泣語涙味
余所者の目から、日本人は集団免疫が強そうに見える。しかし、それは、体内に入った異物に対してそれを排除しようとする免疫のことではない。ましてや、コロナウイルスへの集団免疫のことでもない。言わば、それは異人種アレルギー・余所者アトピーである。文字通り、不快な感情のことである。彼らは、体質的にあるいは遺伝子的に外人という者に対してアレルギーを持つ。余所の者を毛嫌い、排除しようとする。
日本人は集団主義を重んじ、同調圧力が強い。彼らが集団を作ると独特の求心力と閉鎖性を持ってしまう。その集団結束は固く、外部への暗黙の敵意がある。そこからはみだす者には容赦なく厳しい。集団から突出する者は落伍し、泣く語を覚える。そして、その流す涙の味はしょっぱく、気持ちは悲しいものである。それが日本の社会というものだった。
冬
違う。まるで、異なる。そう、一気に温度が上がった。湿度が変わった。いや、空気そのものの質が変化した。ボルドーはふと、呼吸が困難になった。航空機から降りた瞬間に。まだ一月だというのに、ミストサウナのような湿気が身体中にまとわりつき、鼻や口ばかりじゃなく毛穴まで塞ぐ。ボルドーは、外国に来たことをはじめて身をもって実感した。この瞬間から、ボルドーは第二人生が幕を開け、新しい地で新たな運命が彼を待ち受けていた。はじめて日本の土地を踏んだ時、ボルドーは言葉を持っていなかった。彼は入国審査を済ませ、荷物受取のターンテーブルの前まで行く。ぐるぐる回転する荷物受け取り場所で自分のスーツケースをピックアップし、到着入り口へと向かう。到着ロビーで人混みの合間を縫って、ボルドーは電車の駅を目指して早足で歩く。ボルドーの目に映る文字という文字は、今は、何の意味も持たない。それらは正しく複雑な古代の象形文字にしか見えない。漢字はアルファベットと全く違った。一つ一つの文字が、形と音と意味を有する固有の世界である。その集合が文章という宇宙を構成する。今のボルドーが日本語は平仮名すら満足に読めない。全てがこれからだ。それは想像しただけで気が遠くなるような長い、長い道のりだった。
来日する前、ボルドーは日本という国について殆ど何も知らないに等しかった。小さい頃から、何故か海外の空気に触れてみたいという想いが強く、海外留学に対して淡い憧れに似たものを抱いていた。しかし、現実にチャンスは簡単には巡ってこない。物事はすぐには成就しない。巡ってきたチャンスをものにしたという点では、ボルドーは幸運な人種の分類に入るであろう。ボルドーが日本への留学の試験の存在をはじめて知ったのは、高校生の最後の春である。軽い気持ちで受けてみたら、ボルドーは実際、半年後に日本という国の地に足を踏み入れていた。人の運命とは実に不思議なものだ。ボルドー自身もあっけにとられるほど、ものごとはスムーズかつスピードに進行した。今日がボルドーの来日三日目である。彼は目にする光景は何から何までが違う。ボルドーはまず日本語学校に通い、日本語を学習してから大学への入学を目指す。当然ながら、日本語学校は海外からの留学生しかおらず、様々な言葉が飛び交う。ボルドーが通う日本語学校は都心に位置し、ボルドーが住まわせてもらっている千葉県から電車で一時間以上の距離にある。ボルドーは毎日、二時間以上の往復の電車の中で日本の日常に触れ、日本人のリアルな一面を目の当たりにする。電車内に携帯使用NGのポスターがいたるところに貼ってあり、みんながちゃんと守っているところが日本人らしい、とボルドーは思う。また、電車の乗り降りの際に、乗る人がサイドにピシッと並んで、降りる人を待つ姿もボルドーは感心するところの一つである。あんなにきれいに整列するのもやはり日本人らしい。毎日、電車での旅そのものが社会勉強になる。ボルドーは日本語学校に通い始め、呼吸するのも惜しいくらい、慌ただしい毎日が過ぎていく。日々は身を粉にして猛勉強に励む。人生は長いが一瞬の連続である。ボルドーはどんどん失われていく「今」という瞬間を疎かにしたくなかった。人生は時間でできており、常に今が人生そのものである。そして動き回る今の中で人間は生きている。なるべく今・現在というものを有効に生きていきたいとボルドーは思う。来る日も来る日も日本語の勉強に精を出し、日常という列車に揺られる日々だ。忙しい日々に追われ、息を切らしながら過ごす毎日のなか、ある日、ボルドーは立ち止まって自分と周囲を見回した。信号待ちでため息交じりに頭上を見上げる。澄み渡る青空に、雲が一つぽつりと浮かんでいた。そこにボルドーは感じ取った。同じ種類のもの同士にしか感じられない、ひっそりとした寂しそうな温もりを…
ボルドーは朝からそわそわし、落ち着かない気持ちを持て余す。時計ばかり眺めてしまう。時間の経過はいつもと違う。ボルドーには、時間の歩みが遅く感じられた。時間の進み方は均一のものじゃなく、時と場合と状況によって、少しずつずれているようだ。この日は、ボルドーが先日受験した日本語能力試験と留学試験の結果発表の日だった。二つの試験の結果次第で、彼の進学先が決まるのだ。いつもの通学路を、いつもと違う気持ちで歩く。授業開始前、先生から試験結果の通知票が手渡された。そこに書かれている数字はボルドーが予想していた以上に高かった。この程度の数字だと、国立大学入学も夢では無いらしい。彼自身も納得し、満足できる結果だった。
春
ボルドーがめぐみちゃんと出会ったのは、緑だらけの大学のキャンパス内である。本当に奇跡としか思えないようないくつかの偶然が重なって、二人が出会った。それは偶然であり、必然だった。素晴らしい出会いがあって、素敵な愛が芽生えた。日差しがふんだんに差しこんだ、明るい日だった。空は晴れ、天気は快晴でそしてボルドーの気分も晴天だった。最初にめぐみちゃんと目が合い、視線がぶつかった瞬間、ボルドーは既に落ちていた。濃い恋に。抗う力もなく、あっさりと、深い穴の底に足を滑らせるかのように。それは文字通り、心が揺さぶられ、魂が点滅するような恋だった。目と目が交わった時、心音が跳ね上がった。心が落ち着きを失い、動悸が激しさを増す。鼓動の刻みが速くなり、胸が躍った。恋が一瞬で訪れた。出会った時から、ボルドーは頭の中がめぐみちゃんのことで膨らんだ。思考が彼女の色で染まり、全ての思量を支配された。
桜。ボルドーが好きな日本語の一つである。ボルドーは一人、大学のキャンパス内の並木道を歩く。時折風が吹き、桜の花びらがふわふわと舞い躍る。辺りは綺麗な桜の花が咲き誇り、落ちた花びらが地面を埋め尽くす。光景の美しさにボルドーが息をのみ、言葉を失った。視界が薄いピンク色に染まり、世界が温かさに包まれる。すれ違う人々の顔に優しい笑みが浮かぶ。ボルドーが縁もゆかりもない土地で暮らしはじめて、既に4ヶ月が経過した。毎日が新しく、変化に富んだ、刺激に溢れた日々の連続である。並木道を行きかう学生たちが頭上から降り注ぐ花びらに目を奪われ、足を止める。中には、指を差して、子供のようにはしゃぎ回る女の子もいれば、感無量の表情でじっと眺め続ける人もいた。強い陽射しが辺りを照らし、本格的な春の訪れを告げる。桜が満開し、空間が桜色に染まる。空気が桃色に満ち、人々の心に色とりどりの花が開花する。桜という言葉はボルドーのお気に入りの一つである。それは、彼が来日する前から知っていた唯一の日本語でもあった。言葉が持つ意味は勿論、響きも素敵だ。とても心地よく耳に響く。皮膚を通じて身体の中に入ってくるかのように、思わず心が反応してしまう。すっと心に響き、胸に落ちる感覚がボルドーは好きだ。とにかく親近感の持てる単語である。教室は学生たちの雑談でざわついていた。ボルドーは窓の外に視線を向けたまま、ぼんやりと桜の木々に見とれる。美しさには国境も国籍もない。その時である。先生がドアを開けて入室してき、教室は水を打ったように、静まり返った。あちらこちらで繰り広げられていた会話が途端に中断され、ボルドーもいつもの静かな孤独を灯した目を黒板に移し、講義に意識を集中させた。
春の晴れた日曜日。朝から目を射るほど、日光が強かった。ボルドーが家を出た途端、光の渦に包まれた。今日が、彼が待ちに待った、本格的な花見を楽しむ日である。電車を乗り継ぎ、JR上野駅に降りたのは正午過ぎである。駅のホームは大勢の花見客で溢れかえっており、駅前まで人波が押し寄せていた。この人の多さもボルドーが日本に来て驚いたことの一つである。特に、東京都心の主要駅はどこも人の流れが絶えず、いつもその人混みが凄まじい。人波を押し分けて歩くだけで、ひどくくたびれ、気が遠くなる。好天に恵まれた日曜日の上野公園は来園者で混雑していて、足の踏み場もなかった。だが、決して混乱状態ではない。日本人のマナーの良さ、その折り目正しさによって秩序が保たれていた。日本人はたった一人でも正しく列が作れるのではないか。公園内の木々は無数の枝が広がり、葉と葉が絡み合い、都会のど真ん中に森林を成す。木々の間を、冷気を孕んだ気持ちのいい春の風が通り過ぎる。周りを人工的空間に囲まれた森という生き物が風に踊らされ、ドラマチックな合唱を披露する。そこに小鳥たちのさえずりが混じり、美しいハーモニーが奏でられる。ボルドーの目は花を付けた桜の木々に釘付けになった。暫くの間、公園内を人波に押されて歩くと、不意に目の前に池が広がった。池は一部を覆いつくすほどの蓮に覆われ、一面の緑の葉と桃色の蓮の花が美しい。周りの桜の木々と溶け合い、そこは独特の風情が生まれる。すべてがうまい具合に調和し、正に息を吞むような絶景である。ボルドーの気持ちを代弁する天気と景色だった。公園は家族連れとお互いしか見えない若いカップルが大半だった。木の下でビニールシートを広げ、ビール缶を片手に会話に夢中になっている団体の客がまばらにしか見かけない。様々な人達を目の当たりにしながら、ボルドーの視線が、心が、ずっと、めぐみちゃんの姿を追う。めぐみちゃんが今日ここに来ることを知っていながら、もしかして来られなくなったのではないか、とハラハラする。ふと、背後から女の子のやわらかな声が聞こえてきた。人の心を和ませる優しい声だった。ボルドーが振り向くと、数人が手を振りながらこちらへ歩き寄ってくるのが見えた。ボルドーがめぐみちゃんの姿を見つけるのにさほど時間がかからなかった。二人は目と目が交わった時、ボルドーは心臓の小人が早鐘を打ち始め、顔に火がつき、全身に熱が広がった。鼓動が高鳴り、脈拍が速まる。大学のキャンパスでめぐみちゃんにはじめて出会った以来、顔を合わせるのは二回目で、まだ言葉は交わしていない。めぐみちゃんと同じ空間にいると思っただけで、ボルドーは胸がドキドキし、心がときめいた。視界が色彩に満ち、世界が輝きを増した。めぐみちゃんと一緒にいるこの時間がこのまま停止し、永続してくれたらどんなに素晴らしいだろうと、馬鹿みたいなことを考える。恋には人を馬鹿にする力と、馬鹿を利口に変えるパワーがあるようだ…
