八番目の邪悪と無数の死徒
日本文化は『侘び、寂び、萌え』
人は死後、その魂が西方浄土に往ければ成仏できるが、それはごく一部の限られた聖人だけである。その他の圧倒的過半数の穢れた魂はこの世界の東の最果ての悪名高い都(この都では「し」と「ひ」の発音と表記が逆転する奇妙な風習がある)に留まり、おぞましい悪徳の『死徒』(しと。使徒に非ず)になる。
失われたいつかの前世紀……最後の神の時代と呼ばれる双魚宮から人が神の手を離れた絶望の宝瓶宮二千年紀にさしかかる直前の、1999年に『アンゴル・モエの大王』が降臨して祀られたのはこの都の常識であろう。
某著名な神話に記される既存の『七大邪悪』に加わったこの目下最後の邪悪は、対としての美徳を介さないというか同義なのが始末に悪いところである。というか『耽美』、美を追求する、そのものがアンゴル・モエの大王そのものなのだ。愚劣な死徒たちは文字道理この存在に魂を売っている。
東の都の中でも特に際立つ退廃の街、フォール・リーフにて愚劣な死徒どもは、『冥土喫茶』に大枚を払って享楽を堪能し悦に入る。そんな死徒は卑小な己をあろうことか神と錯覚してのぼせ上がる。気まぐれに残忍にもサイコロを振り、人と魔物の命を掛け金に愚かな賭博遊戯を続けるのだ……世界滅びるまで。
この都では光の文明が卓越し、電子化という不可思議なからくり箱でサイコロは姿かたちを変えて、死徒の尽きない無為の無聊を慰むのだ。
暴走する死徒は他の死徒を好んで捕食し、その未完全な存在を補完たらしめ、そして極めて堅牢な精神障壁により外界と隔絶する。
史実八番目にして最強の邪悪にして背徳、アンゴル・モエの圧倒的な魅力の前に昇天した魂は天国へ行けず、地獄にも落ちないまでもこの欺瞞の都に留まり続けるのだ。特に人気のかつては電気街だったというその街には人間の本質の欲望が渦巻く……この東の最果ての島にて伝統の三つの美徳とされる、『詫び』『寂び』『萌え』である。
これを火遊び、ではなく『死遊び』として楽しむのが粋な都民の伝統の嗜みとされる。
結局誰しもが通る道。(/・ω・)/
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