはマルガレットで少年は時折相槌を打つ程度だったが、最近はこんな本を読んだとかこないだ食べた焼き菓子がとても美味しかったとか内容はありきたりなものだったけれど二人の逢瀬は年に数回だったから話題が尽きることはなく、マルガレットも一方的に話すことを気に留める様子はなかった。


 また、二人には暗黙の了解があった。それはお互いの名前を聞かないということ。なんとなくそれぞれがどういう立場の人間なのかは分かっていたけれど、単に名前を聞くタイミングを逃してしまっていたというのも大きかった。

 ただそんなちぐはぐな関係にお互い心地よさすら感じていた。


 しかし少年との逢瀬を繰り返し三年目の春を迎えようとしていたころ、スティングの宝石商の仕事がようやく一段落したことからアメリとローズベリー、そしてマルガレットの三人は王都のタウンハウスから郊外にある本邸に戻ることとなったのだ。

 一月後には郊外に移り住むことが決まったとスティングに告げられた当時八歳になったばかりのマルガレットはそれはもう誰が見てもわかるほどに落ち込んだ。

 しかしそれを見兼ねたスティングが気を利かせ、王への謁見を申し出てくれたおかげでマルガレットはもう一度だけ遠くに越す前に少年に会うチャンスを得たのである。


 マルガレットは王宮に到着するなり真っ直ぐと少年のいる部屋まで駆けた。

 少しでも早く彼の顔が見たい、ほんの少しでも長く彼とお喋りしたい、そんな逸る気持ちを抑えきれず、マルガレットはノックすることなく少年の自室の扉を開いた。少年は勉強中だったようで、膝の上には分厚い本を乗せ右手には万年筆が握られていた。


「レディーはそんなことしちゃいけないんじゃない?」

「だって、早くきみに会いたかったんだもの」


 少年は驚くわけでも照れるわけでもなくただ小さく溜め息を吐いた。そんな少年の涼しげな様子にマルガレットは不貞腐れたように唇を尖らせる。


「ほら、きみが好きだと思ってサンドイッチを用意してもらったんだよ。たまごサンド好きでしょ?」

「すきだけど」

「ならこっちにおいで」


 マルガレットが何を話してもクールに表情も変えない少年だが、なんだかんだ自分の好物を覚えていてくれたり一度話したことはきちんと忘れないでいてくれる、彼のそんなところがマルガレットは好きでたまらなかった。普段であれば向いのソファに腰掛けるのだが、今日は思い切って少年の隣に座ってみる。


「珍しいね」

 

 少年は珍しく照れ、それを隠すようにこほんと小さく咳払いをする。しかし当のマルガレットは気にした様子もなく少年の膝の上に乗せられている本に興味を示していた。

 

「ねえそれなんの本?」

「クラナビリティの入門書、きみだって読んだことくらいあるでしょう?」


 ――クラナビリティ


 この世界には古くより、家系ごとに専属の召喚獣と契約を結び使役する風習があった。召喚獣の能力は家系ごとに異なり、それをクラナビリティという。

 姿形は小さなトカゲやねずみなどの小動物から鹿やライオンなどの大きな動物まで様々で、契約の儀式のやり方や呪文も家系によって違うことから、それらについて記載されている文献や書物は門外不出の秘宝とも言われており、家族以外には見せないように徹底していた。


「入門書はまだだけど……でもお兄さまにクラナビリティを見せてもらったことはあるわ。なんだかほわほわする鳥さんだった」


 ほわほわという表現にはピンとこないが、少なくともマルガレットの家系はクラナビリティが鳥であることが分かった少年は優越感に少しだけ口元を緩める。


「あなたのおうちはどんな動物さん?」

「……龍」

「まあ! わたし龍なんて今まで見たことがないわ、いつか必ず見せてね」

「いつかね」


 マルガレットはそっとバスケットを撫でるとゆっくりバスケットの蓋を開く。


「はじめて会った日もたまごサンドイッチだったね……ねえ食べてもいい?」

「もちろん、きみのために用意したんだから」

「わーい、いただきます!」


 バスケットからサンドイッチを一つ掴んでマルガレットが小さくかじりつき、んんーおいしい! と感嘆の声を漏らすと釣られたように少年も一つサンドイッチを手に取り口の中に放り込んだ。


