試作3号
コーヒーに合うイカ飯が作りたい。
たった一つの小さな目標である。人の夢と書いて儚いと読むように、私の夢も小さく儚い。一言で片付けられる夢でも、その実現のために一生を捧げる人もいる。私が全力をかけて作製した試作1号ゼフィランサスイカ飯は失敗に終わり、私が全力をかけて作製した試作2号サイサリスイカ飯も紙一重で失敗に終わった。しかし、今の私に残っているのは、パンドラの箱に最後に残ったものと同じだ。
それは、希望です。
私はいつものように朝のエスプレッソタイムを満喫していた。
私は、生クリームをエスプレッソの上にチョモランマのように山盛りにのせて作ったウインナーコーヒーを味わっていた。シャ○エッセンやポーク○ッツのようなウインナーを私の大好きなコーヒーにぶち込んだような低俗な飲み物ではなく、オシャンティーな街であるウィーンで流行っているであろうウィーン風のコーヒーである。エスプレッソの上の天界に浮かんだ白い雲のような生クリームが、その雲海から湧き出すエスプレッソの琥珀色の液体と混ざり合い、淡い茶色に色を変える。苦味と酸味に加えて果物のような甘い香りを楽しむことができるグアテマラ豆から煎れられたエスプレッソが、甘味にステータスを極振りした生クリームの甘さを緩和し、苦味と酸味と甘さのバランスを、炎と草と水のような均等なバランスに保ち、味を整える。
ふと、私の脳裏に、はるか昔に遠い遠い銀河で起こった戦争の元凶となった国家元首が手から放つカミナリ並みの電撃が走り、イグノーベル賞をあと1回は取れるであろう程に素晴らしいアイディアが浮かんだ。
醤油ベースのタレで煮込まれ、噛めば噛むほど潮の香りと独特の旨味が出るイカの足が、苦味と酸味に加えて果物のような甘い味わいを持ったエスプレッソの液体の中で、船頭多くして船山に登るがごとく味覚が複雑すぎてよく分からなくなることが、私の大好きなコーヒーと私の大好きなイカ飯が相容れない最後の理由である可能性がある。だとしたら、解決方法は簡単だ。なぜこんな簡単なことに気がつかなかったのか、一生の不覚である。イカの足とコーヒーの相性が悪いのなら、イカの足が入っていないイカ飯を作れば良いのだ。
私は、自分の画期的なアイディアに興奮を抑えられなくなり。手に持っていたエスプレッソカップをコーヒーテーブルの上に置き、即座にキッチンに向かった。
イカ飯の中にイカの足の代わりに入れる具材と一言で言っても、星の数ほどの候補がある。だが、私の頭の中にはその候補は決まっている。サイコロを振れば1から6のいずれかの数字がでるかのように、私の頭の中では運命的に決まっている。それは、生クリームである。生クリームは、グアテマラ産の豆から煎れたエスプレッソの苦味と酸味に加えて果物のような甘さと相性が抜群だ。イカ飯のイカの足の代わりに生クリームを入れたイカ飯を作れば、エスプレッソの液体の中に個体として存在を主張するイカの足が残らない、エスプレッソと一心同体に混じり合う、エスプレッソと相性抜群のイカ飯ができるのだ。
私は、イカ飯のイカの部分とご飯の部分とイカの足の部分だけを食した。コア○のマーチで例えるなら、コア○のマーチを袋ごと親の仇のごとく縦横無尽に振りまくり、人類を補完する計画を遂行するかのごとく袋の中のコアラ達が個々の境界線を保てなくなるまでに分解されて一つの大きなチョコレートとビスケットの塊になったとしても、それをコア○のマーチとして問題なく味わえるようなものだ。つまり、一つの大きな魂の塊になったコア○のマーチがコア○のマーチとしての概念としてのアイデンティティを失っていないのと同様に、イカの部分とご飯の部分とイカの足の部分を食したイカ飯もイカ飯であることの概念としてのアイデンティティを失っていない。
私は、試作2号サイサリスイカ飯に利用したのと同様に、イカ飯の中に入れるスポンジケーキを準備した。ボウルに卵とグラニュー糖を入れて湯煎にかけながらハンドミキサーで混ぜたものに、さらに薄力粉を混ぜて合わせ、湯煎で溶かした無塩バターとバニラエッセンスを入れ、ケーキ用の型に流し込んだ。
私はそれをオーブンで20分程焼いた。
