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隔世遺伝  作者: 播磨王65
11/18

11話:子供達の進学と新居

 1996年に長男の康一が地元の中学に入学して、数学、理科、英語が得意で、中学1年の秋にクラスで5位の成績で、翠嵐高校か平沼高校をめざすと宣言して、勉強して、必要な参考書、問題集は、買うように父の伸介が指示した。1997年、中学2年で、クラス3位まで上がった。そして、担任の先生の話では、平沼は合格圏内、翠嵐がもう一息と言われた。


 そこで、夜遅くまで、勉強を続け、1998年の中学3年のテストで、学年6位になり、翠嵐も合格圏内になった。その後、1999年2月に翠嵐高校を受験して、合格した。その話を聞いて、妹の慶子も勉強を続けて、彼女は、英語、国語、社会が得意で、中学1年の秋でクラス7位の成績だった。


 1979年10月15日1800円で1000株を180万円で買ったセブンイレブン株が、1999年12月には、累計38分割で38000株になり18000円で税引き後利益が5.4億円となった。1999年12月27日30000円でソニー株を全株売り、税引き後利益24400万円で残金が25500万円となった。2000年には、伸介の残金が79500万円となった。そこで、古くなったクラウンから、大勢が乗れる7人乗りの三菱、デリカ・スペースギアを購入した。


 その後、勉強を続け、2000年、中学2年でクラス5位となり、2001年、クラス3位となり、平沼高校が合格圏内となり、2002年平沼高校に合格して通い始めた。その後、翠嵐高校に入った康一は、橫浜国大の理工学部をめざして勉強して、2001年から橫浜駅前の予備校に入り、2002年、橫浜国大理工学部電子工学科に合格した。慶子の方は、平沼高校から橫浜市大商学部をめざすと言った。


 そして、2001年9月4日、早朝、吉崎君の父から電話でヤフーが下げているから買いと連絡が入り、気配値が182万円と言ったので、伸介と伸介の父が10株ずつ、買いを入れた。その後、9時に、直ぐ買えたと連絡が入った。


 2002年1月に、小机の農家が古家つきで305坪の広さで1.5億円の価格で売りが出ていたのを見て、小机の不動産屋を5軒当たって、一緒に1.4億円で買えるように交渉してくれる先を探し、1軒で協力してくれると言ってくれたので、2月から交渉を始めた。すると、以前、住んでいた、高齢の2組の夫婦が高齢になり、4人中3人が老人施設に入り、後を継ぐ者がいないことがわかった。


 しかし、近隣の畑と田んぼは、農業専用地域だったが、家の建っているところは、一種住専で建ぺい率50%で容積率100%の土地だった。そこで不動産屋が、現金払いできるかと聞くと、池墨ができると言うと、それで行こうと良い、2組の子供5人に、現金で直ぐ支払う条件で1.4億円にする交渉をお願いし、4月18日に、全員の了解を取り付けた。そして購入する事を決めた。4月20日契約書を取り交わし、4月25日までに、振込先に入金を約束して、実行した。


 その後、更地する費用を池墨の知り合いの業者に聞くと、300万円と言った。しかし年のため、水道、下水、電気配線も点検すべきだと言い、工事が必要な時はそれに、工事費用が加算されが、きちんとやった方が良いと進言されて、了解した。早速調べてもらうと、特に新しい設備は依頼ないが、せっかくだから、水道管と電気配線を新しくした方が良いと言われ、費用は200万円で、できると言われ、整地と整備費用で500万円で了解した。総額で16000万円となった。

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