10話:池墨家の子育と投資
その後、保育園で康一も慶子も元気に遊んでいるようだった。やがて、梅雨になり、あけると夏が来て、完治のベランダにビニールプールをつくって、遊んだが、康一が大きくなって、単なる水浴びという感じになった。来年からは、市営プールに連れて行かないと、納得しないように思えた。その年、9月に150万円で中古のトヨタのクラウンコラムシフト6人乗りを購入した。
そして、伸介の実家の両親と日曜日に子供2人と大人4人で金沢の海水浴場へ行ったり、油壺の水族館に行くようになった。また買い物も大きなトランクがあって、遠くの安い商品を売っているスーパに買い出しにも車を出した。そして11月には、熱海の温泉に6人で出かけた。クラウンは、とにかく、乗り心地が良くて、快適だった。そして1988年が終わり、1989年を迎えた。
一方、株の方では、1989年4月の朝、N証券の吉崎繁彦さんから電話が入りトヨタ株2400円で4000株売りした方が良いと言われた。1.34分割していたので、税引き後純利益1150万円で残金が4125万円となった。その後、1991年4月、父の池墨信一が、橫浜銀行を定年退職して、奥さんと南九州に、4泊5日の旅行へ出かけた。
出かける日に、伸介が、父に、長い間、ご苦労様でしたというと、意外にも、サバサバして、これからが、楽しい人生だと笑いながら言った。そして、5日後、南九州から、旅行から、無事帰って来て、お土産を買ってきてくれた。その時、両親が、スポーツジムに入ると言った。そして、母が帰ってくる18時に、車でスポーツジムに通うようになった。
その後、伸介は、自分の普通預金から投資口座に送金して投資資金を4500万円に増やした。その後1992年8月19日にソニー株を3400円で10000株を3500万円で買い、残金が1100万円となった。1994年4月に、母の池墨信子も定年退職して、長年住み慣れた、橫浜市水道局の官舎を出て、近くの古い農家の借家に、家族6人で引っ越した。
5LDKの畳8畳の部屋が5つと、土間を改造してつくったリビングとダイニングキッチンで、すきま風が寒かった。しかし、広々として、子供達にとっては、自分の部屋が持てって好評だった。風呂とトイレは、自分達で改装してと言われて、新しくした。家賃10万円を父と半々で払うことにした。その後、母の池墨信子が、会社時代の女友達3人と日帰りバス旅行や夏には、北海道旅行、早春の沖縄旅行に出かけて楽しんだ。
一方、父の方は、会社時代の仲間と麻雀、カラオケ、飲み会をして、盛り上がっていた。たまに都合がつくと、3世代の6人で、熱海、箱根に1泊旅行にいって、温泉につかったり、散策したりして、楽しみ、春の桜の花見にも出かけた。両親は、同年代の友人達と日帰りバス旅行に参加した。




