15話:原発停止とノーベル賞
ちなみに、吉崎家でも5千万円を直接、震災孤児募金事務局に電話連絡して送金したそうだ。これにより、伸介の資産は3.5億円となった。長女・慶子の入社したヤフーでは、会社の若手が東北に入り、直接ボランティア活動に関わったようで、彼女も8月の夏休みシーズンに、現地へ聞き、炊き出しをしたり、避難所を慰問して回ったそうで、積極的に父、、伸介を活動を支え、街頭募金活動も継続していた。そして、悪夢の20011年が過ぎて、2012年を迎えた。
2012年4月に長女の慶子が、同じ会社の2つ上の上野吉蔵君と結婚したいという事で2人で、池墨家を訪ねてきた。上野君の実家は東京・羽田近くの町工場だと聞かされ、東日本大震災のボランティア活動に一緒に参加して、結婚を決意したそうだった。伸介と奥さんも了解すると言うと、6月18日、羽田日航ホテルで挙式を予約したと言われ、その手回しの良さに驚いた。そして、6月17日、慶子は両親に挨拶して家を出ていった。
この年は福島第一原子力発電所の事故をうけて、昨年、輪番停電を計画して、実施した。更に、日本中の原子力発電所を止めて再点検することとなった。当初、電力不足で大変なことになると話題に上がったが、特に大きな問題もなく終わった。その後、原子力発電所の安全基準を再検討するため、全国の全国の原子力発電所の稼働が止まった。こんな嫌な事ばかりの日本において、2012年は2012年10月に京都大学の山中信弥教授が、ノーベル生理学・医学賞を受賞するという朗報が入った。
受賞スピーチの内容。「心の底から思ったのは名目上は山中伸弥ともう一人の受賞になっているが、受賞できたのは、日本という国に支えられたから。まさにこれは日本という国が受賞した賞だと感じている。感想を一言でいうと感謝しかない」「iPS細胞の研究はまだ新しい。医学や創薬において大きな可能性あるが、まだ本当の意味で医学や薬の開発に役立ったと言えるところまで来ていない。これからも研究を続けて一日も早く社会貢献、医学応用を実現しないといけない気持ちでいっぱいだ」。
このスピーチは、疲弊した日本人の心に、新たな勇気を与えてくれた。しかし謙虚に、今日、明日に病気が治ると誤解を与えている部分もあるかもしれないが、実際は5から10年と時間がかかる。ただ、たくさんの研究者がいろんな技術をつかって研究しているのも事実だ。時間との戦いと強く感じる。私たちの一日と患者さんの一日の違いは心している。
若者へのスピーチでは、「私は、まだ若いつもりだが、研究はアイデア1つ、また、努力でどんどんいろんなものを生み出せる力がある。そういう仕事だ。一人でも多くの人が参加してほしい。志を持つ人が安心して研究できる環境をつくるためにも、これまでいろんな支援を受けて研究してきた私たちも協力したい」。もちろん、倫理面へのスピーチ「ヒトの胚性幹細胞『ES細胞』を研究する際すごく喜んだが、すぐに倫理面の課題に直面した。すばらしい細胞をどうしたらいいのかと研究したのが、iPS細胞の基礎の研究。ESのいいところを伸ばしたいと思ったのがiPS細胞だ」
「それでもすぐにiPS細胞から精子と卵子という生殖細胞ができるという問題が出ている。4から5年前は、ちゃんとした精子、卵子はできないと思っていたが、研究は進む。 倫理的な議論を少しでも早く社会全体として準備しておかないと、科学技術の方が速く進んでしまう可能性がある。研究開発も大事だが、それと同じスピードで倫理、許認可の問題も同時進行で進まないといけない。知的財産の問題も進めないといけない」以上の様に、様々な事柄への配慮も欠かさない素晴らしい、ノーベル賞、受賞スピーチだった。




