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五、天女の志

 音が遠ざかってから、私はちょうどよい太さと高さの木を見つけてよじり登った。

和装ではかなり木に登りづらい。

それでも命がかかっているのだから、懸命に登るしかない。


 木の上から、先ほどまで歩いてきた方向を見る。

崩れ落ちそうな歩き方で、禍人がこちらにくるのが見えた。

 急いで枝や葉っぱの陰に身を隠す。

仮に見つかったとしても、満足に走ることもできないならば、木に登ることはないだろう。

 案の定、禍人はこちらに近付いても、首を気味悪くゴキゴキと回すだけで気づく様子はない。

子どもの姿をしていたし、知能もそこまで高くないのかもしれない。

 あとはどうやってここから脱出するか、そう思い悩み始めたとき、聞き覚えのある声が私の背後から聞こえた。


「羽衣殿ー!」


「智漣さん……?!」


 黒い装束に身を包んだ智漣さんがこちらに近付いていた。

禍人は口をパカっと開けると、鋭い歯をむき出しにしてニコリとした。


 ——智漣さんが危ない!


 木から飛び降り受け身を取る。

脇目も振らずに智漣さんの手を掴むと、禍人がいる方向とは逆へと走り出した。


「う、羽衣殿?」


「禍人です!  子どもの姿をしていますが、人ではありません」


「わかりました。ひとまず泉の方に向かいましょう」


 智漣さんは、私の手をしっかりと掴み直すと走り出して行く。


「秀滓に羽衣殿の姿が見えないと言われ、急いで探しに参ったのですが……正解だったようですね」


「ご迷惑をおかけして——」


「貴女が謝ることはありません。私が必ず、貴女を守りきってみせますから」


 泉の側まで走ってくると、智漣さんは片手で何か空を切るような動きをした。

すると、前方の水が鉄砲水のようにこちらへ飛びかかってくる。

 思わず身構えると、


「大丈夫です」


 智漣さんにそう囁かれ、走る足を止めまいと引っ張られる。

その言葉のとおり、水は、私たちの上空を通過して、禍人に流れ込んだ。


「時間稼ぎになるといいのですが」


 智漣さんはちらりと後ろを見やり、そう呟いた。

 濁流に飲み込まれたならば、いくらなんでも追いかけてくることはないだろうと思った矢先。


「待……ッテェ、待ッ、テ、ヨォ」


 身体の骨があっちこっちに砕けて、明後日の方向に関節が折れた子どもが走ってこっちへ来る。


「なんか走れるようになってませんか?!」


「怒りに火をつけたのか、攻撃されたことで形態が変わったのか、とにかく走りましょう」


 そんな冷静なと、喉元まで出かかった言葉を飲み込み、一歩を踏み出そうとした。

 しかし、慣れていない服装と足元。

そして山を走り回った疲れからか、泉の周りに敷かれている砂利に足をとられる。

 結果、つんのめった私の身体は、思いっきり地面に倒れ込むことになった。


「羽衣殿!」


「智漣さん!  逃げて、早く!」


 餓鬼の如き物の怪は、すでに背後に迫っている。

それなのに智漣さんは私のもとに来て、覆い被さる様な姿勢をとった。


「智漣さん!  私のことはいいですから早く。私は天女じゃありません!  智漣さんの守るべき者は他にあるでしょう!  私にかまわず早く行ってください!」


「貴女が天女だろうとそうでなかろうと、私の目の前でもう誰も死なせやしない」


 覚悟を決めた顔が私を捉えた。

 辺りには、いっそ場違いなほどの鮮血が飛ぶ。


「うっ……!」


 智漣さんの右胸あたりに、先端の尖った木が深々と突き刺さっているのが見えた。

 苦しそうに顔を歪めながらも、私を安心させるように微笑む。


「そのまま……じっとしていてくださいね。奴が私の屍に夢中になったら……隙を見て逃げ出してください……くっ!」