時折、風が吹き、ヒラヒラと舞い落ちる桜の花びらがボルドーにある記憶を甦らせた。いつか国にいた頃、雪が降った次の日に、山登りに出かけたのだった。辺り一面が新雪に覆われ、木の枝から舞い落ちる雪が日差しに反射しキラキラと光り輝いていた…
「日本は楽しいですか? もう慣れましたか?」
思い出にふけっていたボルドーはめぐみちゃんの声で我に返った。めぐみちゃんがいつの間にか、横に立っていて、話をかけてくれていた。ボルドーは意識が海を越え、心はここにあらずで、咄嗟に返事は返せなかった。めぐみちゃんと話しができている事実にまだ実感が沸かずに微かに戸惑いを覚えた。映画のシーンなどにおいて、登場人物が思いを寄せる相手と上手く喋れない場面があったりする。そういうシーンを目にした時に、ボルドーは少し大袈裟だと鼻で笑い、虚構だと馬鹿にしていた。しかし、彼は今、気が付いた。虚構にこそリアリズムの本質があることに。めぐみちゃんは千葉県生まれ・千葉県育ちだった。ボルドーも住まわせてもらっている千葉県は首都東京と隣接する立地条件に恵まれ、都会と自然が調和した、非常に住みやすい街だ。めぐみちゃんが千葉県出身だと知って、ボルドーは不思議に親近感が沸いてきた。妙なことに、見知らぬ外国の街で同胞の人と出くわしたようなご縁のようなものも感じた。そういったプラスの感情が生まれ、二人は話が弾んだ。会話が盛り上がり、二人が周囲から浮いて見えた。そして、ボルドーとめぐみちゃんの周りの空気が桃色に包まれるのだった。
夏
奇しくも、千葉県国際交流会でめぐみちゃんに再会した時、ボルドーは運命を感じた。鼓動が強い音を立て、鼓膜を破りそうなくらいに激しく鳴った。ここでめぐみちゃんと一緒になるとは思いもよらなかったのだ。二人は出会うべくして出会った人達だと確信した。思いを寄せる相手に思いもよらない場所で邂逅したことにボルドーが偶然でないものを感じた。千葉県国際交流会とは、読んで字のごとく、留学生と市民の交流を支援する会である。留学生が地域の住民と学校の生徒たちと直接触れ合うことで、留学生が日本の社会で馴染む上で大きな手助けになる。一方、留学生が母国の文化等の紹介を行うことによって、お互いの文化や歴史について理解を深める良い機会にもなる。そして、留学生と市民との交流がよりスムーズかつ円滑に進行するように日本人学生が加わり、サポート役を担う。その一人がメグミちゃんだったのだ。国際交流会の第一回目の打ち合わせが終了し、ボルドーとめぐみちゃんが一緒に並んで帰り道を歩く。六月に入り、ここ最近曇天の日が多く、鬱陶しい気分になりがちな日々が続いていた。が、今日は打って変わって、久々に晴天に恵まれた。辺りの景色が夕日に映え、空も立ち並ぶ家々も、それらを囲む緑の木々もすべてが燃えるような赤に染められている。桜の季節も終わり、歩道の両側に立つ木々が緑色に姿を変えている。世の中すべてが動き回り、季節ごとにグラデーションの如く移り変わる風景の中、ボルドーとめぐみちゃんの二人の周りの空気だけが相変わらず桃色のままだった。二人が駅前のスターバックスに入り、窓際のテーブルに席を陣取った。どちらからともなく、照れ臭く、視線を逸らし、窓外に移す。なんとなく空気が痒く、落ち着かない気持ちは両者が一緒だった。ウェイトレスがメニューを手に、注文を取りにやって来た。ボルドーはめぐみちゃんに薦められて、抹茶ホワイトチョコを頼み、彼女自身はいちごミルクをオーダーした。
「日本での生活はどうですか? もう慣れましたか?」
話しを切り出したのはめぐみちゃんの方だった。聞かれた質問に答えていくうちに、ボルドーは緊張が少し和らいできて、気持ちに余裕が生じた。ボルドーもめぐみちゃんに質問を返したりして、意外と話が展開した。話題があちらこちらに飛んでいて、会話が一層に盛り上がった。会話の最中に、めぐみちゃんが不意に旅行の話を持ち掛けてきた。
「今度の4連休に、仲間たちと一緒に富士山へキャンプをしに行く予定なのだけど。良かったら、ボルドー君も一緒に行かない?」
目をキラキラと光らせて、めぐみちゃんが聴いてきた。些か唐突な提案だったけど、ボルドーからすると願ったり叶ったりだった。唐突過ぎて、ボルドーは一瞬言葉に詰まった。勿論、迷ったからではない。少し怖かっただけだ。物事がうまく行き過ぎて…
ボルドーがめぐみちゃんと一緒に旅に行きたい気持ちは山々だった。誰かが言っていた。幸運には前髪しかない、目の前を通りすぎる幸運の後ろ髪を掴もうとしても、もう遅いのだ、と。ボルドーはこのチャンスを絶対逃したくなかった。彼は二つ返事でオーケーした。思い返してみれば、天が最初からボルドーに味方をしてくれたのだ。めぐみちゃんと出会い、運命の糸が絡み合ったことも。同じ千葉県国際交流会のメンバーに任命されたことも。そして、今、めぐみちゃんに旅行に誘われたことも。一瞬一瞬が、幸運の連続だった。玩具を与えられた子供のように嬉しそうにしているボルドーを前に、めぐみちゃんが優しい笑顔をこぼした。彼は本当にもう、今の瞬間だけで十年分は前向きに頑張って生きていけるくらいに嬉しかった。今、この瞬間、ボルドーは彼自身が幸福で幸運な者だと気づき、感謝の気持ちで胸が膨らんだ。幸せっていうものがあるのだ、と彼は思った。今までの苦しい孤独な日々の分を埋め合わせるくらい…
幸福というものは、最中にはなかなか気が付くことのできないものだと言うけれど。身近な幸せを見つけ、それをかみしめ、素直に感謝する者もいる。ボルドーは素直に、今の幸せに感謝せずにはいられなかった。彼が心の中で手を合わせて、天に向かってありがとうって呟き、静かかつ密かに祈った。
旅行の話が出てから二週間が経つ。ボルドーの中でも、どこかへお出かけをし、気分転換をしたいという気持ちが芽生えていた頃だった。新しい土地での新たな生活。日々の勉強に追われ、命を吐き尽くすようなため息を漏らすこともしばしばある。自分の溜息で目が覚める夜も一度や二度ではなかった。誰にでも、傍から見てどんなに幸せそうに見える人間にさえ、一つや二つは人生の中に暗い影が差しているものだ。大半の人間がそうであるように、ボルドーも凄く悩んで苦しむ人生の局面を通過しながら必死で日々生きている。海外留学までして一見華々しい生活を送っているように見えるものの、その実は色々な苦労が付きまとう。余所者として異国の地で暮らすとは、想像するほど容易なことじゃなかった。時には白い目で見られることもあれば、時には人種が違うというだけで理不尽な仕打ちを受けることもある。ボルドーが外国人だと気づいた途端、微妙に態度を変えてくる相手も少なからずいた。まずは顔がかげる。次に笑みが消え、口元がぎゅっと引き締まり、目元に力がこもる。間を異質な空気が流れ始め、不意に色彩が消え、周囲から音が萎んでなくなる。露骨ではないにせよ、態度の違いは歴然としていた。冷遇に扱われ、冷ややかな視線を全身に浴びる。冷たい対応をされると、酷くこたえる。突き放され、見捨てられたような気分になる。それがボルドーをいっそう孤独にさせる。孤独感はひしひしとつのる。孤独が時には固く握りしめられた拳となってボルドーを殴打する。ボルドーは何度も、リングに膝をつきかけて、その度に辛うじて立ち直った。来日してから、毎日が現実という修行の連続だった。国にいた時は想像だにしなかったハードな日々がボルドーを待ち受けていた。色々な出来事が次々とボルドーの身に降り注ぎ、多少なりとも、彼をタフな人間にしあげた。文字通り、打たれて強くなったところも多々ある。外で余所者として暮らすっていうのは本当に大変なことだった。どこまでもボルドーを、棘だらけの現実が追いかけていた。そういった厳しい現実の中、彼の人生に伴奏してくれたのは小説だった。小説の豊かな世界だけが唯一ボルドーの救いだった。
ストレンジャー(外人)として住まわせてもらうことに、ストレンジネスはいつもボルドーの影のようについてまわる。時にはそれがやがてストレスへと変形し、つきまとう。お陰で、彼は最近、色眼鏡で見られることに慣れつつある。また、残念なことに、ボルドー自身も歪んだレンズを通して日本という国を見るようになってしまった。どうやら偏見は偏見を呼ぶらしい。この国で外人立ち入り禁止と、心に宣言しているような人が少なからず存在する。それが表情ににじみ出る。その受け入れられなさが疎外感を生む。ボルドーは、少しずつではあるが、余所者特有の扱われ方に慣れてきた。彼が異邦人で、周囲の人々の佇まいが奇妙でよそよそしくなるのはごく自然だと思うようになってきた。しわを寄せて、時間に追われて、ため息ばかりついて、人生に叩かれ、日々戦っていると、ちょっとでいいから息抜きをしたい、空を見上げてぼんやりしたいと思うようになってきた。若者らしくない、と言われればそこまでだ。青春のない人生だってある。調味料のない料理だって存在するように。ボルドーはせわしなく過ぎていく日々を慌ただしく生きている丁度その時、うまい具合に、メグミちゃんに旅行に誘われたのだ。富士山への旅行を翌日に控え、ボルドーは今日一日を大学で過ごした。4連休の前日、大学は行きかう学生たちでごった返していて、図書館は座る席もない程埋まっている。大学の図書館を隅から隅まで空いている席を探しながら歩き回った挙句、机の上に山積みになっていた本を片付けている人を見つけた。前の人が席を立ち移動するや否や、ボルドーが間髪入れずに入れ替わった。授業終了後、図書館に居残り、日本語との格闘をするのはボルドーの日課である。明日、メグミちゃんたちとの会話で実践できるように、今日は座学で知識をいっぱい頭に積み込んでおく。