私はオーブンの中から、イカ飯のご飯の部分をスポンジケーキに置換したイカ飯を取り出した。そしてそれをまな板の上に逆さまに出し、イカ飯のご飯の部分をスポンジケーキに置換したイカ飯を、リオデジャネイロオリンピックの銀メダルくらいの大きさに、エクスカリバーで切り分けた。そして、リオデジャネイロオリンピックの銀メダルくらいの大きさの8個のイカ飯をそれぞれ半分に切って、今朝のウインナーコーヒーに使用した残りの生クリームを、大阪のおばちゃんがファンデーションをどっぷりと顔に塗りつけるがごとく山のように塗りたくり、それをPPAPのようにくっつける。そこから、イカ飯のイカの代わりに私が試作1号ゼフィランサスイカ飯に利用したのと同様に、銀メダルサイズに切り分けられて生クリームを挟んだイカ飯を、とろみを帯びた茶黒色の液体状のチョコレートに浸した。
私はそれを冷蔵庫にしまった。
私は無事に試作3号を完成させた。この試作3号イカ飯にデンドロビウムという花の名前をつけた。冬から春にかけて、多くの小さな白い花を咲かせるラン科の花である。花言葉は、わがままな美人。
私は試作3号デンドロビウムイカ飯を私のお気に入りの高級皿の上に盛り付けた。縁が金で加工され、種々の花々が描かれた白色硬質磁器である。8切れのイカ飯を、イカ飯6個で形成する3段ピラミッドとその横に寄り添う2つの離れイカ飯のように並べた。私はグアテマラ産のコーヒー豆を挽きなおし、イタリア直輸入のエスプレッソマシーンに挽いた豆を入れ、火にかけた。本日二杯目のエスプレッソである。私は、私がいつも朝のコーヒータイムに使っているコーヒーテーブルの上に、煎れ立てのエスプレッソと試作3号デンドロビウムイカ飯を運んだ。
さて、試作3号デンドロビウムイカ飯の試食タイムである。
銀メダルサイズのイカ飯は茶黒色のチョコレートに包まれ、つるりとした光沢のある表面をしており、油でつるつるてかてかしているイカ飯を彷彿させる。皿の上にそびえ立つイカ飯のピラミッドは、メンカウラー王、カフラ王、クフ王の三大ピラミッドと並べて四大ピラミッドと呼んでも過言ではないくらいの威厳と共に、私のお気に入りの白色硬質磁器の皿の上に鎮座している。これぞまさしく、イカ飯の王である。古代エジプトの技術をはるかに凌ぐ、私の技術と努力の結晶だ。
私は、新しく豆から煎れなおしたエスプレッソを口に含んだ。相変わらず、最高の味である。そして、続けて、試作3号デンドロビウムイカ飯を口に含んだ。イカ飯の表面をヴェールのように優しく包むチョコレートは、私の歯に当たり、パリッと音を立てる。チョコレートは、口に含んだエスプレッソから放射される熱で、太陽に近づきすぎたイカロスのように、じわじわと緩やかに溶けていく。そして、エスプレッソとそっと触れ、生クリームの甘味は、酸味と苦味に、相異なる陽子と電子の電場を中和する中性子のように働き、酸味と苦味と甘みを一つの原子核へと核融合させる。イカ飯の中のスポンジケーキは果物のような甘さを持つグアテマラ産の豆から煎れたエスプレッソをポリアクリル酸ナトリウムから成るポリマー素材のように吸収し、プルプルサラサラな赤ちゃんの肌のように膨れた。甘さを極めた師範級の生クリームが、吸水性ポリマーのようにエスプレッソを含んだイカ飯のスポンジに、正拳突きをブチかまし、スポンジを舌の上で木っ端微塵に粉砕する。そして、イカ飯とエスプレッソは私の口の中で天下一強いやつを決める武闘大会を開き、盛大に盛り上がったのちに、喉の奥へ消えていった。
一言で言うと、うまい。
試作3号デンドロビウムイカ飯は私が大好きなエスプレッソに絶妙に合うイカ飯である。私はついに、コーヒーに合うイカ飯を完成させたのだ。
無理だろうと挑戦もしないで諦めていてはいけない。一歩一歩、少しずつ挑戦して、前に進んでいけばいい。小さな一歩は、重なって大きな一歩となる。挑戦し続ければいつかきっと目的は達成できる。
そう、私は偉業を成し遂げた。
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