「やめて、やめてください」


 泣きそうだった。

 目の前でもう誰かを失うのは嫌だ。

それは私も同じだ。

 物の怪は智漣さんの生死などどうでもいいように、刺した傷口から溢れる血を舐めていた。

ヒュー、ヒューと苦しそうな呼吸音が、鼓膜に突き刺さる。


 もう誰も私の目の前で死んでほしくない。


「嫌だ……」


「羽衣……殿……?」


「嫌ぁっ!」


 叫び声が反響する。

瞬間、私の中から白い光が飛び出し、辺り一面に光の欠片が降り注いだ。

 智漣さんに食らいついていた禍人は、飛び跳ねてもがき苦しみ始める。


「うぅっ!」


「羽衣殿?  大丈夫ですか!」


 智漣さんに上体を起こされる。

熱くなった身体から、何かがほとばしるのを感じた。

思わず胸を押さえると身体から光が溢れる。


「これは……」


 私の身体から、ゆっくりと黒い弓が浮かび上がる。


「玄武の弓……」


 智漣さんが弓を手に取ると、水面を揺らすほどの風が智漣さんを中心に衝撃波のように吹く。


「これは神器……玄武の弓です。やはり貴女は……」


 何か言いかけて、智漣さんは首を横に振った。


「この智漣、貴女を命に代えてもお守りします」


 智漣さんは神器を片手に立ち上がる。

足を開いて、左手で弓の先を左膝に置き、何も持っていない右手で空を切る。


「我が守護神なる玄武よ、乞ひ願はくは、我に禍を払ひ討ち果たす力を与へ給へ。然らば、汝に身を一代捧ぐと誓ふ」


 刹那、智漣さんの右手に揺蕩う水が集まり、形を矢のように変形させていく。

厳かに弓を引き、禍人に狙いを定める。

智漣さんと弓が一つになるのを感じたその瞬間、禍人めがけて水の矢が飛んでいく。

 矢は禍人の胸に突き刺さると、たちまち姿を変えて禍人を包み込む。


「アアアアア……」


 くぐもった断末魔がこだまする。

禍人は水の中で溶けていく。

ベシャッという音と共に、水は地面に打ちつけられ、禍人もその姿を消した。

 智漣さんは、ようやく弓を下ろすと一息つく。


「立てますか?」


「は、はい。それより智漣さん! 怪我は」


 智漣さんの背中を見ると、装束に血こそ付いているものの、抉られた傷口はなくなっていた。


「こんなに汚しては秀滓に怒られそうですね」


 やれやれと言わんばかりに苦い顔をする。


「おそらく貴女の想いが、私を治してくれたのでしょう」


 あのとき放たれた不思議な光。

 そして私の中から出てきた神器。


「やっぱり私が……」


 天女なのだろうか。


「羽衣殿、仮に貴女がそうであってもなくても、儀式は行いましょう。万に一つでも、貴女が元の世界に戻れる可能性があるならば試すべきです」


「いえ……。儀式はしません」


「!  何故ですか?」


「さっき私から出た光や神器。私が本当に天女かどうかはわかりませんが、人を助ける力を身につけていることは確かみたいです」


 病気に伏せった祖母の最期を思い出す。

私に祖母を救える力があったらと泣いたあのときを。


「この手で助けられる命があるなら、私は精一杯あがきたい。その行為が天女と呼ばれるなら、それでかまいません。私は、それができる力があるのに諦めることなんてできない」


 智漣さんは無言でも私を見つめた。

 ハッと目を見開いた後、柔らかく微笑み、そして私の前に跪いた。


「不肖智漣。この身に代えても貴女を守り、仕えると誓います」


「はい!  私も智漣さんを守ります」


 そう言うと智漣さんは驚いたような顔をしてふふっと笑う。


「貴女は面白い方だ」


 こうして私は天女としての第一歩を踏み出した。

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