富士山への旅行当日午前8時前、メグミちゃんたちがボルドーを迎えに表の通りに車を停めて待っていた。快晴で、白い車体が日差しを反射して眩しかった。車は中型車で、メグミちゃんを含めて5人乗車している。仲間は全員が日本人だった。車の外でボルドーを待ちながら待機する彼らの中に、煙草をくわえ、口から煙を吐き出す人もいた。ボルドーが玄関から出てくるのを見たメグミちゃんが子供のように手を大きく振った。顔に満面の笑顔が浮かぶ。一緒にいた仲間たちもつられて頭を下げ、挨拶をした。ボルドーもぎこちなくお辞儀をし、挨拶を交わした。ボルドーを乗せた車は高速道路を走って数分経った頃、誰からともなく自己紹介をし始めた。ボルドーはまだまだ、日本語は決して変幻自在に操れる訳ではない。しかし、頭の中で駆け巡る日本語から適切な言葉を選び、なんとか話を組み立てる。心なしか、ボルドーが発する言葉に皆が一生懸命に耳を傾けてくれているように見えた。たどたどしいけど、外国語で自己紹介をするボルドーへの気遣いだった。彼らの優しさに胸が打たれ、ボルドーは心から笑顔がこぼれる。七月の晴れた朝で、日差しが強く、車の窓の外を流れる景色が眩しく光りに包まれている。夏の東京の街の風景が目の前に広がる。青空に白い入道雲が立ちこめ、無数に姿形が変わる。ボルドーの視界に映る世界は明るく光り輝き、遠くに空高くそびえ立つ青色の電波塔が目に飛び込んできた。東京の空に、孤高に優雅に天に支えられて立つスカイツリーだった。周りのビルなどを突き抜けてそびえ立つその勇姿にボルドーの目が止まった。日本人が自らの手で創り上げた、日本人の心の木にボルドーまで心が奪われたのだった。スカイツリーはどこから見上げても、美しく、慎ましく、そしてエレガントであった。ボルドーはこれから先も、より深く美しい日本に巡り合いたいと思った。ボルドーらは富士山に到着したのは昼14時くらいだった。空の真上に太陽がキラキラと輝き、大地を照らし出す暑い昼下がり。山々は青い空を背景に緑色に色づいていた。天気が良くて、周囲の景色には緑が多くて心が和む。雄々しい山々の姿が一瞬ボルドーに故郷を思い出させた。トンネルの手前に差し掛かると、ふいに富士山が目に飛び込んできた。初めて富士山の雄姿を目にした時、ボルドーは感動せずにはいられなかった。富士山の壮大さや美しさに圧倒され、ボルドーは思わず拝みたくなった。心の中で手を合わせ、目でお辞儀をした。絵に描いたように、富士山は周囲の山々を突き抜け、雲の上で、天と大地を繋ぐ柱のごとく優雅にそびえ立っていた。その孤高で孤独な、そして言葉で表現できない美しい姿を目の当たりにし、ボルドーはなぜか声も出さず心の中で涙をこぼすのだった…
ボルドーらは高速道路を降り、まず昼食を食べるお店を探した。古風な民家が経営している食堂を見つけ、店の外で車を駐車した。仲間たちが車から次々と降りてきて、嬉しそうな表情で歓声を上げている。まるで子供のようにはしゃぎまわる。小鳥のようにじゃれ合う仲間たちの横で、ボルドーも綺麗で、透き通った透明な空気を胸いっぱいに吸い込み、思わず口元が緩んだ。店の中で、ボルドーらを迎え入れたのは上品で物腰柔らかな女将さんだった。年齢のわりに、鼻筋が驚くほど通っていて、品のいい顔と佇まいを持っている。日本の伝統的な着物に身を纏い、顔に豊かな表情を張り付け、とても丁寧な対応をする。皆がそれぞれ好きなものを注文し、料理が運ばれてくるまで、思い思いに話に花を咲かす。生い立ちから、大学での専攻分野、そして最近の趣味まで話が広く浅く展開した。めぐみちゃんがボルドーの正面に向き合って座っている。彼女が大学で心理学を勉強し、将来的に臨床心理士を目指しているのだった。めぐみちゃんはボルドーらが通う大学の隣の街で生まれ、育った。4人家族だが、彼女は特におばちゃん子だったらしい。一人のお姉さんと二人姉妹である。幼い頃に、両親が離婚し、母子家庭4人で生活をしてきた。子供時代は、本ばかりを読む子で、あまり外遊びなどしない子だった。とは言え、めぐみちゃんは人とコミュニケーションをとるのは決して苦手ではなく、むしろ妙に人の心にすっと入り込み、人を安心させ、相手を話しやすくする雰囲気を持っている。また、両親が離婚した子に見られがちな歪んだ性格の持ち主ではない。どこか人生を達観しているようなところもありながら、純粋な心を持ち続ける清浄無垢な子だった。ボルドーの前に天ぷらが運ばれてきて、一旦話が中断した。ボルドーは魚介類が大好物ではないが、揚げ物が好きで、日本食で天ぷらがお気に入りの一つである。運ばれてきた天ぷらがカラッとサクサクしていて、新鮮な素材の味が良かった。一緒に出されたレモン汁をかけて食べると、さっぱり度が増し、更に美味しく感じられた。天ぷらをレモン汁と合わせた食べ方は、すっと口の中で溶けるような、今までボルドーが食べたこともない触感だった。その味わいがボルドーの舌を満たし、腹を満たし、やがてほんのりと心を満たす、天のものに思えた。絵のように綺麗で、背後に人間が見える、人のぬくもりを感じる素晴らしい料理だった。美味しそうに天ぷらを食べるボルドーを、皆が珍しい動物でも見るような目で眺める。食事を済ませて店を出たボルドーらは富士山五合目へ向かって車を飛ばした。長時間を同じ車の中で過ごした人同士で、雰囲気が一層和み、空気がより柔らかなものになっていた。初夏の陽光が降り注ぎ、緑が目に眩しく、景色が後方に流れ去っていくのが心地良かった。車は右手に林が続き、左手にもまた鬱蒼と茂った木々が広がるジグザグな道を走る。坂道を上り、周りが深い森林になってきた時から、一向に蝉しぐれが降ってきた。大音量でセミの声が一斉に聞こえてくる。絶え間なく降り注ぐ合唱のような自然の音にボルドーが畏敬の念を抱いた。聖なる領域に足を踏み入れたのだと改めて実感する。ジグザグな山道を30分くらい走ったあと、富士山五合目に到着。駐車場は大型バスで埋まり、意外とマイカーで来ている登山者が少なかった。しかも、ここを訪れる登山者は半分が外国人で、日本人は団体の高齢者がほとんどで、若者があまり見かけない。ボルドーが仲間の一人であるユウタ君にそんな感想を漏らすと、彼もそんな光景にびっくりしたような様子だった。外国人の登山者たちが一列をなして、富士山の頂上を目指して高度を上げていく。荷物をいっぱいに積んだバックパックを背に続々と小山を超えて消えていく登山者を目にして、ボルドーもいつかこの美しい・日本人の心の山に登頂してみたいという想いが強く芽生えてきた。混雑したお土産店の中を、日本人の高齢者の客の合間を縫って、ボルドーらは買い物をする。ボルドーとめぐみちゃんは逸れたくない子供のように視線を送り合い、時々互いの存在を確認し合う。出会ってから短い期間ではあるが、二人は既に距離が縮まり、語り合わなくても、分かり合える存在になっていた。旅というものは、人間関係の距離をグッと埋めるものらしい。互いに思いを寄せている恋人同士だと、尚更その傾向が強くなる。一足先お土産店から外に出てきたボルドーはめぐみちゃんはどちらも照れくさそうに、微笑み合う。旅に出てから、二人きりになれたのは今が初めてだ。どちらからともなく、腕を伸ばし、ぎこちなく互いの手を握り返した。ボルドーは心臓が暴れだし、幸せで眩暈がした。あまりの幸福感に現実感が沸かず、ボルドーは自分の腕を指で抓ってみるのだった。
宿泊先に到着した時、既に日が沈み、あたりが完全に暗くなっていた。日本は日が短い。夕方18時になるかならないかの頃に、もう日が沈み、夜の闇が世界を支配する。ボルドーの母国では21時近くても昼間みたいな明るさで、22時でも、まだ明るい。もう初夏だというのに、日本は夕方早い時間帯からすっかり暗くなるのでボルドーは最初の頃、驚くばかりだった。まだ夕方17時前だというのに、あたりが既に暗くなっている。帰宅する頃、とっぷりと暮れ、3月の夜空に星々が小さく瞬いていた。国で日が傾き、空一面が橙色に染まっている時、ここ、日本はとっくに真っ暗な闇にのまれ、辺りが夜のとばりに包まれるのだ。闇の中、ボルドーは記憶を何度も手繰り寄せたことがある。四方オレンジ色に包まれ、団地の真ん中のバスケットコートに集まる若者たち。夕焼けの歩道を肩寄せ合って歩く老人たち。赤ちゃんをベビーカーに乗せ、ゆっくりと風に頬を撫でられ、散歩をする若夫婦。どこもかしこも微笑ましい光景だった。夕方遅くまで照らしてくれるお日様と共に街の人々は思い思いの、のんびりした、幸福な一時を過ごす。すべてが国にいた頃の、美しい記憶たちだった…
ボルドーらがテントを張り、外でバーベキューをし始める。蚊に刺される心配もあったが、体中の露出される皮膚という皮膚にふんだんに蚊よけスプレーをかけて、外で肉を焼いたり、焚火を起こしたりして夏の夜を思いっきり楽しむ。辺りが暗くなってはいたが、満月に近い月が空に浮かんでおり、富士山の姿は月光に照らされてくっきりと見えている。富士山の顔全体にくっきりとした孤独が居座っていた。その内部には、人間に窺い知れないような孤独が巣くっているのであろう。ボルドーらが富士山の雄大な絶景を眺めながら乾杯をし、至福の瞬間・夢のような一夜を過ごす。真の幸福はもちろん、客観では測れない。だが、恋に落ちた相手と焚火を囲みながら、愛する美しい山を眺めている今を、この瞬間を、幸せと呼ばずに何を幸せというのであろう。微笑ましい光景に酔い、ボルドーは胸がキュッと痛くなるほどの幸福感に包まれていた。
翌朝、一番先に目を覚まし、起きたのはメグミちゃんだった。ガスコンロで水を沸かし、全員分のコーヒーを作る。他の仲間たちも次々に起きてきて、順番に歯磨きと手洗いをする。全員揃って、キャンプ用椅子に深く腰を下ろし、昨夜買っておいたパンやお菓子を食べながら、メグミちゃんが作ってくれたコーヒーを口に入れる。朝の透き通った、清潔な空気と共に味わうコーヒーの味は特段に美味しかった。メグミちゃんが作ってくれたものだと思うと、それはボルドーには更に美味しく感じられた。人間とは、なんと感情の生き物で、気分で生きているものだ、とボルドー我ながら思った。昨夜と違って、雲一つない澄み渡る青空を背にくっきりとそびえる富士山の雄々しい姿が目に前に広がっていた。その壮大で、表現が足りない美しい、そして優しさを秘めた富士山にボルドーは圧倒され、言葉を失い、息をのむ。天国まで透けて見える程冴えた、どこまでも突き抜けて深く果てしない大空と、この国の人間と打って変わって全てを肯定するような寛大な富士山を見上げたボルドーは一瞬この世じゃないところにタイムスリップしてしまったような錯覚を覚えた。もし天国という場所が存在するなら、きっとこういうところなのだろうと、夢のようなことを考える。天気はどこまでも晴れ、ボルドーの心はいつまでも晴天だった。まるで隅々までアイロンをかけたかのようにすっきりと晴れ渡った青空にはお日様とお月様がくっきりと浮かび、熱い目線で互いを見つめ合い、違いを認め合い、地上に向けて聖母のような慈愛に満ちた微笑をこぼしていた。丁度そのタイミングで、ボルドーは、横に立って富士山を見上げていたメグミちゃんと目が合い、互いに見つめ合うのだった…
