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隔世遺伝  作者: 播磨王65
12/18

12話:両親と伸介の2軒の家を新築

 2002年5月から工事を始めて。2週間で整地完了した。そこで、池墨の知り合いの業者に木造の住宅メーカーで、お奨めのメーカーを聞いて、将来的に2軒の家を建てたいというと、十分に可能だと言った。その知り合いの業者に、木造住宅メーカーに一緒に行き、3500万円で建坪45坪の総2階建ての4LDKの住宅を建設すると約束して、サービスとしてオプションのペア硝子と断熱施工をつけると言う条件で発注した。


 その後、両親にも、新築の家を建てようかと言うと、2千万円しか出せないが、それで良ければ、お願いしたいと言われ了解、3DKの建坪35坪の家を2500万円で建てると言ってくれた。その後、2002年12月初旬に完成した。そして、伸介の長男の康一と長女の慶子も両親と同居生活を始め、隣に、伸介の両親が住むこととなった。


 その頃、伸介の長女の慶子も平沼高校で勉強を続けた。更に、兄の通った橫浜駅前の予備校に入って勉強して、2005年に橫浜市大商学部に合格して、京浜急行で通い出した。 その後、吉崎君の父、伸介が2人で、日本株投資について話し合って、もしもう一度、投資するとして、ヤフー株の下げ止まりを狙おうと言うことで意見が一致した。その情報を吉崎君の父が、伸介と伸介の父に直ぐ携帯電話に連絡を入れてくれることになった。


 その後、2004年2月に210万円で購入したヤフー株、全株、16分割していたので160株を売りを入れた。そして売れ、税引き後利益が2.5億円となった。そして、伸介の残金が8億円となった。これで、先祖の大居屋九兵衛さんに、はなむけができると思うと、万感の思いがこみ上げてきて、涙がこぼれた。ここまで来れたのも、吉崎君の父、吉崎繁彦の指導のお陰だと思い、中華街で2人だけで祝賀会を企画し、電話した。


 2004年3月2日、11時半に中華街の聘珍樓の個室を借りた。やがて、吉崎繁彦さんがやってきて、部屋に入って、熱燗の紹興酒で乾杯して、美味しい料理が運ばれてきた。

そして、2人の話が始まった。話の冒頭で、伸介が、自分の4代前の先祖が大居屋九兵衛さんである事を話した。それを驚いた、吉崎繁彦さんが、大居屋九兵衛さんて、たしか、横浜生糸商人で原善三郎と並び称せられた偉人の人でしょというので、そうですと答えた。


 まるで、隔世遺伝ですねと言った。そして、吉崎繁彦さんが、池墨君が、うちに来て投資に興味があるので、教えて下さいと言ったときの事を振り返った。最初の印象は、なんて、無鉄砲な若者だろうと、思ったが、いつしか、君の熱意に引き込まれるようにして、相場師列伝の本を紹介したね。その時の君の目の輝きを見たとき、こいつは、ただ者ではないなと直感でわかったと話した。その後、何としても儲けさせてやろうと、手に入れた情報を駆使して、売買を指示した。


 しかし、大抵、数回、失敗する物だが、なぜか、伸介君への助言では、完璧で、失敗がなかった。今、考えると、これも大居屋九兵衛さんのお陰かも知れないねと語った。そして、これからは、資産を守る、投資を心がけるべきだと言い、それには、手数料の小さいファンド、為替、債券投資がよいかも知れないと教えてくれた。私も70歳を超えて、引退して、蓄えた、お金でなんとか楽しんで暮らしていると笑いながら言った。

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