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隔世遺伝  作者: 播磨王65
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8話:将来、成長する株を探せ

 やがて、1975年があけて、池墨家は、毎年初詣でに行っている、橫浜の伊勢神宮、伊勢山皇大神宮へ出かけ、家内安全、商売繁盛のお願いをしてきた。その後、吉崎さんの家に新年の挨拶に行った。すると、吉崎君のお父さんに、世の中の流れで、どんな新製品が市場占有率1位になるかを予想し、当たると、儲けられること。今後、流行する物、例えば、車、カメラ、テレビ、家庭電化製品などで、もし仮に、ソニーが市場を独占すれば、ソニー株が上昇する。


 また、松下電器が市場を独占すれば,松下電器の株が上昇する事がわかる。つまり、先見の明のある人は、必ず儲かると言うことだと教えられた。だから、流行に敏感なる必要があると教えてくれた。そう言う点から見ると、安定成長が見込めるのは、ソニーとトヨタ自動車くらいかなと言った。しかし、それよりも、これからどんな未来が来るかを想像して、将来、流行るものを作る会社に投資することが、一番稼げる方法だと、説明してくれた。


 1975年4月30日、テレビでヘリコプターに乗りきれず、海に落ちる人の映像が流れた。そして、サイゴンに北ベトナムの兵士が押し寄せて、サイゴンが陥落して、南ベトナムが降伏して、ベトナム戦争が終結した。思い返せば、米軍の北爆で、圧倒的に軍事力で勝る、米軍が、優勢だったのにもかかわらず、それに耐え忍んで、反撃の機会を狙っていた北ベトナムが勝利した格好だった。しかし、その後の南ベトナム軍の腐敗体質をみると、なる程と思った。


 1975年9月には、伸介は,ボーナスと給料を貯めて、残金15万円に100万円を加え、投資残金115万円に増やしていた。その翌年、1976年にも100万円を貯めて、投資予算を215万円に増やした。その頃、橫浜銀行から、帰って来ると、夕食をとって、テレビを見て寝る生活の繰り返しで、橫浜銀行へ行っても外勤は大卒の営業も案の仕事で、伸介は、女子行員の計算のチェックが業務で、計算が合わないときに、稀に遅くなる程度だった。


 1977年は、8月に有珠山の噴火があった。9月には米軍機が橫浜の民家に墜落して2人が死亡するという事故が発生し、話題となった。1977年12月、伸介の投資口座は350万円に増やしていた。そして、1978年12月末には、500万円となった。その後、そして1974年4月10日、N証券の吉崎繁彦さんから電話が入り1979年秋に東証2部にセブンイレブンが上場するかも知れないという情報が入った。


 そして、8月には、180万円の公募価格が出た。そこで、伸介が1000株買いたいと、N証券の吉崎繁彦さんに電話を入れた。その後、1979年9月15日に手に入ったと言われた。これで伸介の投資残金から180万を引かれ残金が320万円となった。そして1980年があけて、池墨家では、初詣でに行き、家内安全と、伸介は商売繁盛を祈願して、その、お守りを買って、大事にしていた。


 その後 1980年2月にトヨタ株を440円で4000株、176万円で買い、残金が144万円となった。しかし、1980年12月には、預金から、124万円入金して、口座残金を300万円にした。その頃、伸介は、橫浜銀行の同じ藤棚支店で、2つ年下の渥美達子さんと親しくなり、映画を見に行ったり、東神奈川のスケートリンクへ行くようになった。デートを重ねて、1981年4月12日に結婚する事になった。

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