日が高くなるにつれ、だんだん雲が出てき、忽ち富士山が雲をまとった。雲が薄く、時々山頂が顔を見せてくれる。帰り際、車のリアウィンドウの向こうに顔を覗かせてそびえたつ富士山に向かってボルドーは心の中でお辞儀をし、さよなら、と胸の中で呟いた。ボルドーらを乗せた車は、高速道路を突っ走る。トイレ休憩で立ち寄ったサービスエリアでコーヒーを飲んだり、ハンバーグを食べたり、のんびりとゆっくり過ごした。東京に近づくにつれて、旅の疲れも出たのか、一人、二人と居眠りをし始めた。ボルドーも気が付いたらウトウトしていた。目が覚めた時、車が首都高速を走っているところだった。帰りにもスカイツリーが目に入った。この日は、東京の空はどんよりと厚い雲に覆われていた。今日のスカイツリーは、頭に雲をかぶり、顔を隠している。それはまるで美しい少女が照れるような優雅な姿だった。曇りの中、スカイツリーはこの瞬間も、日本中に輝きとエネルギーを届けつつ、そして日本人の心に灯をともし続けているのだった。
富士山への旅をきっかけに、メグミちゃんとボルドーの距離がグッと近くかつ親しくなった。二人の関係は事実上、付き合う間柄に発展していた。いつしか打ち解けた恋人のようになっていた。出会ってから短い期間ではあるが、二人は既に距離が縮まり、語り合わなくても、分かり合える存在になっていた。大学の授業後、二人が図書館で待ち合わせをして、一緒に勉強をする。勉強といっても、メグミちゃんに日本語を教えてもらうことがほとんどで、ボルドーにとっては恋人に甘える最高の幸せな時間である。メグミちゃんと付き合う前、ボルドーは胸が千切れるほど寂しく、一人きりの果てしない時間を持て余していたのだ。人間の暖かさ、温もりに飢えていた。身がすくむような寂しさを埋めるため、彼は我を忘れ、読書に熱中し、本の世界に没頭していた。そこだけが唯一ボルドーを救う心の避難所で、そして荒々しい現実の世界に対抗するシェルターであった。ボルドーは完全に孤独を無二の親友にし、孤独な海を一人で漂流していた。目の前に広がる海のあまりの深さとそのあまりの暗さと、そこを支配するあまりの悲しみにただただため息をつきながら…ボルドーは日本に来てはじめて、寂しさとは、澱のように胸の底に溜まっているものだと気づかされた。沈み込むような寂しさに襲われたのは一度や二度ではない。彼はどこまでも孤独で、寝ても覚めても咳をしても一人だった。寂しさに刺し貫かれ孤独を無二の親友にして凌いだ日々だった。孤独は心を苛み、何より人を蝕むものだった。特に、体調などが優れない時は、肉体の痛みはもちろん、その寂しさは骨に染み、身にこたえるものだ。寂しさは積もって悲しみになり、悲しみは積もって絶望になる。ボルドーの心はどこまでも乾いているというのに、何故か、目から涙がポロポロ溢れ、頬を伝い、顎先から地面に落ちた。孤独のおかげで、ボルドーは虚無の底、絶望の底、悲しみの底、人間の本質などを深く、深く知った。そして彼はじっと密かに虚無の底を覗き込むようにしながら生きていた。ボルドーは日本ではただ一人であるというだけではなかった。文字通り、彼はこの国で二重の意味で孤独であった。ボルドーはここでは異邦人であり、周囲の人たちとは大きく異なる。二重の意味で一人であるということは、独特の孤立感を生む。しかし、人は大概の物事に慣れるものだ。少なくともボルドーは孤独を飼いならすことを学び、少しずつそれに慣れることができた。人生とはそういうものだ。少なくともボルドーの人生はそうであった。大学の授業が終わってへとへとになって、寮に戻った後も、ボルドーは深夜まで日本語の教科書と格闘する毎日だった。言葉を覚えるためにスーパーの販売員と話しをし、寂しさを紛らわすために寮の警備員の老人と仲良くなった。老人はいつもボルドーに微笑みを投げかけてくれていた。あの孤独な時期、彼に笑顔を向けてくれる老人と天気の話をするのが、一日の中で一番心の和む瞬間でもあった。発音が悪くて言葉が通じなくとも、老人だけはボルドーのことを馬鹿にせず、話に耳を傾け微笑んでくれたのだった。老人はある意味、孤独なボルドーを穴藏から救出してくれた恩人でもあった。気がついたら、ボルドーはいつの間にか、家で引きこもりがちになり、心を開かない、本音を言わない、感情をあらわにしない、内向きで閉鎖的な人間になりつつあった。人間は社会的な生き物であり、人間形成においては個人を取り囲む世間と、世間から成る社会が多大な影響を与える。人格形成はすべて、個人の責任にばかり帰結するものではない。社会の責任である場合もある。そして、世間はどんな種類の人間でも作ってしまうものである。日本では世間というものが異様な機能を持っている。傍から見る限り、居心地の良い世間があって、外へ出ようとするもの、外から入ってくるものは好かれない。日本独特の排他的で閉鎖的な共同体である。お互いに依存し干渉し合う閉鎖的・均一的な共同体は、そこに入ってくるものと、そこから出ていこうとするものを本能的に嫌う。多くの人々は自分に理解できないものを本能的に憎むように。みんなと同じように画一的に物事を考え、均一的に行動することが求められる。また、この国では、率直にものを言うと嫌われるし、日本人にしか分からない言い回しが数多く存在する。婉曲的な言い回しを用いて、全てを語らなくても理解できるという言外の意味や、集団的共通理解、そういったトップダウンの日本的なコミュニケーションがボルドーは苦手だった。また、自分と違ったり、目立ったことをやったり個性的な部分のある人は本能的に嫌われる。そういった意味では、日本は皆がリラックスして生活しにくい空間とも言える。世界的に治安が良いと言われる日本だが、一方で、人が人として自由で自分らしく生きにくく、心理的安全性が低い社会とも言える。日本は空気を読み、察する文化の国である。そして日本人は集団主義を重んじ、同調圧力が強い。その代表である自粛警察が隠されていた排外主義を白日の下にさらした。皆と足並みを揃えないといけない空間。出る杭は打たれ、もぐら叩きのように、頭が出る人をたたくような環境。日本は四方を海に囲まれた島国で、歴史的に、外国人とリアルに接したことがない。隣国の領土を奪い、占領したことを除いて。だからこの国には外国人に対して排他的な人が多いかも知れない。外国人のことを外人と呼び、文字通り、害をもたらす害人だと思っている連中もいたりするのだ。
ボルドーとめぐみちゃんが図書館で勉強をしたり、時には互いに甘えたりして閉館まで居残り、一番最後に図書館を出る。閉館時間が迫るにつれ、人の姿もほとんど消えてなくなる。二人が並んで図書館を出る際に、既に顔見知りになった職員たちも顔に微笑を浮かべ、綺麗な会釈で見送ってくれる。優雅であくまで自然に会釈を返すメグミちゃんに続き、不器用な仕草でボルドーも頭を下げる。図書館を後にした二人は肩を並べ、手をつないで歩く。終電まで大学のすぐ横にある公園で時間を過ごすのが殆どだ。公園のベンチで隣り合わせに腰を掛ける。終電なんか永遠に来なければいいのに。今、この瞬間に、時間がぴたっと停止し、別れの時間が永遠に訪れなければどんなに素晴らしいだろうと、ボルドーは目を覚ましたまま夢を見るのだった。二人は何時間にもわたって何を喋っても話題が尽きることがなかった。いくらでも話すことがあった。話題なんて何でもどうでもよかった。一人がしゃべって、もう一人がうっとりするような相槌で頷くだけで、空気が柔らかな暖かいものに変わるのだった。二人がいる空間だけが切り取られ、天国化するのだった。二人きりでいる時、ボルドーはメグミちゃんの膝の上に頭を乗せ、横になるのは定位置となっている。この国で彼が一番、心底から安心できる場所。そして手放しで心を許しあい、素顔の自分をさらけ出しあい、自然体でいられる相手。手と手を取り合って、メグミちゃんの手を自分の胸の上に置く。自律神経が集中する胸の中心をメグミちゃんの指先で優しくさする。永遠にも思える一瞬の連続。過ぎゆく一秒一秒がかけがえのない愛おしいものに思えてくる。このまま、一秒でも長く一緒にいたい。もっと、ずっと、一生一緒にいたい。ボルドーは生まれてこの方、このように切実に思ったことはなかった。また、こういう風に心底から願った相手と巡り会ったこともなかった。しかし、二人が幸せを噛みしめている間も、時計の短針は、刻々と、次の数字へ確実に移動してしまう。そろそろ終電の時間が近づき、二人がのろのろと起き上がり、のそのそと駅へ向かって歩を進める。駅の改札口前で繋いできた手を放し、別れを惜しむ。改札をくぐって、振り向いためぐみちゃんが手を振り、やがてホームへと姿が消える。めぐみちゃんがいなくなった方向に視線を止めたまま、ボルドーはいつまでも動こうとしない。ボルドーは深夜、終電が去って眠りについた駅の改札前で現実に背を向けたまま一人ポツンと立ちつくす…
暑い。兎に角暑い。暑すぎる。文字通り、むせ返るような蒸し暑さだ。ただでさえ暑く感じられる日本だけど、最近はその暑さが日に日に増すばかりだ。上からは蒸され、下からは煮られるような蒸し暑さである。同じ暑さでも、日本のそれとボルドーの母国のそれとはまるで違う。虎と猫のように。日本の夏は暴力的な暑さになる。日差しから殴られているような感じだ。太陽の光が体のエネルギーをそぎ取っていくような感じで、内臓が沸騰するような感覚だ。八月の太陽は熱々と燃え、まるでうまくいった目玉焼きの黄身のようなまん丸の黄色が、大地を焼きつける。こんな尋常じゃない暑さの中、ボルドーは思わず、鉄板の上で焼かれる卵の身を想像してしまう。八月に入り、蒸し暑い日々が続き、ボルドーは音を上げる毎日を過ごしている。二日前に、ディスカウントストアで大量に買い出した飲物の在庫がもう切れ、冷蔵庫の中にお茶500mlボトル一本しか残っていない。ボルドーは活字に落としていた目を上げ、ページにしおりを挟んで、本を閉じる。財布を手に、近くのコンビニに飲物を買いに出た。じめじめした蒸し暑い夜だった。室内の冷房で冷やされた身体に、外の熱気がまとわりつき、たちまちそれは汗に変わった。夜の闇の中を数分歩くと、コンビニに着く。コンビニの入口を入った途端、室内を流れる優しいメロディーと共に幾分涼しすぎる風がボルドーの身を貫いてきた。国では一度も風邪を引いたことがないというのに、ここ数日はどうやらボルドーは風邪気味のようだ。外の暑さと室内でのエアコンの効きすぎがもたらす激しい寒暖の差で、体調を崩しやすい。真っ直ぐに飲料水コーナーへ直進し、買い物籠にお茶を二本入れた。レジの裏で店員さんが煙草の補充をし、もう一人同年代の男の子がその横で背もたれして立っている。ボルドーが立っている方のレジに向かって歩く。レジの上に買い物籠を置いて、暫く待つ。二人の店員さんはボルドーの存在に気付きもせずに、話に夢中になっている。痺れを切らしたボルドーは大きく咳払いをした。煙草の補充をしていた店員さんがはじめてボルドーの存在に気づき、「いらっしゃいませー」と甲高い声を張りあげて、レジに駆け寄ってきた。
