四十二、断じて行えば禍人も之を避く
「熹貂ちゃん、お姉ちゃんと一緒に叔父さんのところまで戻ろう?」
「だめ」
熹貂ちゃんは激しく首を振って拒否をした。
怯えきった瞳が私を見つめる。
「あの人が父様を殺したの」
「……どういうこと?」
彼女の告白はあまりに信じがたいものだった。
「叔父様は人じゃない。禍人なの」
彼女は時折嗚咽を漏らしながら、事の成り行きを語った。
数年前から叔父の様子がおかしくなったのだという。
母親を早くに亡くした彼女は、父親と叔父と三人暮らしをしていた。
ところが、それまで優しかった叔父が突然暴力的になった。
父親は自分の娘にまで手を出した弟を咎めた。
それが悲劇の始まりだった。
兄は弟が突然おかしくなったのは、何かに憑かれたからではないかと疑い始めた。
そして友人の伝手で、玄武の泉をほんの数滴だけ手に入れたという。
神聖な水によって、弟から邪悪なものが浄化されるはずだと、兄は弟に悟られないよう飲み物に混ぜて飲ませた。
これで一安心だと思った矢先、弟が突然苦しみ始めた。
熹貂ちゃんは、聞いたことのないようなおぞましい悲鳴で目が覚めたという。
叔父は邪悪なものに憑かれていたのではなく、禍人そのものだったのだ。
サソリの姿をした恐ろしい化け物に変身した叔父は、逃げる親子を追い続けた。
そして、ついに父親の方が砂中深くに引きずりこまれて生き埋めにされてしまったのだった。
一人残された姪は、その場で殺されることはなかった。
しかし、それは助かったのでも、助けられたのでもない。
いっそのこと父親と一緒に死んでおけば良かったと思わされるほど、恐ろしい地獄のような生活の幕開けに過ぎなかったのだ。
父親を殺した男との共同生活が始まった。
それまでとは打って変わって、叔父は暴力を振るうことはなくなった。
ただ、姪を床に座らせて毎日何も言わずにジッと見た。
初めの頃は、何もされないことにホッとしていた彼女も、だんだんと怖くなってきた。
彼女は動くことも喋ることも許されず、毎日毎日虚ろな目で見てくる男と向き合った。
そして、恐怖に身体が支配された頃、彼女はストレスで声を失った。
この頃から叔父と一緒ならば、外に出ることができたらしい。
けれど、彼女はもう人の目を見ることも、人に視線を向けられることもできなかった。
誰かに助けを求めようと思うのだが、狭い集落なので、誰が叔父とつながっているかも知れない。
そのうち、彼女は自ら家の中に閉じこもるようになった。
もう心が折れそうになったある日、珍しく叔父が上機嫌で帰ってきた。
酒を飲んでいたのか、アルコールの臭いを漂わせながら、饒舌に喋り続けていたという。
『一人殺るだけで、これからの生活が保証されるんだ』
『お前も連れて行ってやるよ』
『英雄様と一緒に死ねるんだ、光栄だろ』
いまいち要領を得ない話し方だったが、禍人討伐部隊に参加する一人を殺せば、今後一切の暮らしに困らないぐらいの報酬がもらえるという話だったらしい。
英雄様——そう揶揄されて呼ばれた人こそ、朱雀隊の長、礼烽さんのことだった。
礼烽さんの殺害を頼まれた叔父は、そこで姪も葬ることに決めたのだ。
普通ならば、こんな話聞いただけで気が狂いそうなほどだ。
けれど、彼女は己の心を奮い立たせた。
彼女はこの男の凶行を止める決意をした。
もう誰も死なせない、と。
討伐部隊に参加してからは、どこかのタイミングで叔父が禍人であることを伝えようとした。
しかし、打ち明ける相手が誰でもよいとは思えなかったらしい。
叔父とは決して関わり合いのない相手をと思い、外部の人間だと名指しされた私をその相手に決めた。
まず彼女は私を呼び出して、禍人が流砂のように相手を下から引きずって、攻撃してくることを説明しようとした。
ところが、予想外なことが起きた。
私がその流砂に落ちてしまったことである。
急いで助けを呼びに行こうとしたものの、入れ違いで礼烽さんが私を助けに来てしまった。
叔父は礼烽さんがいない隙を狙って、彼女を殺そうとしたが、間一髪で隊士が助けに入り、そのまま逃げることができた。
その後は、逃げ果せはしたものの、私もいなくなってしまったため、どうすればいいか途方に暮れていたらしい。
そこに私が戻ってきた。
なんとか私に文字で禍人の正体を伝えようとしたが、文字を書くことが苦手なのと、途中で叔父に邪魔されたのも相まって失敗に終わった。
「あの人は、お姉ちゃんが何か私から聞いたのじゃないかと疑っているわ。それで、私と一緒にお姉ちゃんを殺そうとしたの」
長い告白を受けた私は、もう泣くこともできなかった。
目の前の少女は、恐怖に耐え忍び闘い続けてきた。
次は私が戦う番だ。
もうこの子を傷つけさせない。
「戻ろう、熹貂ちゃん。終わらせよう」
この子の闘いも苦しみも。
勝算はあるかどうかわからない。
だけど、負けるわけにはいかない。
小さな手を握りしめて、立ち上がった。
集落跡へと歩みを進める。
彼女はもう何も言わなかった。
すべて終わらせるのだ。
この子のために!




