18 悪役令嬢の兄、倒れる
火竜を公爵領に迎え入れるための話は大筋が決まったようで、私達は山を降りることになった。
「火竜様、迎えが来るまで地竜様を困らせないでくださいね。山火事なんて起こしたら、即、セラを派遣しますから」
セラが『任せろ!』と拳を突き上げ、火竜がビクッと体を後ろに引く。
『う、うむ、わかっておるわ。公爵家の人間が迎えに来るまでここでおとなしく待っていれば良いのだろう』
本気を出せば火竜のほうが強いのだろうが、この火竜、口先だけで案外、気弱な気がする。
住処を荒らした人間達に対してもっと早い段階でガツンと脅しておけば、山が枯れるほど荒らされなかっただろう。普通の人間ならば火竜とまともに戦おうなどと思わない。略奪を許したせいで『火竜、たいしたことねぇな』と思われたかもしれない。人間とは図に乗る生き物だ。相手がやり返さないとどんどん増長する。
そして誰もいない山に行けば良いのに、すでに地竜が住むここに来た理由。
なんだかんだと言いつつ、人間が好きで憎めないのだろう。
この地は暗黙の了解で地竜と人間達が仲良く共存してきた。知っている者は少ないし、地竜も恩着せがましく何かを求めてはいない。
だが火竜が求めていた共存関係がこの地にはある。
気弱で子供な火竜とかあまりかっこよくないが、獰猛で残虐な竜よりはよほど良い。
「火竜様、いい子で待っていたら公爵家の皆様が火竜様の好きな果物をたくさん用意してくださるそうですよ」
もうひとつ意外なことに竜は草食だった。いや、肉も食べるけど地竜は野菜、火竜は果物が好きだという。
「地竜様、今回はお会い出来てとてもうれしかったです。また遊びに来ても良いですか?」
『もちろんじゃ。娘達は大歓迎じゃ。まぁ…、ついでじゃ。そっちの小僧にも加護をつけてやろう』
と、お兄様を見た。
「今……」
何か変化が起きたのだろう。お兄様に竜の加護の話をする。
「お兄様にも地竜様の加護がついたそうですよ。効果は…」
なんだ?私にはほとんど効果が出ていないからわからないが、お兄様にはわかるようで地竜にお礼を伝える。
『ふむ、なかなかに魔力も高いようじゃな』
「はい…、加護がつくと地竜様の言葉もわかるようになるのですね。ありがとうございます。民のために尽くし、この森を守り続けます」
二頭の竜に別れを告げ、私達は来た道を戻った。
歩くのに慣れたのか帰りはかなり早く進めた。行きと違って下り坂が多いしね。山歩きに慣れていないため、上り坂のほうがどうしても足が重くなる。負担は下りの方が大きいようだけど。
待機していた水魔法士さんとガウスさんも合流し、ガウスさんの案内で山の中でもう一泊。
竜と出会ったせいで完全に予定が狂ったものね。いくら地竜の加護で魔物が少ないと言っても、暗くなってから山の中を歩くのは危険だ。足場が悪いし、毒を持った植物や虫はいる。普通にいる…ってか、虫が大きい。
ガウスさんが言うには大きい虫のほうがましで、問題は小さな虫。毒を持つ虫は小さなものが多いようだ。虫避けを焚いていてもたまにそれが効かない特殊個体がいる。そんなところはやっぱり異世界というかゲーム設定。いっそ虫がいない世界が良かったデス。
夕食の支度を手伝っていると耳元でブン…と不穏な羽音がした。
「きゃっ…」
思わず目をつぶって本能で体が逃げる。考えてのことではなく、勝手に体が動いてしまい、ぼすんっと何かにぶつかった。
「羽虫だ。もう追い払った」
低い声に顔をあげると、カーマイン様だった。
「す、すみません。驚いてしまって…」
慌てて離れた。
「かまわない。何か手伝えることは?」
手伝えることって…、野営料理だからパンとチーズを切って、干し肉と乾燥野菜でスープを作る程度。
「いえ、大丈夫です」
見上げて、なんとなく。
そう…、根拠は何もなかったが、なんとなくいつもと違う気がして。
「どこか具合が悪いのではありませんか?」
すこし驚いた顔をされた。
「いや……」
「ご無理なさらないでくださいね。屋敷に戻ったら『一番風呂』はカーマイン様にお譲りしますから。きっと疲れが取れますよ」
側で聞いていたセラが『じゃ、私も一緒に一番風呂!』などと不穏なことを言う。いや、さすがに一緒に入っちゃまずい年齢でしょ。
窘めると『みんなで一緒に』などともっとまずいことを言う。
「もう…、それなら銭湯に行けばいいでしょ」
「そうだね。久しぶりに銭湯もいいね。広くて大好き」
食事を終えたらすぐにテントに入って眠った。ゲームの設定でローズに聞きたいことがあるが我慢した。
凡人な私に出来ることはしっかりと寝て、体力を回復して迷惑をかけないこと。
今回は頼れる人達が一緒だったので、怖い思いをすることもなく無事、森を出ることができた。
一番の危機は崖から落ちた時だったけど助けてもらえたし。帰ったら改めてお礼をしなくちゃ駄目だよね。何が良いかな。刺繍の小物はさすがに重いだろうか。
こ、恋人でもあるまいし。
山を降りれば来た時のまま馬車も馬もありホッとした。馬車の中で爆睡しちゃうかも。そして早く帰ってお風呂に入りたい。
馬車に荷物を積み込んでいると、急に騒がしくなった。何事かと振り返ると、地面に倒れ伏したカーマイン様がいた。
「背中に大きな打撲痕がありました。しかしそれが倒れた原因ではなさそうです」
治癒士さんの見立てでは打撲のせいで通常よりも疲労がたまりやすくなっていて、そこに虫か何かの毒が入ったのだろうと。健康体ならばそこまで悪化しなかったかもしれないが、弱っていたせいで高熱が出ている。
カーマイン様は熱のせいか顔が真っ赤になっていて、見ていた私は真っ青である。
打撲も虫も私のせいじゃない?
うわぁ、やっぱり二人分の重みは思っていた以上に衝撃があったんだ。
そして毒のほうは私から羽虫を追い払ってくれた時かもしれない。
慌ててお兄様に相談をする。
「ど、どうしましょう。私のせいで……」
「打撲はそうだろうけど、虫刺されはいつだったのかわからないよ?」
「でも……」
「そう思うなら、屋敷に戻ったあと心をこめて看病すればいいんじゃないかな?」
微笑まれて『そうですね』と頷く。
「今は治癒士様にお任せして、屋敷に戻ったら私が看病いたします」
治癒魔法やポーションは緊急時以外、使われないし、なんでもかんでも効くものではない。発熱の原因が特定できていないため、無理に熱を下げても意味がないかもしれない。
そして同行している治癒士さんは殿下の護衛部隊。殿下が『ちょっと熱が』と言えば、微熱でも動くが、殿下以外の治療は診察と応急処置程度まで。
もちろん緊急事態なら殿下以外でも治療するが、あくまでも殿下を守りつつ、余力があれば…である。
治癒士さんを中心に何人かが相談をした結果、治療は戻ってからということになった。
幸い馬車があるし、この後、何日も旅を継続するわけでもない。
私達は慌ただしく出発の準備をして屋敷に戻った。