「コンビニ人間は非常に素晴らしい作品ですよね」
と言ってみたら、商品をスキャンする店員さんにキョトンとした顔をされた。恐らく、店員さんがまだ読んでいないようだ。ボルドーはじれったい気持ちでお支払いを済ませ、飲み物を手に店をあとにした。
大学は夏休みに突入した。数は少ないが、留学生も含め、ボルドーの周囲の学生たちが一気にアルバイトをし始めた。ボルドーもお金を稼ぎたいのはさることながら、持て余した時間をもっと有効に使い、日常会話を通じて生きた実際的な日本語を身につけたいという思いから、英会話教室で講師のアルバイトをやり始めた。彼が担当するクラスの生徒は、下は中学生から上は定年間際の年配の人まで、年齢がまちまちだった。それだけ幅広い年齢層の人々を相手にすることによって、ボルドー自身も学ぶことが実に多かった。色々なバックグラウンドを持つ日本人とリアルに、直に接することで、彼は思いも寄らない沢山の発見をした。決して報道などでは知ることができない日本人のリアルな面に遭遇した。どこの国の小学校の教科書に載っているような簡単な英語で挨拶を交わし、いつしか身振り手振りを交えながら話を広げ、最後はほとんど日本語しか出なくなる。途中でどちらが講師でどちらが習いにきた生徒かが分からなくなる。持ちつ持たれつの関係だ。お陰で、ボルドーの方が日本語を教えてもらうことが多く、彼の日本語は目に見えて上達した。ボルドーが来日してからそろそろ8ヶ月が過ぎようとしている。あくまで日常的な会話に限ってだけど、彼はそんなに困らずにこなせるようになった。日に日に日本語の語彙力も増強し、外国人独特の発音で会話を組み立てられるようになった。また、心の底から愛する恋人に思いのたけ・胸の内を、残らず全部打ち明けようと必死に単語と単語を繋ぐ。その気持ちが言葉の端々に滲み、相手にひしひしと伝わる。ボルドーは難しい言い回しや、凝った表現はできない。口にする文章は細切れで、長いセンテンスはしゃべれない。しかし、聞きたい、聞いてあげたいと思う気持ちの相手がいれば、コミュニケーションとは成立するものなのだ。平仮名すら満足に読めずに来日したボルドーにしては、原始の猿が二本脚で歩いたのと同じくらいのものすごく大きな進歩である。
ボルドーはある日、アルバイト先の講師二人と一緒にランチを食べに行った。二人の講師は互いを褒め合い、そこにいないチーフ講師の悪口を言いあうのだった。ところが、また別の日、チーフ講師も加わり、4人で飲み会をやることになった。今度は3人揃って違う人の悪口を言っている。やがて先に一人の講師がいなくなると、今度はもう一人の講師とチーフ講師で互いを認め合い、いなくなった一人の悪口を言い始めた。さっきまでそこにいた講師のことを、手のひらを返したように悪く言っている。まるで日替わりメニューみたいにとりあえずそこにいない誰かの悪口を言うのだ。ある意味感心するほど、一種の挨拶の文句みたいに他人の悪口を言い合う。本人たちは悪気がないかもしれないけど、傍から見て決して褒めたものではない。ところが、彼らは面と向かったら互い褒め言葉のオンパレードになる。タチが悪い。幸か不幸か、本人たちにそれは別に悪いことだという自覚はないようで、日常茶飯事である。しかし、ボルドーはまだ、日本そして日本人について知らないことが多い。時には知らなすぎることもある。彼はまだほんの常識の範囲の知識しか持ち合わせていない。日本人は家で何を着て、何を食べ、どういうしきたりを守って日々暮らしているのか。子育てはどんな風にするのか。家族の構成はどうなっているのか。どんなことを言われれば怒り、または喜ぶのか。何が幸せで何が不幸であると考えるのか。ボルドーは殆ど知識を持っていない。だから、ボルドーは、袖振り合う日本人一人一人に非常に興味を持ち、懇切丁寧に接する。一つ一つの出会いにご縁を感じ、ご縁に感謝をする。ボルドーが出会う相手には新鮮に感じるところが必ずあるし、毎日新たな驚きを体験する。
ボルドーも四季のある国の出身である。しかし、彼に言わせると、日本の夏は12月に終わる。そして1月から新しい夏が始まるような感じだ。物凄い暑さが夜まで続く8月。汗が染みこんでいそうなくらい寝苦しい8月の深夜12時過ぎ。ボルドーは眠れずに、身体をじっとさせたままベッドに横たわり、見るともなく天井を眺め、あちらこちら考えを巡らせる。あまり真剣にではなく、ぼんやりと彼の意識は、母国と日本の地を行き来する。そこでボルドーは記憶と出会う。ボルドーの国では、人と人との距離が適度に近く、皆が人間らしく心を開いて、本音で生きている。それが今は過去となって、ボルドーに美しく見えた。大半の人は嘘をついたり、お世辞を言ったりしないし、あまりに取り繕い、本音をいつわって仮面をかぶったりもしない。ボルドーから見て、少なからずの日本人は他人の顔色を伺い、世間をあまりにも気にし過ぎ、自身の感情を殺し、そして自分を捨てる。自分を隠し、隠した分だけ周囲に笑顔を振りまく。周りに必要以上に怯え、過剰に世間体を気にする。自他共噓をつき、心にブレーキをかけ過ぎ、そして他人に都合良い仮面を被って生きる。そんな人々は時折、ボルドーの目に痛々しく映る。あたかも他人の目に完璧な人間で映りたいと思い、過剰な演技をやってしまっているように感じる時もある。しかし、それはこの日本の社会で生き延びていくうえで必要な処世術で、世の中をうまく渡っていく術でもある。ボルドーはいつの間にか、眠りに落ち、夢の中で幸せな子供時代に戻っていた。最近、彼は頻繫に幼少期の夢を見るようになった。夢の中で、彼はいつも無邪気に笑い、周りがみな屈託のない笑顔でいる。ボルドーは国で幸せ過ぎるくらいの子供時代を過ごした。不思議なことに、人生とはどこかで帳尻が合うものだ。彼が母国で物凄く幸運に恵まれ、幸福な子供時代を過ごしたものだから、日本ではきっとその反動が起きているのであろう。ボルドーはめぐみちゃんと巡り合うまで、生身の人間の温もりや人間味、心の暖かさといったものに飢えていた。言葉以前に話が通じない人々もいた。確かに同じ人類なのに、文字通り、違う人種だった。ボルドーは孤独の深淵に心を痛めながら、誰か人間の匂いに触れたく、探し続けていた。丁度、乾ききった砂漠が雨を求めるように…
秋
九月に入り、大学は後期を迎えた。キャンパス内は学生で溢れ、活気に満ちている。季節が変わり、風景が違う色に纏われ、街全体が新しい空気に包まれる。並木道に並ぶ木々が美しく色を変え、甘い匂いを醸し出す。晴れた秋の気持ちいい午前中、ボルドーは次の教室へと移動する。すれ違う学生たちは表情が明るく、気持ちが華やいでいるように見える。月曜日の二時限目は日本語の授業だ。履修生は無論留学生のみで、定員が10数人しかいない。今日は教室に顔を見たことのない学生が一人増えていた。その子の顔つきは日本人っぽかったため、教室を間違えたのかな、とボルドーは一瞬思った。しかし、授業開始前に、新入生が自己紹介をした。彼はキムという名前で、韓国からの交換留学生だった。日本語はボルドーより上手だった。少し癖のある日本語だったが、優しく、たどたどしさが逆に心に響いた。キムは優しい雰囲気の持ち主で、先生に質問を繰り返したりして積極的な姿勢で授業を受ける。快活さを表情で表現する感じの良い子という印象を与える。日本語の授業が終わり、荷物を片付け、鞄にしまっていたボルドーは人の気配を感じ、目を上げた。すぐ目の前に、新入生のキムが立っており、声をかけてきた。
「僕は韓国人で、キムと言います。お互い仲良くしよう!」
ボルドーもつられるように笑みを浮かべた。お互いが頷いて、手を差し出した。ボルドーとキムはすぐに溶け合い、互いに心を許し合える仲になれるまで時間はかからなかった。二人が同じ留学生で履修する科目もおおむねかぶった。似たような境遇も手伝い、距離が一気に縮んだ。ボルドーとキムはなんとなく顔つきも似ており、互いに親近感を抱く。違いを認め合い、互いを理解し合い、すぐに仲良しになった。二人は郷に入っては郷に従いながら、仲良く付き合い、互いに助け合って暮らすのだった。
ある日、ボルドーとキムが一緒に韓国レストランへ行った。キムの行きつけのレストランのようで、彼は店の人たちと親しげに話しをし、互いによく笑い合う。料理はボルドーが今まで食べた中で最も美味しい食事の一つだった。味がさっぱりして甘く、塩辛く、酸っぱく、辛く刺激的な料理だった。レストランには独特の雰囲気があり、それがボルドーを興奮させた。よくわからないけど、それは韓国らしさかも、とボルドーは思った。雑踏とあいまった静けさ。それは何か妙なものだった。大きなエネルギーを持つ感覚だったが、かといってとげとげしい神経質さはない。少なくとも店の中にいる人たちは、本質的に暖かい姉妹のような思いやりを見せ合い、それはボルドーにとって心地良かった。暖かさと寛大さに満ちた空間だった。ボルドーにとっては久しぶりの経験だった。ボルドーはキムによって紹介され、レストランの全員に歓迎され、すぐにその場の空気に馴染んだ。厨房の中から店を経営している夫婦二人が一緒に出てきて、ボルドーに挨拶をした。キムと韓国語で何かを喋り合い、奥さんの方が目を大きくし、何度も頷き、ボルドーに向かって満面の笑みを浮かべた。夫婦ともが綺麗にお辞儀をし、順番に手を差し出し、ボルドーと握手を交わした。ボルドーに会えて嬉しいっていうのは、夫婦二人の全身からひしひしと伝わってくる。夫婦とも日本語がとても堪能だった。奥さんの方が顔に笑みを浮かべたまま、告げた。
「私たちは同じモンゴロイドだ。黄褐色の肌を持って、黒褐色の頭髪を持って、乳児の時代にお尻に蒙古斑を刻まれてこの世に生れ落ちてきたはずだよ。」
