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隔世遺伝  作者: 播磨王65
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7話:自分の先祖を解明と

 そして、外国人商人の接待のために「石亀楼」という遊郭まで建てたのだ。そして大居屋九兵衛も建設資金を出して、数人のお妾さんがいた。そして、その子供こそ、君の高祖父の池墨真之介さんだと言った。それを聞いても一緒に来た娘さんは何のことだかわからず、へー、そんな歴史があったのと驚いていた。おばあさんは続けて、それで橫浜にいられなくなった。その話を全く知らない東京の下町に移り住んだと説明した。


 これを話を聞いて、これは恥ずかしい話だから、絶対、他人様には、言うなよと、そのおばあさんが、怖い顔で言った。わかりました、この事は、人様には、絶対、他言しませんと約束しますと頭を下げた。そして、これで、全部、解りましたと、娘さんに。お礼を言った。そして、ここからは、帰れますと言い、老人施設を出て、横浜に帰ってきた。


 帰って来て、もう一度、相場師列伝を読んでみた。すると大居屋九兵衛は、上州、群馬県からでて来て、橫浜で生糸商売で。大儲けした人で、最後は、獄死したと書いてあった。その詳細を調べると、1861年、幕府が、1日の輸出量を500斤、300kgに限り、それを超えて、生糸を輸出すると厳罰に処すると言う、お達しを出していた。重兵衛はこの、お上のお達しを無視し、生糸をどんどん輸出して金銀を増やした。


 大居屋九兵衛は、幕府の禁輸政策をあざ笑うかのように、輸出を続け、橫浜一の裕福な商人になり、銅製の大きな屋根のお屋敷「銅御殿・あかかねごてん」を作った。しかし、あまりに派手は振る舞いに、幕府は、たまらず、見せしめに、重兵衛を捕らえた。その頃、時を同じくして銅御殿が不審火で焼失してしまった。そして重兵衛は幕府の役人に捕らえられ、1861年の8月2日、獄中で死んだ。


 その後、橫浜を去り、東京に住む者、一部は東北、関西、九州にも移り住んだようだ。池墨伸介の家は、明治時代初期に東京に移り住んだが、昭和初期に、仕事の関係で、橫浜の支店に異動した1家族だと知らされた。これで謎は解けたと、池墨伸介は喜んだ。俺には、大居屋九兵衛の血が流れているのだと思い、これはきっと、隔世遺伝に違いないと、心の中で、ほくそ笑んだ。しかし、この話は、家族にも郊外せず、秘密にし続けた。


 そして1974年10月、N証券の吉崎繁彦さんから早朝、電話が入り、日本電気が安いから1150円で買い指値を入れた方が良いと言われた。そこで、1000株115万円で買いを入れると買えたと連絡が入り、残金が15万円となった。そして、今年から、経済の動向を見るために、株式市場と為替市場を短波ラジオを買って聞くようにした。その後も橫浜銀行で発売してる金融商品の営業活動で橫浜市内を自転車で走り回っていた。


その後、吉崎君のお父さんから投資には数学が大切だと言われ、標準偏差の勉強をしなさいと言われて、本を買って読んでみた、すると、商品価値の長期間の変動のデーターをとり、チャートにすると、うねりがある事がわかる。そのうねりで,この値段より下げたら買い、あげたら売りと売買を繰り返すと、着実に稼げることがわかった。次に、企業の稼ぐ力はROA「総資産利益率」、ROE「自己資本利益率」で、営業キャッシュフロー、投資キャッシュフロー、フリーキャッシュフローの定義との意味、計算式を覚えた。更に、決算書、有価証券報告書の見方もマスターした。

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