14話:東日本大震災と募金
2009年に長女の達子が橫浜市大商学部を卒業してヤフーに就職した。そして、兄の康一に、パソコンの使い方を習っていた。やがて2009年が終わり、2010年を迎えた。2010年になり、家も10年が経ち、屋根と壁を塗り替えた方が長持ちすると、知り合いの工務店の社長に言われて、見積もりをとると2軒で300万円と言われて、塗装をお願いした。3月中に終了して、見違えるように、きれいになった。そして、車も10年が経つので、大きくて格好いい、白色のアルファードを400万円で購入した。
新車が入って、息子の浩一が、土日に、若い人たちとバーベキューに、厚木の相模川の河原に出かけてるので使わせて欲しいと言われ出かけて行った。やがて秋になり、家族6人で、箱根の温泉に1泊旅行に出かけ、きれいな富士山を見ながら芦ノ湖の遊覧船に乗り、温泉宿で、ゆっくりと温泉につかり、楽しんできた。その後、12月は、家族6人で、熱海に出かけて、温泉と忘年会を楽しんできた。
やがて、2011年を迎えて、2月には、熱海の早崎の桜と梅を見に、伸介が運転して、池墨家の6人で1泊旅行に出かけ、素晴らしい熱海の梅の、早咲きの桜を見て、多くの写真を撮った。帰る前に、来宮神社に立ち寄った。来宮神社の大楠は“長寿の神木・成就の神木”とも呼ばれ、様々な伝説があると聞いた。そこで、幹の周りを3周した、すると寿命が3年延びると聞いて、両親は大喜びした。その後、伸介は、今後も金運に恵まれますようにと、唱えた。子供達も、同じ様に願いが叶いますように唱えて回ったようだ。
2011年3月11日午後14時47分、突然、大きな揺れが東日本で大きな地震が起きて橫浜でも震度5強で家の棚から物が落ち台所で茶碗が散乱し、電気が切れた。その後、17時頃に回復すると東北で大津波に流される家や車、人の映像がテレビから流れてせんりつが走った。そして、その晩は、眠れぬ夜を過ごした。首都圏でも、交通が麻痺して、大きな国道に、仕事帰りのサラリーマンの行列が、どこまでも続いていた。
その後、福島第一原発事故の報道がされて、池墨家でも意気消沈した。しかし、翌朝、以前、株投資で世話になった吉崎繁彦さんから電話で、池墨君、一緒に東日本大震災で親を亡くした子供達のために、震災孤児募金を送り、募金活動をしようと言った。その電話を聞いて、家に帰ってきた達子が、ヤフーでは、会社をあげて、東日本大震災のボランティア活動準備室ができたと言い、インターネットに、多くの募金サイトを開いたと告げた。
吉崎さんの電話にわかりました協力しますとと言い、具体的に金額と募金方法について調べて、吉崎さんに、連絡しますと言って、電話を切った。東日本大震災で親を亡くした子供達のための震災孤児募金の話を池墨家で話あった。その結果、連名で1億円を直接、東日本大震災、震災孤児募金事務局に電話連絡して、直接送金することにした。その話を吉崎繁彦さんに連絡すると、偉い、投資家は、金を得た分だけ、徳を積むべきで、そうすることによって、更に富が向こうからやってくるのだと言った。