それから折に触れて、キムと連れ立って韓国レストランで食事をするのはボルドーの習慣になった。レストランを訪ねる度に、オーナー夫婦をはじめ、従業員全員が親しみと心のこもった接客をし、ボルドーは最大限のもてなしを受ける。彼は一瞬、母国で親戚の家を訪問したような錯覚を覚える。そして同時に、ボルドーはキムやキムの同胞たちに顔を合わせる度に、同じ韓国人のパクという留学生のことを思い出さずにはいられない。パクもキムと同様、短期交換留学生で一か月足らずで帰国したのだった。短い期間だったが、パクも日本にいる間、ボルドーと仲良く付き合い、共に行動をしていた。4月のある日、ボルドーとパクは一緒にパクの新しいアパート探しに街の不動産屋を訪ね回った。パクはそれまで住んでいたシェアハウスを出、一人暮らしを始める予定だった。ボルドーとパクはある不動産屋のドアを開けて入ったら、スーツを着た偉そうな男が笑顔でつかつかと、ボルドーとパクのそばによってきて、早口で何かを聞いてきた。「はい、あのう」と言葉にも声にもならないいくつかの単語を漏らし、恐縮するボルドーとパクを前に、その男性の表情が露骨に曇り、汚いものでも見るように、ボルドーとパクを上から下までなめるように見た。そして男はせせら笑いを浮かべ、「ユー・ドーント・スピーク・ジャパニーズ?」と片言な英語で聞いてきた。せせら笑いとはこういう笑いを言うのだとボルドーはその時はじめて知った。ボルドーらはいつもお世話になっている「はい、はい」という言葉と共に頭を縦に振り続ける。男はすたすたと店の奥に歩き去った。彼らみたいなものから一刻も早く、少しでも遠く離れたいという風情で…
徹頭徹尾の日本人。相手が自分より目上か目下か、優れているのか劣っているのかをまず考え、その基準によって態度をコロコロと変える。その数分後、若い女性が出てきて6割の英語と2割の日本語そしてまた2割の身振り手振りで対応してくれた。人間は、相手に最低限のリスペクトを持たなければ駄目なのだ、とボルドーは思った。同時に、人に幸せを与えられる人間になれなくても、攻めて不幸の種を蒔く人には絶対なりたくない、と心に誓った。蹴り飛ばしたくなるほど感じの悪い店員がボルドーの心に荒波を起こした日、それが鎮まるまで、彼は部屋で一人ゆっくりと読書にはまった。結局、パクは新しいアパートに引っ越すこともなく、四月の下旬、突然に国へ帰ってしまったのだ。それはいささか唐突な出来事だった。パクは最後にボルドーに会った時、意気消沈した面持ちで、さり気なく愚痴をこぼしたことがある。なぜ世の中は自分と違う人を否定するのか、どうしてそんなに冷たくするのか、理解できない、と。また、パクは「外国人」という単語は大丈夫だが「外人」という単語には嫌悪を感じる、と言ったこともある。恐らくパクは日本で良くない思いをし、差別に似たような経験を味わったのであろう…
夏休み期間中は、ボルドーがアルバイトに明け暮れていた。めぐみちゃんもめぐみちゃんでアルバイトをやったり、家族と一緒に旅行に行ったりして二人が中々会えない日々が続いた。大学の後期が始まり、二人が会えなかった時間を埋めるかのように、毎日デートを重ねる。どちらか先に授業が終わった方が図書館で本を読んだり、大学の授業の資料を調べたりして時間をつぶす。図書館で待ち合わせてそのまま一緒に勉強する日もあれば、外で手を繋いで散歩をする時もあった。ある週末、二人はお台場へデートをしに行った。夏休みに、ボルドーは日本の運転免許証を手に入れていたのだ。彼が既に国で取得した運転免許証をそのまま日本のそれに切り替え、日本の運転免許証を発行してもらった。その手続き自体は簡単なものだった。10問の設問からなる筆記試験と実際に運転をする技能試験の二つだけだった。だが、技能試験は実に意地悪なものだった。ボルドーは思う。日本では運転免許センターほど外国人の国籍によって態度が変わるところは無い、と。アジア出身の人の場合、何かと理由をつけて落とす。わざと不合格にしているようにとれる場面もある。一方、相手は欧米人ときたら、その態度は一変する。明らかなミスにも目を瞑り、運転が目に見えてトロくても全員合格である。アジア人と欧米人との扱いにはっきりと差がつけられる。同じアジア人には威張り散らし、欧米人には媚びへつらう。そんな試験官らの極端な習性を目の当たりにして、ボルドーはある結論にたどり着いた。民族性の形成は先天的な要件よりむしろ後天的な環境要因によってはぐくまれるものだ、と。一個の個人と同じく、人間が言うのではなく、その人の立場が言わせる。どうやら大国の狭間・擁護で生存しなければならない政治的な環境が一国民の習性、一個の民族性に多大なる影響を与えたようだ…助手席にめぐみちゃんを乗せて、車を走らせるボルドーは幸せで胸が膨らむ。横で笑顔を絶やさず、優しく話をかけてくるめぐみちゃんも幸福そうな顔をしている。暑さが幾分和いだ10月の第一週末で、一般道は家族連れの車で混んでいた。長く、長く続いた、蒸し暑い季節がやっと幕を閉じ、過ごしやすい秋がやってきたのだ。今日は天気も丁度良くて、風も涼しく、絶好のお出かけ日和だった。渋滞する車の中で、ボルドーとめぐみちゃんは手に手を取り合って、ゆっくりと前に進む。ボルドーからすると渋滞がかえってありがたかった。しかし、普段なら、長く感じられる渋滞の時間は、今日は特段に速く流れていく。ボルドーはじわじわと前に進む車の流れが完全に停止したらと、馬鹿げた空想までする。めぐみちゃんのいない空間で、過ぎていく時間の歩みがいつも遅い。しかし、今日は、めぐみちゃんと一緒にいる時間がやたら速く感じられるのだ。いや、速すぎる、ような気がする。あまり大した距離は進んでいないのに、時間だけが過ぎていくような妙な感覚だった。ボルドーはめぐみちゃんと一緒に過ごす一秒でも惜しい。目の前でこぼれ落ちていく砂時計の砂のように。やがてボルドーとめぐみちゃんを乗せた車はお台場に到着。車を駐車場に停めて、手を繋いで歩きだす。周りは殆どが若いカップルで溢れかえり、ここはまるで若者のために造られた人口島のようだ。ボルドーとめぐみちゃんは手を握り合って、人の流れに沿ってゆっくりと歩いていく。あたかもこの空間だけ切り取られた、カップル用の島のようで、どこを見回しても、お互いしか見えない恋人同士ばっかりである。空気が薄ピンク色に染まり、時間がこの世のものとは思えないほど甘く濃厚である。暫く歩くうちに、目の前で巨大なガンダムが姿を現した。近づくにつれて、ガンダムは大きさが増す。ボルドーとめぐみちゃんがガンダムの足元まで近寄って、頭上を見上げた。何度見上げても、巨大ガンダムに圧倒され、等身大だからこそ醸し出される存在感に感動を覚える。ボルドーが自撮りで二人の記念写真を撮った。素敵な思い出をカメラというハサミで切り取る。やがてそれは誰の干渉も受けることなく、一生持ち続ける素晴らしい財産になる。一瞬を永遠にする。永遠にも思える一瞬を味わう。ここにいる誰もが永遠の愛を手に入れたかのように、別れなどとは無縁な顔で幸せを噛みしめ、恋に甘え、そしてその甘さに酔っていた。ボルドーとめぐみちゃんも例外ではなく、まさに幸福の絶頂にいた。この瞬間、ボルドーはある言葉を呟かずにはいられなかった。ボルドーはめぐみちゃんの肩を抱き寄せ、耳元でゆっくりと、そして静かに、囁くのだった。
「あ・い・し・て・る」
それはボルドーが今まで、一度も紡いだことのない、誰にも捧げたことのない言葉だった。一言に込められた、言うに尽くさぬ感情を味わう。水が満ちて溢れ出るように、心だって満ちれば、言葉にして吐き出すしかないのだ。ボルドーがはじめてその事実に気が付いた。めぐみちゃんが綺麗な、表情の読みやすい目をキョロキョロさせ、唐突な言葉にやや戸惑った様子で頬を赤らめ、はにかんだように俯いた。
ダイバーシティ東京の中は、並んで歩けない程の込み合いで、人波を縫って進むだけで疲れてくる。ガンダムカフェのテラス席を陣取り、ボルドーとめぐみちゃんが同じソフトクリームチョコレートバナナをオーダーした。目の前に運ばれてきた可愛くて上品なチョコレートドリンクを同時に一口ずつ味わう。チョコレートが口に入った瞬間にとろけ、口いっぱいに広がった。何とも言えない上品な味とほのかに甘い香りが更にロマンティックな雰囲気を醸し出す。今日は、宇宙がボルドーとめぐみちゃんに微笑み、全世界が味方をしてくれるのだった。ボルドーとめぐみちゃんは暫くの間、フードテーマパークやショッピング施設内をあちらこちら歩き回ったあと、ハンバーガーとパンケーキをテイクアウトし、外で食べることにした。海浜公園も若いカップルで賑わっており、公園内のベンチというベンチはラブラブな雰囲気の男女で埋め尽くされている。ゆっくりと静かに寄せては返す波打ち際を、二人が並んで歩く。水面に反射する光がキラキラと輝き、視界が眩しい。世界全体が銀色に包み込まれ、ボルドーとめぐみちゃんは二人して幸せで眩暈がした。数分歩いたのち、視界の隅にベンチを立ち上がり、移動する男女二人が現れた。ボルドーとめぐみちゃんはカップルが移動するやいなや、すかさずベンチに腰を下ろした。目の前に広がる海を眺めながら、軽食を楽しむ。綺麗な海を見ながら、恋人と食べるハンバーガーの味が特段で絶妙な組み合わせを生み出すのだった。料理の本質とは何を食べるかではなく、誰と食べるかである。その事実にボルドーは改めて気づかされた。元々、彼は料理の味の機微に気をかけないタイプだ。食べ物に美味い、まずいがない。不満なく何でも食べる。ただ、恋人と食べるものは、それはどんなものであっても、必ず何かが違って、絶対に美味しいのだ。ボルドーとめぐみちゃんはが数分間、凪いでいる海と海の向こうに広がる東京の昼の顔に視線を停めたまま放心する。レインボーブリッジや東京タワーが目の中に飛び込んでき、その景色があまりにも迫力があった。優雅な景色だった。心癒される、まるで夢の世界だった。数分間の白昼夢から目が覚めたボルドーとめぐみちゃんが次のスポットへ移動をする。ロマンティックデートの定番といわれるパレットタウン観覧車だ。大勢の若いカップルがつくった長蛇の列の最後尾に並び、人気者の観覧車に乗る順番を待つ。時間が流れ、二人が乗る順番がめぐってきた。そして空中散歩の時間が開始した。ボルドーとめぐみちゃんを乗せた箱はゆっくりと高度を上げ、地上から離れていく。道路を歩く人たちがどんどん小さく見え、視界がさらに広がっていく。上空での二人きりの空間を楽しむ。ロマンティックムードが一層に増し、文字通り、二人は天に昇る気持ちになった。東京タワーとスカイツリー、東京ゲートブリッジとレインボーブリッジ、東京名所が一望できる抜群の眺望だった。まさに東京のシンボルでもあり、日本全国のカップルの憧れでデートの大定番とも言われるパレットタウン大観覧車ならではの絶景だった。