「本当だ、おいしいね」


 少年が笑った。彼が自分の前で笑顔を見せたのはいつぶりだろうかとマルガレットは深く記憶を巡らせたが、それこそ初めて会った日ぶりではないだろうか。


 最後にきみの笑顔を見ることができてよかった


「あのね、わたしもうここにはしばらく来られないんだって」


 頁をめくる手を止めた少年は視線は本に落としたまま、まるで独り言のように、どうしてと呟いた。


「お父さまのお仕事が落ち着いたから、もともと住んでたお邸に帰ることになったの」

「……そう」


 マルガレットが少年を見たとき、ほぼ同時に少年も顔を上げてマルガレットをただ一心に捉えていた。


 少年と目が合った途端、心が震えた。

 まだ幼いマルガレットは自身の恋心を自覚することはできなかったが、ただこの時間がいつまでも続けばいいのにと願った。

 ロイヤルブルーの瞳がいつまでもわたしのことを見ていてくれたらいいのにと。



 これから住むことになる本邸のことやその周辺の地域について話しているうち、あっという間に窓に西陽が差し込み始めていた。それはつまり、二人の別れが近付いていることも意味している。


「わたしたちもあと何年かしたら社交界に出るんだよね」

「そうだね、あまり騒がしいのは好きじゃないけど」

「いつか……またどこかで会えたらそのときはわたしとも踊ってくれる?」


 彼のことだから断るかも、そしたらさすがに少しへこんじゃうな


 マルガレットが少年の顔を覗き込むと、ほんのり顔が赤いようにも見えたが夕焼けがそう見せているだけかもしれない。

 

「それって本来、男のぼくが誘うものなんじゃないの」

 

 思ってもみなかった返事にマルガレットは虚を突かれたように口をぽっくりと開いた。

 ふとマルガレットは思い出したように肩からかけていたポシェットに手を突っ込むとそれを掴むなり、そっと少年の前に差し出した。


「ブローチ?」

「きみに似合うと思って作ってもらったんだ、あげる」


 少年の手のひらできらきらと輝くのは大粒のブルーサファイアが埋め込まれたブローチだった。水に濡れたようにぴかぴかと輝くそのサファイアは部屋の照明を反射して、見る角度によって深海の青とも空の青とも言えぬような不思議な光彩を放っていた。


「ぼくにくれるの?」

「きみにぴったりだと思ったの。瞳の色と同じサファイア。サファイアはね、心を落ち着かせたり成功に導く効果があるんだって。だからお守り!」

「でもこんなに立派なものいいのかな、かなり高価なものだと思うけど」

「だいじょうぶ」


 実は一週間ほど前、少年に最後に何か贈り物をしたい旨をローズベリーに話したマルガレットは、せっかくなら少年の瞳の色と同じサファイアの品物を贈るのがよいのではないかとアドバイスを受けていたのだ。

 ローズベリーに言われた通りアメリにも相談したところ、快く大粒のサファイアを譲ってくれた上、工房の彫刻師に加工の依頼までしてくれたのである。


「限りある中だったけど、きみと過ごす時間はそこそこ楽しかったよ」

「わたしもよ、あのね、わたしの名前……」


 自分の名前を告げようとした瞬間、廊下から当時のマルガレットの愛称を呼ぶスティングの声によって遮られてしまった。どうやらそろそろ本当に帰る時間のようだ。


「あっ、お父さまだわ、わたし帰らないと」


 マルガレットは慌ててソファから飛び降りて声のする扉の元へ向かう。すると背後からねえと彼の声がした。振り返ると、


「次会ったときはきちんと自己紹介から始めよう、それまで預かってて」


 少年がこちらに投げてきたものを落とさないように必死に神経を働かせて両手でキャッチした。



 王都に残ることとなったスティングと長男のヨシュアも商いの合間を縫っては郊外のカントリーハウスに帰ってきていたし、逆にマルガレットたちが時折王都のタウンハウスに顔を出すこともあったが、マルガレットが王宮に足を運ぶことはあれ以来まだ一度もなかった。


 結局、あの少年から直接名前を聞くタイミングはなかったけれど、しかし大人になるにつれて少年が誰なのか自然と分かっていた。


 ――キース・ヴィントルーヴ


 ブルーへミア国の第一王子殿下、そして次期国王となる人だ。


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