試作2号
コーヒーに合うイカ飯が作りたい。
それだけのことである。何も世界最強になりたいとか、俺より強い奴に会いたいとか、ギャルのパンティが欲しいとか、簡単に死ぬ彼をせめてもう一度だけでも生き返らせて欲しいとか、そういった大それた願いではない。ささいな願いでもあり、ささいな目標だ。しかし一方で、私が全力をかけて作製した試作1号ゼフィランサスイカ飯は失敗に終わり、私にイカ飯からイカを取り除くことがイカに無謀な挑戦であったかを知らしめるとともに、サハラ砂漠を代表とする空漠とした荒野の様な伸び代を私に見せつけた。
私はいつものように朝のエスプレッソタイムを満喫していた。
コーヒーのお供に口にしていたスポンジケーキが口の中で、エスプレッソの琥珀色の液体を吸い込む。苦味と酸味に加えて果物のような甘い香りを楽しむことができるグアテマラ豆から煎れられたエスプレッソを吸い込んだスポンジは、それ自体が禁断の果実であるかのような甘味を引き出した。また、その刹那に、琥珀色のエスプレッソを吸い込んだスポンジは、スポンジとエスプレッソの境界面を、ラーメンの残り汁に浮かぶ油がお互いにくっつきあうように失い、なめらかに溶け去っていった。
ふと、私の脳裏に、某サッカー漫画の主人公が使う雷系の某必殺シュート並みの電撃が走り、イグノーベル賞を2回は取れる程に素晴らしいアイディアが浮かんだ。
ふっくらとした弾力があり、一粒一粒が連なり合うことで味が出るお米が、果物のような甘い味わいを持ったエスプレッソの液体の中で、オールフォーワン、ワンフォーオールのスローガンに反して一粒一粒バラバラに液体に浮かんでいることが、私の大好きなコーヒーと私の大好きなイカ飯が相容れないもう一つの理由である可能性がある。だとしたら、解決方法は簡単だ。なぜこんな簡単なことに気がつかなかったのか、私は自分をもう一度恥じた。お米とコーヒーの相性が悪いのなら、お米を使わないイカ飯を作れば良いのだ。
私は、自分の画期的なアイディアに興奮を抑えられない。手に持っていたエスプレッソカップをコーヒーテーブルの上に置き、即座にキッチンに向かった。
イカ飯のご飯の代わりに使う食材と一言で言っても、星の数ほどの候補がある。だが、私の頭の中にはその候補は決まっている。ラブコメの主人公が一番初めに会ったヒロインに連載1回目から恋に落ちるように、私の頭の中では候補は初めから決まっている。それは、スポンジケーキである。スポンジケーキは、グアテマラ産の豆から煎れたエスプレッソの果物のような甘さと相性が良い。イカ飯のご飯の代わりにスポンジケーキを使ったイカ飯を作れば、エスプレッソの液体の中をブラウン運動するコロイドのように浮遊する米粒を持たず、アダムとイブを楽園から追い出す一因となった果実のような甘さを持った、エスプレッソと相性の良いイカ飯ができるのだ。
私は、イカ飯のイカの部分とご飯の部分だけを食した。チュッ○チャプスで例えるなら、チュッ○チャプスをペロペロと舐め、舐めきった後の棒の部分の中に少し残っている飴の部分を、棒を歯で噛んで取り出して出てきた飴がチュッ○チャプスとして問題なく味わえるようなものだ。棒の部分から歯で噛んで取り出してきたチュッ○チャプスがチュッ○チャプスとしてのアイデンティティを失っていないのと同様に、イカの部分とご飯の部分を食したイカ飯もイカ飯であることのアイデンティティを失っていない。
私は、ボウルに卵とグラニュー糖を入れて湯煎にかけながらハンドミキサーで混ぜたものに、さらに薄力粉を混ぜて合わせ、湯煎で溶かした無塩バターとバニラエッセンスを入れ、ケーキ用の型に流し込んだ。そして、そのスポンジケーキの生地の中に、イカの部分とご飯の部分を食したイカ飯を沈み込ませた。
私はそれをオーブンで20分程焼いた。
私は、オーブンの中から、イカ飯のご飯の部分をスポンジケーキに置換したイカ飯を取り出した。そしてそれをまな板の上に逆さまに出し、私が勝手にエクスカリバーと呼んでいる包丁で、イカ飯のご飯の部分をスポンジケーキに置換したイカ飯を、アテネオリンピックの銅メダルくらいの大きさに切り分けた。そして、イカ飯のイカの代わりに私が試作1号ゼフィランサスイカ飯に利用したのと同様に、銅メダルサイズに切り分けられたイカ飯を、とろみを帯びた茶色とも黒とも見える茶黒色の液体状のチョコレートに浸した。
私はそれを冷蔵庫にしまった。
私は無事に試作2号を完成させた。この試作2号イカ飯にサイサリスという花の名前をつけた。夏に白い花を咲かせ、がくがオレンジ色の提灯のように膨らむ、ほおずきとして知られる花である。花言葉は、裏切り。
私は冷蔵庫から取り出した試作2号サイサリスイカ飯を皿の上にあけた。カランという心地よい音を立てる。私は、グアテマラ産のコーヒー豆を挽きなおし、イタリア直輸入のエスプレッソマシーンに挽いた豆を入れ、火にかけた。本日二杯目のエスプレッソである。私は、私がいつも朝のコーヒータイムに使っているコーヒーテーブルの上に、煎れたてのエスプレッソと試作2号サイサリスイカ飯を運んだ。
さて、試作2号サイサリスイカ飯の試食タイムである。
イカ飯の外を覆うチョコレートは冷えて固まっており、もともとのイカ飯に比べると暗い茶黒色をしているが、その茶色い見た目は、まさにイカ飯そのものである。銅メダルサイズに切り分けたこともあり、イカ飯のサイズとしてはもともとのイカ飯よりも少しばかり小さい気もするが、8切れもあるので、私のお腹と心を満たすには十分である。むしろ、イカ飯が大好きな私からしてみれば、小さなイカ飯8個くらいなら、ペロリとたいらげられる。
私は、新しく豆から煎れなおしたエスプレッソを口に含んだ。相変わらず、最高の味である。そして、続けて、試作2号サイサリスイカ飯を口に含んだ。イカ飯を覆うチョコレートの甘さは、口に含んだエスプレッソの苦味と酸味とトリプルスクラムを組み、三位一体として私の味覚を刺激する。イカ飯の中のスポンジケーキはグアテマラ産の豆から煎れたエスプレッソの果物のような甘さを吸収し、エネルギーを吸い込みすぎて爆発したどこかの最高指導者に似たロボットさながらに、口の中に溶けて、散った。しかしである、イカ飯の中の醤油ベースで塩辛く味付けされてぶつ切りにされたイカの足は、優雅な曲を演奏するオーケストラに迷い込んだ『モー』と鳴く乳牛のように、気味の悪い不快音を奏でる。そして、噛むほどに旨味が滲み出るはずのイカの足は、噛めば噛むほど、黒板を何度も何度も引っ掻くかのごとく、不快感を高まらせた。
だめだ。
紙一重、足りなかった。もう少し、もう少しだけ改良の余地が存在する。
私の挑戦はもう少し続く。