そして、遥か遠くに富士山も望めた。手前にこんなにも山々があるのに、富士山が美しい姿を覗かせる。やはり断トツで高く孤高で孤独な富士山が雄々しかった。富士山にお目にかかる度に、ボルドーは身震いするほど感慨深くなる。今日、空中から見える富士山は山頂から左右対称に綺麗に稜線が伸びていた。それは人間の言葉などでは到底表現できない美しさだった…ボルドーとめぐみちゃんが夢の旅を終え、地上に降り戻ったあとも、現実感が中々取り戻せずにふわふわと雲の上を歩いているような気分が続いた。どれくらいの時間が経過したのだろう。ボルドーは、時間の感覚など、既にどこか遥か彼方に吹き飛んでしまっていた。いつもめぐみちゃんと同じ空間にいる時間は加速度がつくものだ。彼女と共に過ごす時間の経過は間違いなく加速する。光陰矢の如し。いつしか日が落ちかけ、夕焼けで西の空が橙色に染まり、視界がオレンジ色に包まれていた。それを合図に、世界が入れ替わりの時間を迎える。昼と夜が交代し、昼の光が夜の闇に席を譲る。お日様がお月様にバトンを渡し、世界がまた一つ違う顔を覗かせる。東京も従って夜の顔を見せた。辺りが暗くなり、大観覧車を飾るイルミネーションが綺麗に輝き出した。たちまち、街全体が夜の明かりをまとう。ボルドーとめぐみちゃんの眼前に光に包まれた幻想的な光景が広がった。レインボーブリッジ、自由の女神、そしてオレンジ色に燃える東京タワーを中心とした東京都心の夜景がやけに美しかった。ボルドーとめぐみちゃんにとって今日が丸一日、幸せで眩暈がする瞬間の連続だった。二人は感謝せずにはいられなかった。この世の全ての物事に対して。それは生かされていることへの根源的な感謝だった。車のハンドルを握るボルドーの横で、心を許し、安心しきった顔で安らかに眠るめぐみちゃんがいる。ボルドーとめぐみちゃんは日帰りのデートを終え、千の葉の県、万の花の国へ帰る。帰る道すがら、ボルドーは車の運転をしながら、ぼんやり考え事をしていた。人の一生のうちに起こる嬉しいことと辛いことの分量は、多くの場合、どちらもだいたい同じくらいのものかも知れない。人生はいいことも悪いこともだいたい公平にやってくる。日差しの強さの分だけ、影は濃いものになる。山あり谷あり人生。闇あり光あり世。悲しみが深ければ深いほど、やがて巡ってくる喜びも大きいものになるようだ。まるで、時計の振り子のように。今までのボルドーの不幸がすべて報われているような気がする。めぐみちゃんが不在の、身がすくむような、怯えてしまうような寂しく孤独な日々に釣り合うだけの幸運が訪れて、差し引き帳尻が合う。ボルドーはこの瞬間、感謝の気持ちで胸が一杯に膨らみ、街行く誰彼構わず抱きしめて、「ありがとう」って大きな声で叫びたいような衝動に駆られた。ボルドーは元々、無神論者である。しかし、今、彼は目に見えない、大きな力を持つ存在がいることを意識せずにはいられなかった。それは神様という名がついていなくてもどうでもよかった。また、ボルドーは、その人間が存在しているというだけで誰かに幸福感を与える種類の人がいる事を知った。めぐみちゃんが正しく、その部類の人間だった。やがていつか、めぐみちゃんも神様のような存在になるだろう。もし、この世に本当に神様が実在するならば、神様がきっと色々と忙しいであろう。人は皆それぞれ不満や不幸の理由と共に生きている。何しろ、生きている人間の数だけ生き方や命がある。命がある限り、幸不幸が同量で交互に訪れる。神様が余りに多忙過ぎるから、人間一人一人にちゃんとお母様という神様の分身を、世知辛いこの世に一緒に送ったのであろう…
お台場へのデートから二週間が経つ。ボルドーはここのところ、毎日のようにめぐみちゃんに会ったり、一緒に図書館で勉強したりする日々が続いている。また、月に一度、千葉県国際交流会の活動に参加し、その報告を行う。大体、千葉市内の中高生を対象に母国の文化などを紹介したり日本語で会話を楽しんだりして、自分も高校生に戻ったような気分で一日を明るく面白く過ごす。留学生交流委員のサポート役を担うめぐみちゃんも共に行動をし、話に加わったりする。訪問する学校の中高生が基本、とても明るく、留学生との交流に積極的で、そして礼儀正しい。中には、特に外国人に対して興味津々で、話が盛り上がる子もいる。ボルドーは月に一度の国際交流会の活動が楽しく、待ち遠しい。特に最近は、同じ学校を再訪することもあり、顔見知りの子もいる。お互い親近感が沸き、居心地がよい。中高生は大人と違って、バックグラウンドの違いで人を分けずに心を開いて対話ができるところがボルドーには新鮮に感じられた。彼らは常に好奇心と新しいことを受け入れる柔軟さを持ち、外国人に対して排他的ではなく、オープンマインドである。エゴが凝り固まっていなく、心が広い。ここでは国籍の違い、国境の線、言葉の壁、心の垣根を取っ払って、文字通り、心の触れ合いが、国際交流が実現する。ボルドーは自身が携わらせてもらっている活動の意義の大きさに気づき、誇らしく感じる。しかしながら、ボルドーは日本人の中高生たちとの交流で、気になるところが一つあった。彼らが学校でどういう教育を受けているのかがわからないが、諸外国に対してあまりに知識はなく、というか厳密に言えば、関心がないということだが、おまけに事実と異なるイメージを持っている場合もある。その真実と異なるイメージとは、日本のマスゴミが勝手に植え付けた印象の一人歩きに過ぎない。酷い場合は、ボルドーは違和感、いや、それを通り越して、不快感に近い感情が芽生えた。中高生たちから受ける質問に呆れるどころか、腰を抜かしてしまうこともしばしばだった。ボルドー自身も国にいた時、日本という国について殆ど知識は持っていなかった。ボルドーは日本のことを何も知らないまま来日したのも同然である。流石に、日本人は未だに侍の格好をして日本刀を腰にぶら下げ、互いを殺し合って暮らしているというイメージは持てない。それこそ、未開のジャングルで原始生活をしている人でも、それくらいの想像力は持っているであろう。ところが、日本人の高校生からは次々と、ぶっ飛んだ、野蛮で想像力の欠如した質問が飛び込んでくる。日本のマスゴミが面白おかしく報道し、植え付けたイメージが変な先入観を生む。先入観ほどコミュニケーションの邪魔になるものはない。それに外国、世界、そして国際社会にあまりに関心を持たないまま大人になると、閉鎖的な人間が育ってしまう。それはある側面において、いつまで経っても、大人になれずに、大きな子どものままでいることを意味する。ボルドーは海外で暮らしてみて、人はお互いのメンタリティーを知らないということを骨身にしみて分かった。IT技術など科学の発達で、世界は以前にも増してより狭く、そしてより近くなっているにも拘らず、人は余りにもお互いのことに無関心で無知でいることにボルドーは気づいた。通信と交通の手段が発達した結果、世界のいたるところの人々がグローバリゼーションを手にした。諸制度がそれに合わせて整備され、国境は超えやすくなった。ボルドーの留学もグローバリゼーションがもたらした産物に過ぎない。特にSNSが発達したこの時代、ボルドー自身を含め、留学生自らが無責任過ぎると、ボルドーは改めて実感した。学校の訪問時間が終了し、ボルドーは生徒一人一人に握手し、別れを告げ合う。別れ際に、生徒たちから手書きの絵や心のこもったメッセージや学校グッズなどの記念品をもらった。生徒全員が顔に満面の笑みを浮かべ、中には目に涙を滲ませて別れを惜しむ心優しい子もいる。ボルドーも生徒たちの純真で優しい気持ちに胸が打たれ、心が温まる。交流会の活動終了後、ボルドーとめぐみちゃんは大学の駅前にあるパン屋さんに寄り、メロンパンを買うのが密かな楽しみの一つである。めぐみちゃんはメロンパンが大好物で、このパン屋さんはデートスポットの一つになった。パン屋さんのおばあさんとも顔馴染みになった。ボルドーとめぐみちゃんがお店に寄ってくる度に、いつも好意に満ちた、溢れる優しい笑みで迎えてくれる。そして、二人におばあさんの愛を手渡してくれるのだ。この日も、おばあさんは明るい表情で出来立てほやほやの美味しいパンを丁寧に手渡してくれた。一瞬濃厚なバターの香りが漂い、空気が優しいものに変わる。幸福の味、幸せな瞬間だった。ボルドーとめぐみちゃんは冬の日に熱い食べ物を頂いた如く、それだけで幸福になった。
再び冬
夜が来て、必ず朝になり、昼を過ぎると再び夜がやってくる。時だけが着々と進み、時間というものは誰も待ってくれない。気が付いたら、秋も通り過ぎ、冬がやってきた。時が移り、季節がめぐり、時代が進んでいく。ボルドーも日本に来てから、そろそろ一年が経とうしている。ボルドーにとって、日本で過ごす初めての師走だ。同時に、それは恋人と一緒に過ごす初めてのクリスマスを意味する。そう考えるだけで、ボルドーは心がときめき、胸がキュッと痛くなるほどの幸福感に包まれる。今年のクリスマスはボルドーにとって特別で、恐らく一生忘れられない思い出になるであろう。大学は来週から冬休みである。期末試験を終えた学生が浮き浮きした表情で大学のキャンパスを行き来する。ボルドーも今日が試験の最終日だった。明日から冬休みを控え、すがすがしい気分で図書館に向かって闊歩する。図書館で思いっきり読書に浸り、本の世界に没頭していたボルドーは不意に身体全身が震えを感じ、一瞬に現実に引き戻された。周りを見回すと、目をきょろきょろさせ、動きを止めた学生が視界に入った。しかし、周りはボルドーと違って、慌てたり怯えたりした様子はない。あくまで地震に慣れているようだ。揺れが続き、ボルドーは金縛りにあったように、身動きができない。心臓が速い鼓動を刻み、早鐘を打つ。文字通り、足がすくまれるような不安が襲い、一瞬にして同量の緊張と恐怖が押し寄せてきた。ボルドーは日本に来てから、小さい地震はいくつか経験したが、今のが、断トツ揺れが強くかつ長かった。
「地震です!頭を守って下さい!エレベーターは使えません!また、揺れるかもしれません!安全なところへ逃げて下さい!」
