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隔世遺伝  作者: 播磨王65
17/18

17話:父の死と葬儀

 2013年10月18日、夜20時過ぎに、風呂から上がった、伸介の父、信一が、胸が苦しいと言い出して、救急車を呼んで、近くの横浜市民病院に運ばれた。伸介と母が付き添って行き、処置をしてもらい、楽になって、入院することになった。そいえば、この頃、少し歩くと、疲れたと言い、ベンチに座って休む回数が増えたと言った。2日後、伸介が病院に呼ばれた。


 主治医に、心不全のⅢ度であり、少しの疲労、動悸、呼吸困難がひどくなっているので、少し長い入院が必要になったと言われた。どの位かと聞くと2週間から4週間、4週間で、一度退院しなければならず、その後、また症状が悪化したら、再入院が必要かもしれないと言われた。現状の程度は、と聞くと、決して、安心できる状態ではないと言い、CCU「冠疾患集中治療室」に入り、24時間体制で心臓を管理しますと言った。


 入院して10日後の10月28日、朝2時に、伸介の所に、市民病院から電話が入り、大至急、来てくださいと言われ、奥さんと母の3人で行くと、脈が、弱くなっていると言われ、既に、父の意識はなく、お父さんと呼びかけても応答がなかった。その後1時時間足らずして、血圧が上がらなくなり、担当医が脈をとり、瞳孔を見て、ご臨終ですと静かに言った。その時、母が、大きなショックを受けて、泣き叫んだ。


 そこで、奥さんが外に連れ出し、なだめた。そして、夜が、開けてくるころ、やっと現実を理解したのか、静かになった。そして、家に帰って、朝9時になり、近くの葬儀社に電話をして、斎場を探してもらうと、6日後の11月3日に、ちょっと遠いが、東名高速、横浜インター近くの北部斎場が11時から空いてるとわかり、予約してもらった。その後、葬儀に参列しそうな人たちに連絡して、32人に来ると言われ、その日のうちに、案内状を送った。


 それをうつろな目で見ていた、母の信子さんが、1人で生活をするのは、あまりにも寂しいと言い、伸介の家に、一緒に住みたいと言うので了解した。その翌日11月7日に、長女の慶子が、妊娠したと連絡が入り、出産予定日が、2014年4月10日と連絡してきた。そして、横浜の実家の近くで出産し、その後も、お世話になりたいと言うので伸介が了解した。そして、2014年11月3日、横浜北部斎場で32人で葬儀が始まり、久しぶりに、中学時代からの友人の吉崎君と、株投資で世話になった吉崎繁彦さんも来てくれた。


 続々と参列者が、やってきて、伸介は、挨拶して回った。お坊さんが入ってきて、読経を始めて、それが終わると、ご焼香と電報の披露となった。そして、12時になり、荼毘に付され、その間、昼食となり、久しぶりに合う仲間同士で雑談が始まった。やがて、13時に、再び集合して、骨拾いを伸介と、母が行い、その後、車で40分の西横浜近くの墓地に行って、埋葬された。

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