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隔世遺伝  作者: 播磨王65
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9話:伸介の結婚と出産

 場所は、橫浜駅前の料理の美味しいホテルで結婚式には38人が出席して、和装で結婚式をして、新婚旅行は、当時、お決まりの南九州、宮崎、鹿児島に3泊4日で出かけた。そして新居は、最初、銀行から徒歩5分の2DK、家賃4万円のアパートに入った。しかし、神奈川県営藤棚団地があり、そこに応募した。1982年4月に3DKの部屋に空きが出たので4万2千円で入居できた。ここも銀行から6分の近さで、通勤に便利だった。


 ただし、最寄り駅は、相鉄線西横浜駅で徒歩13分、桜木町まで徒歩25分、京浜急行の日ノ出町駅まで徒歩21分と、ちょっと不便だった。また、徒歩10分足らずの所に橫浜市営久保山斎場という大きな葬儀施設があり、そのために、家賃が比較的安いようだった。しかし、伸介は、お金を貯めるためには、好都合だと、別に気にしていなかった。1982年10月、伸介の奥さんの達子さんが妊娠して、1983年4月13日が予定日と言われた。やがて、1982年が終わり1983年を迎えた。


 1983年になり、達子さんの、お腹が大きくなって、1983年3月30日から産休に入り、4月12日に産気づいて、近くの産婦人科病医院に入院し、4月13日の朝、男の赤ちゃんを出産し、康一と名付けた。その後、約2年の間、達子さんの実の母が来て、昼間、康一の面倒を見てもらうようになった。そして、伸介も、掃除、炊事、洗濯、買い物を手伝った。


 やがて、1983年が終わり、1984年になる頃には、康一がハイハイし始めた。そして、1歳になると、伝い歩きを始め、1984年6月には歩き始めた。最初は、よく転んだが、畳で上手に転んで、怪我をせずに済んだ。そして、1984年夏には、ビニールのプールに水を張り、水遊びをするようになった。来年4月に、近くの保育園に入れて、達子さんも銀行員に復帰しようと考えていた。


 そして、秋が過ぎ、1984年が終わり、1985年を迎えて、2月には、近くの保育園に行き、入園の資料をもらい、作成して、3月に提出して、受理されて、4月から入園できる事になった。その後、池墨夫妻のどちらかが、早出と早帰りを繰り返して、仕事を続けることになった。そして、1985年、無事に乗り越えて、1986年を迎えた。1986年の2月3日、達子さんが体調不良を訴え、産婦人科に行くと、2人目の妊娠とわかった。出産予定日8月4日と告げられた。


 その後、8月1日から産休に入り、2日に産気づいて産婦人科病院に入院し、8月4日に朝に、女の赤ちゃんを出産し、名前を慶子と名付けた。9月15日から達子さんが銀行にに復帰して、再び、実のお母さんに面倒を昼間の面倒を、お願いした。そして、1986年が過ぎて、1987年を迎えた。一方、株の方では、N証券の吉崎繁彦さんから早朝、電話が入り、日本電気が急上昇し1987年4月に25000円で売りをだしたら良いと言われた。


 そこで、25000円で全株売り税引き後利益が2675万円で残金が2975万円となった。その後、また暑い夏となり、ビニールプールを団地のベランダに出して、水を張って、水遊びをして、長男の康一と慶子が水遊びをして喜んでいた。慶子も歩き始めた。そして、秋になり、やがて冬が来て、1987年が終わり1988年となった。その後、2月に2人目の子も近くの保育園に願書をもらいに行き、手続きをとって、3月に提出して、4月からの入園が許可された。

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