すかさず館内放送が流れた。周囲は、一人、二人、次々と凍り付いた表情で素早く机の下に隠れた。ボルドーも周りを真似て手で頭を覆って机の下に潜った。突然携帯がアラームを鳴らし、一層恐怖感が増す。地震が暫く続いた後、揺れがおさまり、徐々に弱くなってきた。何かがゆっくりと引いていくような感じだ。周りの学生たちがあくまでも冷静で落ち着いた行動をとっていた。ボルドーはわけがわからなくなり、ぼんやりとしてしまい、辛うじて周りの行動を真似するのが精一杯だった。完全にパニック寸前の状態だった。荷物を片付けて、カバンの中にしまい、さっさと図書館を後にする人もいれば、何事もなかったかのように、引き続き机に向かって勉強をし続ける人も見かける。ボルドーは真っ先にめぐみちゃんに安否確認のラインを送った。ボルドーは暫くの間、読書を続けてみたが、中々落ち着きが取り戻せなかった。本の内容などまるで頭に入って来ず、目だけで活字を追う。携帯にラインの着信音が鳴った。画面に表示される名前はめぐみちゃんではなく、キムだった。
「地震大丈夫だった?」
韓国人の友人キムから、メールがきた。ボルドーは携帯を手に取り、返事を送ろうとしたその時、手が痙攣し、指先が震えていることに気づいた。ボルドーの返事とほぼ同時に、次のメールが届いた。キムも大学に居残っていたらしく、二人が大学の正門の前で合流した。久々に会ったキムはいくらか瘦せたように見える。以前のふっくらした頬はごっそりと削げている。長身の体にジャストフィットした、明るい色のジャケットを着こなし、下はスラット伸びた足に細い穴あきジーパンをはいていた。相変わらず洗練されたファッションだった。ボルドーはこれほどの地震を経験するのは初めてで、とても怖かった。表情がその怖さを如実に物語っている。一方、キムは比較的地震に慣れているらしく、ボルドー程動揺した様子には見えない。キムとボルドーは今まで何回も一緒に行った韓国レストランへと足を向けた。店の中に入ると、いつものメンツに迎えられた。厨房から奥さんのミライさんが顔を出し、キムとボルドーに挨拶をした。レストランの経営者兼オーナーのジュンさんが今日不在で、ミライさんがどことなく心細い顔をしている。
「ボルドー君、地震大丈夫だった?」とミライさん。
「いや、結構怖かったです」と少し落ち着きを取り戻したボルドー。
「そうだよね、あなたの国は内陸国で、そもそも地震なんかないかもね」
ミライさんが不安そうな表情のまま喋り続ける。そこにテーブルに水を運んできたミンソちゃんという女の子が、「日本は地震も怖いけど、地震後に発生するデマも怖いよね」とこぼした。ミンソちゃんという子はこの店でアルバイトをやっている、韓国からの留学生である。大学3年生で、日本滞在がボルドーとキムより長い。隣の席で携帯の画面を眺めながら、食事をしていた韓国人の女の子が韓国語で何かを喋り、手招きでミライさんを呼んだ。どうやらこの店の常連さんのようだ。近寄っていったミライさんは携帯の画面に目を移した途端、顔が曇り、みるみる表情がなくなった。テーブルの向かいに座っていたキムもポケットから携帯を取り出し、日本語版ツイッターを開いた。
「外人が井戸に毒を入れた! 地震が起きると外人による犯罪が起きる! 外人による人工地震だ!」
といった書き込みが画面いっぱいに散見されている。中には日本の前首相が起こした人口地震などという荒唐無稽な投稿もあった。ミライさんが呆れ顔で、「日本では大きな地震が起こる度に、こういったデマや差別発言が飛び交うものよね」と低く呟く。最近は特に、ツイッターやユーチューブなどのSNSで急激かつ爆発的に拡散されるようになった。ツイッターは文字通り、心の発露だ。日本では昔からこういったデマや差別発言が繰り返されてきた。大規模な自然災害が発生するたびに人々の不安が極に達して、その不安の矛先が外人に向けられるのだ。ボルドーとキムらはこの国で同じような境遇に置かれ、似たような辛酸をなめて生きているのだった。外国人は常にハンディキャップを持っている。仮に、彼らが帰化したとしても、だ…
だからこそ、その土地の人間よりできることを示さないといけない。それが、異国で戦う者の宿命である。
ボルドーは帰国してから、もうすぐで一ヶ月が経つ。意識が朦朧とし、生きているのか死んでいるのか判然としない日々だった。ボルドーは生死の境を、この世とあの世との間を、あてもなく彷徨っていた。めぐみちゃんの跡を追うかのように…
最後の最後に、なんとかこちら側にとどまった。あの日のことを思い出すと、ボルドー今も心が痛みだし、全身に痙攣が走る。ボルドーは心の痛みを一人背負って耐える。今のボルドーは過去を追うでも、未来を願うでもなく、ただ今日一日を精一杯生き、耐えるだけだった。愛する人との別れ、誰も手を差し伸べられない孤独、突然襲ってくる理不尽な不幸。12月21日、クリスマスの4日前に、日本で大地震が発生した。大きな揺れを感じ、韓国人の友人キムらとジュンさんのレストランで地震後のデマに眉をひそめていた日の翌々日だった。大学は冬休みが始まり、その日、ボルドーは午前中からアルバイト先の英会話教室にいた。突然、強い揺れが起きたのだった。それは胸を貫く衝撃だった。ボルドーが座っていた椅子の片足が壊れたかのような、非常に強い揺れだった。暫く時間が経過しても、地震は、おさまることなく、揺れ続けていた。先日のとは、明らかに違う。流石に、ボルドーの周りには地震の強さに焦り驚き、慌てて飛び出す人までいた。底の方から突き上がる揺れに、ボルドーは慌ててなんとか壁伝いに這い、ようやく建物の外に出た。何かに掴まってないと、立てない程強い揺れだった。隣の塀は完全に倒壊していた。太い電柱が左右に大きく揺れていた、電線が切れんばかりに。この世の終わりか、という思いが一瞬ボルドーの頭をよぎった。今まで感じたことのない大地震だった。防災行政無線から割れんばかりの音量で、建物から避難してくださいと繰り返し放送が聞こえていた。どこからともなくサイレンの音も混じっている。死ぬまで忘れることのできない、記憶から決して拭い去ることのできない、脳裏から消えることのできない光景だった。
数年に一度の大地震を受け、日本在住外国人の日本脱出の動きが加速した。多数の死傷者が出、衝撃を受け、余震に対する恐怖感も強く、パニック状態に陥っていた。各国在日大使館は声明を出し、直ちに帰国あるいは地震が起きた場所からなるべく遠くへ避難するように勧告した。ボルドーの国も迅速に、地震が起きた震源地から離れるよう国民に呼びかけると共に、帰国支援のチャーター機を派遣した。一見、地震の恐ろしさから、脱兎の如く、日本という国を脱出したように見えた外人だけど。日本各地で差別や排除が蔓延し、日本からの脱出を余儀なくされ、追い出された外国人がいたのも事実だ。そういった意味では、日本のどこも外国人にとっては被差別部落であったのだ。何しろ、日本は転校生がいじめられる、いじめ大国で、差別先進国である。余所から転がってきた者がいじめにあう。外部の者や内部の異物を排除する排他的かつ閉鎖的な独特の共同体が日本社会の一つの特徴である。そこには、人間はみな平等、誰とでも同じ人間、同じ市民として交際しなければならないというような考え方はない。日本人は、体質的あるいは遺伝子的に外人というものにアレルギーを持ち、毛嫌いする人種かも知れない。名だたる出版社が他民族を屈辱したり、テレビ局が他国を馬鹿にした報道を繰り返したりモラルの欠片もない行為を平然とやってしまう…
時代の波だったかも知れない。ボルドーが日本にいた頃、世界平和という言葉を口にしたがる人々が多かった気がする。どれもこれもケツの穴がこそばゆくなるような綺麗ごとに過ぎなかった。本当は世界平和なんて誰も心から言ってなかったし、信じてすらなかった。心にもないことを平気で言えるのは日本人らしさで、それができるのは日本人だけかもしれない。彼らの場合はきっと、最初から言葉に心があるということを信じていないのだ。口是心非。舌の根が乾かぬうちに、相手を見下ろし、他民族を蔑む。一つの目で笑い、もう片方の目で泣くのだ。しかし、世界平和とはお互いへのリスペクトがあってこそ、はじめて実現するものである。相手の人間や他国のことを尊重できる寛容さが必要である…
世界はより狭く小さくなっても、日本人の心がもう少しでも広くなることはあるだろうか…
ボルドーは、日本という国の文化の豊かさや自然の美しさに強く惹きつけられた一人だった。しかし、日本人の上辺だけの付き合い、心無い冷たい態度、表裏の激しい振る舞いを見せつけられ、当初とは違う想いを抱くようになった。決して日本嫌いになった訳ではなく、ただ日本人が信用出来なくなり、嫌いになったのだった。
人生とは実に予期せぬことの連続である。ボルドーは突然、めぐみちゃんとの別れを余儀なくされた。彼は昨夜、帰国してから初めて夢を見た。めぐみちゃんが夢に出てきた。彼女がボルドーの夢まで、会いにきてくれたのだ。この世とあの世を繋ぐ愛。死者と生者の織りなす世界。めぐみちゃんの切れ長の目、薄くて小さい唇。華やかさや派手さはないけれど、アジア的、という言葉を連想させる顔立ち。ボルドーには全てが愛しいかった。全部を愛していた。めぐみちゃんが夢に突然やってきてくれたのは神様からのプレゼントだとボルドーは思った。真冬だというのに、外は雨が降りしきっている。ボルドーは窓越しに目を向け、雨粒を全身に浴びたいと思った。地球の涙で汚れた、痛んだ、病んだ、悲しみの、寂しい心を洗い流したかった。赤ん坊のように泣いて滞った感情を発散したかった。口を開け、体内に天が零した涙を取り組みたいと思った。おまけに、泣きなさい、と天から声が聞こえ、ボルドーは一層涙腺が緩んだ。身体の中で張りつめていたものが切れてしまい、涙がどっと溢れてきた。心のダムが決壊したかのように…
ボルドーは悲しさに落涙し、惨めさをかみ締めた。ボルドーの心の雨にいつも傘をさしてくれていためぐみちゃんが今はそばにいない。めぐみちゃんがいつもボルドーを心で、言葉で、そして底知れぬ愛で抱きしめてくれたのだった。そのめぐみちゃんがもうこの星のどこにもいない…
この世は、全ての美しいものは悲しみを内包している。永遠に一緒にいることができないという悲しみ。神様は時にはとんでもないいたずらをするのではないか、とボルドーは嘆き、泣いた。めぐみちゃんにめぐり合わせてくれて、最後にこのような別れ方を用意していたなんて…
喜びと苦しみがセットというところは運命が意地悪い、と思った。人の運命とは、思い通りにいかず、皮肉というもので彩られていた…
ボルドーの中で、寂しさを感じる心の機能はまだ生きていた。しかし、ボルドーは不思議に、もう寂しくなかった。めぐみちゃんがボルドーの心の中で永遠の時を生きているからだ…
めぐみちゃんがいつまでもボルドーの中で生き続けているのだった…
この世は幸福と不幸は隣り合わせで、二人が隣人同士のようだ。あの世はどう、めぐみちゃん?………